はあい、と間抜けな返事をして、新羅がパタパタと出て行く。静雄はそれを横目に見ながら、やっと一口カフェオレを飲んだ。甘くて温かい。
窓に視線を移せば、雨がまだ降り続いている。冬の雨は冷たい。ひょっとしたら夜には雪になるかも知れないな、と思った。
「おや、偶然だ」
声がして顔を上げる。
リビングの入口には、先程別れた男が立っていた。黒いコートを着て。
静雄はそれに舌打ちをし、ウンザリと目を逸らした。
「ケンカはやめてね。ここ僕んちだから」
臨也の為にコーヒーを入れながら、新羅は二人に釘を刺す。この二人の喧嘩で家の中を壊された事なんて数え切れない。
臨也は低く笑ってコートを脱ぐ。新羅から手渡されたコーヒーを持って、ソファーに腰を下ろした。
「雨が降っていたのならまだうちに居れば良かったのに」
「うるせえ」
静雄は一言そう答え、首に掛けていたタオルで髪を拭う。いつもの衣服はまだ濡れていた。
三人の間に沈黙が落ちる。
静雄は元々お喋りは好まないし、今の新羅は二人を黙って傍観している。臨也が口を閉じれば会話はなかった。
「帰る」
堪えられなくなって、立ち上がったのは静雄だった。案の定、と思いながら新羅も立ち上がる。
「もう帰るの?まだ乾いてないじゃない」
「傘借りるぞ」
静雄はそれには答えず、タオルをソファーに放り投げた。そして向かいに座る臨也には目もくれず、さっさとリビングを出て行く。
新羅はチラリと臨也を見るが、臨也は肩を竦めただけだった。
「静雄」
待って、と新羅が玄関先までやって来る。
「いいの?」
何が、とは言わなかった。静雄はそれにただ無言で頷く。
そう、と小さく返事をし、新羅は静雄に傘を渡した。またおいで、と言って。
静雄はそれに小さく笑い、傘を手にして出て行った。
新羅は静雄を見送り終わると、リビングへと戻る。
リビングでは臨也がつまらなそうにテレビを見ていた。勝手に電源を入れて。
「いいの?」
新羅は臨也にも同じ事を聞いた。臨也はそれに片眉を吊り上げ、「何が?」と聞いてくる。分かっている癖に。
「静雄のこと。別れたって聞いたけど」
「ああ、そのこと」
臨也はそう言ってリモコンを弄り、チャンネルを次々と変えて行く。見る番組を探しているらしい。
新羅はそれに軽く溜息を吐くと、ソファーに戻った。飲みかけのコーヒーは少し温くなっている。
「シズちゃんが俺から離れられるわけがないよ」
臨也はテレビの電源を切ると、リモコンをテーブルに置いた。どうやら気に入った番組がなかったらしい。
「…君のその自信はどっから来るんだろうね?」
新羅は臨也の言葉に半ば呆れつつ、楽しそうに笑った。笑うしかない、と言うのかも知れない。
「離れられるならとっくに離れてるよ」
熱いコーヒーを啜りながら臨也は口端を吊り上げる。その笑みは自嘲するように見えた。
「それは静雄のこと?それとも自分のこと?」
新羅が僅かに苦笑して問うのに、臨也は目を伏せて笑う。
「両方だよ」



カチカチと何度やっても付かないZippoに、静雄は苛々としてアスファルトに叩き付けた。
それは粉々に砕け、アスファルトには小さなヒビが入る。中のオイルが飛び散るのと共に。
静雄は口に銜えていた煙草を外した。火が無ければ吸うことはできない。全く、腹が立つことばかりだ。
静雄は軽く溜息を吐いて歩き出した。はあっと口から逃げ出した息は、真っ白に空へと消える。今日は一段と寒い。
路地裏を抜け、大通りに出る。喧騒に紛れて歩き、信号を待った。たくさんの他人に囲まれながら。
何年経とうがこの街は変わらない。繁華街の店が入れ替わり、出入りする人間が変わるだけだ。少なくても静雄が高校生の時から、大した変化はない。人は歳を取ってどんどん変わってゆくと言うのに。
やがて信号が変わり、周囲の人間が一斉に動き出す。その人の波に飲まれるように、静雄も歩き出した。
時折見かける真っ黒なコートに、静雄はビクッとする。冬は黒の服装をしている人は多い。いちいち反応してしまう自分に嫌気がした。
もう来ないと告げた時、あの男は引き止めたりはしなかった。理由だけは聞かれたが、その後も否定も肯定もなかった気がする。別に、引き止めて欲しかったわけではない。自分はやはり、どうでも良い存在だったのだろう。あの男にとって。
自分から関係を切ることを言い出しておいて、相手のあの淡泊な反応に腹が立つ。ああ、もう苛々する。何だったのだろう、今までの十四年間は。
静雄は携帯を取り出して時間を確認した。今日はこれから親友に会う。
もう嫌な事は考えないようにしよう。
静雄は携帯を閉じ、気持ちを入れ替えて歩き出した。

親友は公園のベンチに座り、静雄を待っていた。
真っ黒なライダースーツに黄色いヘルメット。彼女は昔から変わっていない。変わりようがないからだ。
『静雄こそ全く変わってないよ』
セルティは笑うように肩を揺らし、PDAを見せた。
『高校生の時のままだ』
「それは言い過ぎだ」
静雄は穏やかに笑う。セルティは静雄が家族以外で唯一穏やかに居られる相手だった。
『静雄ももうすぐ三十歳だなんて時間を感じるな』
なんて言うセルティは少しだけ寂しそうだ。彼女には表情がないけれど、感情は何となく分かる。
「俺はいつまでも子供で成長していないけどな」
静雄はわざと茶化すように言った。それにセルティは笑う。
二人は同時に空を見上げた。空は茜色だ。冬の時間は短い。もうすぐ夜が来るのだろう。
『誕生会をしようか』
セルティがこう言い出すのに、静雄は驚いた。
「この歳でか?」
静雄は思わず苦笑する。三十にもなって、いくらなんでも恥ずかしい。
セルティはそれに笑い、色んな人を呼んで鍋でもしようじゃないかと言った。
「鍋か…」
確かに鍋の季節だ。はあっと吐いた息が白い。温かい鍋は良いかも知れない。
『ケーキも準備しよう』
セルティは笑う。自身は食べれないと言うのに。
静雄は親友の優しさが嬉しくて、笑って頷いた。
空はどんどん暗くなり、あっという間に夜が訪れる。寒さに堪えられなくなる頃に、やっと二人は別れた。


続(2010/09/30)
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