続 嘘つき。2







ガタンゴトンと揺れる電車に乗りながら、静雄は窓の外を眺める。
何度もアナウンスが池袋への到着を告げるが、降りずにずっと電車に乗っていた。ぐるぐる回るだけの山手線は便利だ。
濡れていた衣服は生乾きで少し肌寒い。外の雨は一時的なものだったようで、空は赤く夕陽が広がっていた。女心と秋の空、とは良く言ったものだ。
今は一体何時なのだろう。携帯を失った静雄には今の時間を知る術はない。
ちょうど静雄が座っている座席からは電車内のディスプレイも見えなかった。夕陽が見えると言うことは4時か5時か、それくらいだろう。電車内には帰宅中のサラリーマンの姿も増えて来たようだ。
アナウンスがまた池袋への到着を告げる。それでも静雄は降りる気にはなれず、ただ黙って駅のホームを眺めていた。
やがて電車はまた動き出す。次は目白だ。
静雄は離れていく池袋の町並みをぼんやりと眺めていた。
「いつまでそうしてるの?」
突然声を掛けられて、静雄は驚いて顔を上げる。目の前に、真っ黒なコートを着た男が立っていた。吊り革に掴まって。
「…手前には関係ねえだろ」
静雄は目を逸らし、再び窓を見た。もう次の駅だ。山手線は間隔が短い。
「探すの大変だったよ。まさかずっと電車にいるとは思わなくてさ」
臨也は口端を吊り上げて笑みを作った。言葉とは裏腹に、ちっとも大変そうではない顔で。
周囲の客が、好奇心の目でそんな二人を見ている。静雄も臨也もそんなのは気にしていなかった。二人はいつも互いしか見ていない。
「そんなにショックだった?」
臨也の声は揶揄するように楽しげだ。
静雄は答えない。答えなくたって、相手にはいつだって見透かされてる。ずっとずっと前から。
「もう手前にはうんざりだ」
静雄は窓から視線を外し、臨也を見上げる。赤い双眸を真っ直ぐに睨みつけた。
「もう終わらせようぜ」
八年も続いてきた、この惰性の関係を。
静雄の言葉に、臨也は無言で赤い双眸を細める。その端正な顔に、口許を歪ませて笑みを浮かべた。まるで悪魔が笑うみたいに。
「嫌だよ」
この答えに、静雄は驚きで目を見開く。この男は去るものは追わないタイプだ。あっさりと了承すると思っていたので否定は予想外だった。
「何で、」
静雄が口を開いたその時、アナウンスが次の駅名を告げる。新宿だ。
臨也は静雄の腕を掴み、無理矢理席を立たせる。
「臨也、」
扉まで強引に引っ張られ、周囲の客が場所を空けた。しん、とする電車内。
電車が到着し、扉が開いたのと同時にホームへ引きずり出される。
「臨也…っ」
静雄の制止を聞かず、臨也は腕を引いて、どんどんと駅を進んで行く。掴まれた腕は痛みに鈍い静雄にでさえ痛かった。
「おい、臨…」
「黙れ」
「……」
静雄は黙り込むしかない。
手を振りほどくのは簡単だ。自分の方が力はずっと上だったから。
けれど静雄は逆らわなかった。いつだって静雄は臨也には逆らえない。昔から。
臨也のマンションに着くと漸く手を離された。
じわり、と腕に痛みが広がる。ひょっとしたら痣になっているかも知れない。
掴まれていた箇所を撫でながら臨也の顔を見ると、臨也は無表情で静雄を見詰めていた。冷たい目で。
腕を離されたと思ったら、次は手を引かれる。臨也は静雄の手を引いて寝室の扉を開けた。中に体を押し込まれ、後ろ手に扉が閉まる。
寝室は女の匂いでもしてるかと思ったが何もしなかった。それでも静雄はベッドには近付かず、臨也の方を振り返る。
「女がまだいるとでも思った?」
臨也は笑い、静雄を乱暴に抱き寄せ、ベッドへ押し倒した。静雄の体がスプリングの音と共にベッドへ沈む。
「セックスもキスもしていないよ」
安心した?と笑顔で言うのに、静雄は顔を逸らした。
「…関係ねえよ」
ベッドに押し倒されて、自分は何をしてるんだろう。何故いつも抵抗しないのか。
ベッドは臨也の匂いがする。香水だけじゃない、臨也自身の匂い。
臨也は馬乗りになったまま、静雄の顔を見下ろした。手を伸ばすとゆっくりと指で静雄の頬を撫でる。その指先は冷たかった。
「なあ、」
「なに」
「なんであんなことするんだ」
静雄は視線を臨也へと戻した。臨也の手が止まる。
「あんなこと?」
「わざわざ女といるの見せたりとか」
静雄の声はいやに淡々としていた。その声に自身でも少し驚く。
臨也は指で静雄の唇を撫でた。かさついたそれに目を細める。
「シズちゃん俺のこと好き?」
静雄の問いには答えず、臨也は逆に聞いてきた。今更な質問を。
