まだ言葉というものに怯えたままのぼくから、 【臨也side】 隣を見ると静かな寝息を立てている男が目に入った。 金の髪が寝息の為にふわりと揺れ、長い睫毛は今は閉じられている。 臨也は手を伸ばすと静雄の頬に触れる。温かい頬。もしかしたら自分の手が冷たいのかも知れない。 起こさないようにベッドから出ると、床に投げ出していた衣服を身につける。 始発は何時だったか、と考えながら時計を見るともうすぐ4時。 床に散らばった静雄の衣服をソファーに置くと、足音を立てないようにベッドに近付いた。 いつもきつい眼差しで自分を睨んで来る瞳が今は閉じられている。薄暗いこの部屋でも、涙の跡が見えた。 臨也は傍らに跪くと、涙の跡に優しく口づける。身体のあちこちに残る細かな傷にも柔らかく口づけた。 「おやすみ、シズちゃん」 囁くようにそう言うと、臨也は静雄の部屋を出た。 臨也は情事の後は絶対に泊まらない。 そのことで静雄が何か思っていることは分かっていたが、泊まらないのはもう意地みたいなものだ。 普段は殺し合いをしている相手なのだし、生温いこの関係に少し戸惑っているのも事実で。 初めて抱いたのは高校の時だ。 抵抗されたし強姦まがいだったが、本気で相手が抵抗していたら自分に命はないし、合意みたいなものだと思っている。 身体の相性が良かったのかやめられなくなってしまったのは誤算だった。 お陰で中途半端で曖昧な関係になってしまい、臨也は少し後悔している。 ――…自分は少し溺れているのかも知れない。 掠れた喘ぎ声も、潤んだ瞳も、シーツを握り締める白い指も。今も思い出すだけで体が熱くなる。 最近では体を重ねる回数も増えた。 あちらからは一切こちらを求めて来ないのも、苛々している。まるで自分だけが溺れているようで。 臨也は駅までの薄暗い道を歩きながら、深く溜息を吐いた。 ここ数日、池袋を徘徊してもあの男に会わない。 勿論毎回毎回見付かるわけではないが、何だか気味が悪い。 彼の上司が一人でいるのも見たし、標識や自販機が壊れていないのも気になった。 携帯に電話してみるも通じない。 暫く自分からは会わないようにしようかと思っていたのだが、アパートを訪ねて見る事にした。 アパートの前に行くと真っ黒なライダースーツがウロウロしているのが目に入り苦笑する。 声を掛けると、静雄が連絡取れないとかなり心配していた。さすがに鍵を無断で開けたりは出来ないらしい。 この様子だと部屋には誰も居ないのだろう。ひょっとしたら病気か何かで倒れている可能性はあるが。 しかし親友であるこの首なしライダーにも連絡がないとは。少し嫌な予感がして、臨也は合い鍵で扉を開けた。 家の中はがらんとしていた。静雄は家と言うのはただの寝る所と思っているらしく、家具も必要最低限しか置いていない。 やはり家主は不在で、ベッドも綺麗なままだった。 ふとテーブルの上を見るとオレンジの携帯の残骸。 それを見た瞬間に、サァッと臨也の血の気が引いた。 「シズちゃんはいつから連絡取れてないのかな?」 苛々しながらセルティに問う。 セルティもテーブルの上の残骸を見て息を呑んだようだ。 PDAで静雄が十日ほど前から連絡が取れないことを伝える。最後に来たメールで、暫く居ないから心配するな、と言ってきたことも。 臨也は携帯で情報を集め始めた。十日前ならまだ目撃談もあるかも知れない。 セルティがPDAで何度も話し掛けて来たが、答える余裕もなかった。 やがて彼女は出て行ったようだが、それさえも臨也は気付かなかった。 セルティから静雄の家でのことを聞いた新羅は笑顔で頷いた。 「臨也が動いたなら大丈夫だよ。