「…好きじゃない」
対して静雄の答えはいつも同じだ。臨也はそれに低く笑い声を漏らした。
「嘘つきだ」
「手前だって」
言わないじゃないか。嘘ばかりついて。
「だからさ」
臨也は不意に手を離し、静雄の上からどいた。ぎしり、とベッドが揺れる。
「言わないなら、確認するしかないだろう?」
「…んだよそれ」
臨也は唇を歪め、意地の悪い笑みを浮かべる。静雄はベッドから身を起こした。
「そんなことの為にあんなのすんのかよ」
「あの時のシズちゃんの目、良かったよ」
目は口ほどに物を言うって本当だ、と臨也は笑う。
静雄は沸き上がる嫌悪感にうんざりし、額を手の平で覆った。本当に鬱陶しい。こいつもう死ねばいいのに。
「手前とはもう付き合えねえ…」
「嫌だって言っただろう?」
臨也はベッドに腰を掛けて静雄の顔を覗き込んだ。こんな時でも笑みを浮かべている。楽しげに。静雄にはそれが気に入らないのだ。
「何でだよ」
静雄は臨也をきつく睨みつけた。あんなことを平気でして、嫌だと言って笑う神経が静雄には理解できない。
「なんでだと思う?」
笑う臨也の目は赤く冷たい。顔は笑みを形作っているのに、感情なんてないみたいに見えた。静雄がそう感じるだけなのかも知れないけど。
「知るかよ。手前の考えは俺には分かんねえ。いつだって」
静雄は疲れたように溜息を吐いて目を反らす。いつだって、理解したことなんてない。
「それはお互い様だろう?」
臨也は片方の眉を吊り上げた。手を伸ばして静雄の顎を掴むと、自身の方に向かせる。
視線を無理矢理合わされて、静雄は目を丸くした。
「俺だってシズちゃんが何を考えてるか何て分からないよ。シズちゃんは俺に何も言わないからね」
臨也は赤い双眸を細め、静雄の顔をじっと見る。何かを探るみたいに。
「……」
臨也の端正な顔を、静雄はただ黙って見詰め返した。
この男も、不安になったりするのだろうか。
相手の気持ちが分からず、苛々したりするのだろうか。
「シズちゃん」
臨也の手が静雄の頬に再び触れる。冷たい手。
「俺のこと好き?」
二度目のこの問いに、静雄は目を何度か瞬かせた。
臨也の赤い目は真っ直ぐに静雄を見詰めて来る。
「…好きだって言ったら、あんな真似やめんのかよ」
「多分」
静雄の言葉に、臨也は微かに口端を吊り上げた。
何が多分だ。
静雄はちっ、と舌打ちをする。本当に昔から臨也は自分勝手だ。八年もの間、いつだって静雄は傷付けられたり、振り回されたりしてきた。うんざりするくらいに。
「…絶対言わねえ」
だから、絶対言ってやらない。
好きだなんて。
静雄の言葉に臨也は僅かに目を見開き、やがて口角を吊り上げて笑った。
「シズちゃんは本当にしょうがない子だ」
「うるせえ」
静雄はそっぽを向く。僅かに頬が赤いのを、本人は知らない。
「シズちゃんが言わないなら、俺も言わないよ」
まあ、もうそれが答えなんだけどね。
臨也はそう笑うと、ポケットから何かを取り出した。それをそっぽを向いたままの静雄へ見せる。
「シズちゃんにこれをプレゼントするのは二回目だ」
差し出されたのはオレンジ色の携帯だった。静雄はそれを見て目を丸くする。
「データは俺のだけ入ってるから」
臨也はそう言って、はい、とそれを差し出して来た。
静雄はそれを暫く見下ろし、やがて舌打ちをして受け取った。突っ返す、なんて出来なかった。臨也相手に。
「…手前は昔からちっとも変わってねえな」
本当に本当にうんざりする。この男の勝手さも。拒否できない自分にも。
「シズちゃんはそんな俺が好きなんだよね」
昔と同じ言葉を口にして、臨也は静雄の顔に触れた。揶揄するみたいな笑みを浮かべて、酷く楽しげに。
「…好きじゃねえよ」
静雄はきつい眼差しで臨也を睨み、眉間に皺を寄せる。何度言われても、静雄の答えはいつも同じだ。『好きじゃない。』
それに臨也は低い笑い声を漏らした。静雄が臨也に聞いてきても、多分同じ言葉を答えるだろう。
「シズちゃんは嘘つきだ」
「手前もだろ」
そう言って静雄は目を閉じる。目を閉じる瞬間に、臨也の顔を近付いて来るのを感じながら。
きっと自分たちは変わらないのだろう。この関係は。今までの八年間がそうだったように。
いつか素直に言える日が来るのだろうか。
お前が好きだと。


間近に臨也の吐息を感じ、やがて唇が重なった。


(2010/09/24)
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