今日中に静雄の行方は分かるかもね」 『分からないんだが。二人はあんなに仲が悪いのに、何故臨也は静雄を探すんだ?』 セルティはPDAを新羅に見せながら首を傾げる。 「あいつらの深層心理は複雑なのさ。二人はああ見えてお互いに依存しているから。多分臨也の方が依存度は高いけど」 『そうなのか?』 「静雄はキレたりしなきゃは普段は割とクールだからね。臨也があんなじゃなかったら、きっと眼中にも入ってないよ。つまり今のあの二人の関係は臨也の涙ぐましいアプローチによるものなんだよ」 『何だか恋愛みたいだな』 恋愛なんだけどね、と新羅は心の中で。 「今回のは静雄が何らかの展開を求めての行動じゃないかな。均衡していた関係を打破する為の」 『どうなるんだろう』 「それは神のみぞ知る。と言いたいとこだけど、想像つく範疇だね。だって臨也の方が依存しているわけだから…」 新羅はそう言うと二人の旧友を思い浮かべながら笑った。 臨也は暗い海があまり好きではない。 海自体が大きすぎて、自分がちっぽけな人間に過ぎないことを見せ付けられる気がする。 灯台の明かりや船の光りが暗い海にチカチカと煌めくのを見ながら、砂浜をゆっくりと歩く。 空には満天の星で、そういえば今日は七夕だったな、と思う。年に一度しか会えないなんて、滑稽なことだ。 目的の人物はその星の下に居た。 足を海につけてぼんやりと佇む彼の姿は、暗い海にそのまま呑まれそうだ。 情報通り、トレードマークの一つの金髪が、今は茶色。 「楽しい?」 声をかけると、肩が微かに震えたのが分かった。 彼はゆっくりと振り返り、その目に自分を映した。 「臨也」 静雄は感情の篭らない声で自分の名を呼んだ。 「髪、どうしたの」 静雄の髪の毛を差して問う。自分たちが出会った時、既に静雄は金髪だった。今のこの姿はまるで知らない人間のようで、臨也は気に入らない。 「染めた」 「見れば分かるよ」 「金髪は目立つから」 「逃げるのに?」 口にして、少し意地悪な問いだったろうかと思う。 静雄は答えず、ただ目を伏せた。 「まさか本気で逃げられるとは思ってなかったでしょ」 「ああ」 「何で逃げたの」 「……」 暫く二人の間には波の音だけが響く。 静雄は海から上がって裸足のまま、臨也の傍に来た。 「俺を脅すの?」 この生温い関係に浸かっていた自分を。 その問いに、静雄はぐしゃりと笑った。臨也は目を見開く。 臨也が知る静雄の表情は怒りに満ちたものばかりで、彼がこんな風に笑うのを初めて見た。 ああ、俺は試されているのか。 臨也は悟る。これは脅し何て言う生易しいものではなく、最終通告なのかも知れないと。 「ほんと、シズちゃんは予想不能だ。」 臨也は苦笑した。 「何が」 「降参だってことだよ」 臨也の言葉に静雄が首を傾げる。 彼は本当に分かっていないのかも知れない。静雄はいつも無意識のうちに臨也を追い詰める。 臨也はその事実に静かに笑い、腕を伸ばして静雄の頬に触れた。 「臆病なシズちゃんに、一つイイコト教えてあげる」 「?」 「シズちゃんが居なくなったって知って、めちゃくちゃ焦っちゃった。凄い必死に探した」 初めて自分の気持ちを口にする。静雄の目が驚きで丸くなった。 臨也の手はそのまま下りて、静雄の赤い唇を撫で、上唇の中を少しだけ触れた。 「シズちゃんだって、分かっていたくせに」 俺がどんなに君を愛しているか。 そして俺は知っている。どんなに君が俺を愛しているか。 臨也は目を閉じると、赤くなった静雄に口づけた。 (2010/07/07) ×
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