まだ言葉というものに怯えたままのぼくから、 【静雄side】 目が覚めたら独りだった。 痛む腰に舌打ちをして身を起こす。 腿を伝う白濁の液体にうんざりしつつ、シーツを剥いで拭った。 窓から見える薄暗い空に時計を見ればまだ6時過ぎ。 まだ出勤には早い時間だが、身体の後処理をしなければならない。 溜息を吐いて浴室に行くと、シーツを洗濯機に突っ込んで熱いシャワーを浴びた。 後孔に指を突っ込んで、白濁の液体を掻き出している時が一番惨めで屈辱だ。 まだ数時間前の情事は、静雄の身体のあちこちに鬱血の跡を残す。これも一日経てば消えてしまうのだけど。 腕にも足にも僅かに傷が遺っていて、心底うんざりした。 不本意ながらも知り合って8年、気まぐれで肉体関係を結んで随分と経つが、一度も優しく抱かれたことなどない。優しく抱かれたらそれはそれで気持ちが悪いが、目が覚めたらいつも独りなのは少し寂しい。そしてそんな風に思う自分に死にそうになる。 いつからこんな風に思うようになったのか。どんどん自分は弱くなっている気がする。 こちらから誘ったことはなく、いつもあちらの気まぐれでの行為。ここ最近回数が増えていて、拒めない自分に苛々した。 あの冷たく蔑んだ眼差しが静雄の心を蝕んでゆく。紅い双眸は全てを見透かしているようだ。否、見透かしているのだろう。 ――…居なくなりたい。 不意に思う。 こんな馬鹿馬鹿しい願望を、最近頻繁に考えるようになった。 シャワーを止めて、湯気で曇った鏡を見ると、腑抜けた顔の自身が写っていた。気持ち悪い。 浴室から出ると乱暴に身体を拭く。濡れて色の濃くなった金髪からは、水がポタポタと床を濡らす。 時計を見ると、もう7時だ。意外に長くシャワーを浴びていたらしい。 静雄は携帯を取ると、上司に今日は休ませてくれないかとメールを打った。本来なら電話なのが筋だが、今は誰とも話したくなかった。 新しいシーツを棚から取り出して、静雄はベッドに倒れ込む。 今はもう何も考えたくない―…。静雄はやがて目をつぶり、意識を手放した。 頭を洗い流し、鏡を見れば茶髪の自分。 金髪以外の自分を見るのは何年ぶりだろう。 Tシャツに腕を通し、ジーンズを履く。どれもこれも久しぶりだ。 なんだか気分が楽になり、鼻歌が出てくる。まるで違う人物になったようだ。 少し大金の入った財布を手にし、携帯を開く。 上司、弟、友人の首なしライダーにメールを短く打つと、携帯をテーブルに置く。そしてそれを拳で叩き割った。 無残にも飛び散るカケラ。 静雄はそれをもう視界に入れることなく、部屋から出て行った。 メールを受け取ったセルティは慌てた。 何かあったのではないかと新羅に相談するも、 「静雄だって子供じゃないんだから、様子を見よう」と宥められてしまう。 そう言えば最近元気がなかった気がする。 考えれば考えるほど心配になり、セルティは情報屋に相談しようか悩むが、静雄と仲が悪い彼に聞いても無駄だろうとやめた。 静雄の携帯にメールをしても返事は来ず、さすがに丸十日連絡が取れないことに不安が募り、静雄のアパートまで来ていた。 ノックをしても返事も無く、勝手に鍵を開けて中に入るのは躊躇われる。 どうしたものかと思案していると、 「おや。運び屋がシズちゃんちに用事かい?」 全身黒ずくめの青年が立っていた。 静雄と連絡が取れないので中に入りたい旨を伝えると、彼は家の鍵を取り出した。 何故仲が悪い彼が静雄の家の鍵を所持しているのか疑問に思って尋ねると、本人に貰ったと至極普通の返答が返ってきて面食らう。 静雄が自身の天敵に合い鍵を何故渡したのか、そのような疑問にはとりあえず今は蓋をし、情報屋の男と共に中に入った。 中は人の気配が無く、意外に綺麗に片付いていた。 少し空気が澱んでいて、家主が暫く不在な事が感じられる。 「…シズちゃんはいつから連絡取れてないのかな?」 酷く不機嫌な声色にそちらに目を向ければ、臨也がテーブルの上を睨んでいた。 釣られてセルティもそちらに目を移す。 テーブルの上には粉々になったオレンジの携帯が置いてあった。静雄自身がやったのだろう。こんな芸当が可能な人間を、セルティは他に知らない。 臨也は何故か目に見えて苛々し始め、余裕無く携帯を弄る。セルティが幾度か話し掛けても、聞こえて居ないのか無視をしているのか、答えない。 セルティはとりあえず新羅に報告をしようと、静雄の部屋を出た。 静雄は海が好きだった。 砂浜に座り込んで、真っ暗な海を見ている。 灯台の明かりや船の光りがチカチカと綺麗だった。 空も海も真っ暗で、空には満天の星だ。そういえば今日は七夕だったかもしれない。 しちがつなのか。年に一度、織姫と彦星が会う日。 池袋では絶対に有り得ない空に、全ての喧騒を忘れさせた。 スニーカーを脱いで、夜の海に足を浸ける。水は冷たくて気持ちが良かった。波が足の下の砂を連れてゆく感触は、少しだけ不快だったが。 捲り上げなかった為、ジーンズの裾が濡れてしまった。衣類が僅かに重く感じる。 「楽しい?」 不意に声をかけられた。暗い暗いこの砂浜で、他に人はいない。 自分に話し掛けているのだと理解し、静雄は振り返った。 そこには予想通りの人物がいた。黒ずくめの。 「臨也」 意外に早かったな…とぼんやりと思いながら、静雄は在り来りに名を呼ぶ。 「髪、どうしたの」 声に不快感を隠しもしない。 「染めた」 「見れば分かるよ」 臨也は月を背に立っていて、少しだけ逆光だ。 「金髪は目立つから」 「逃げるのに?」 そう問われたが、静雄は答えない。答えないのが肯定になる。 「まさか本気で逃げられるとは思ってなかったでしょ」 「ああ」 「何で逃げたの」 「……」 暫く二人の間には波の音だけが響いた。 静雄は海から上がって裸足のまま、臨也の傍に来る。 臨也の赤い目が細められた。 「俺を脅すの?」 唇でいつものように笑みを作る。しかし目は笑っていない。 対して静雄はぐしゃりと笑った。 ああ、やはり臨也は知ってる。気付いている。 自分がこの男を好いている事を。 そう思うと笑ってしまう。 静雄の笑みに臨也は驚いたようだったが、やがて苦笑を浮かべた。 「ほんと、シズちゃんは予想不能だ。」 「何が」 「降参だってことだよ」 臨也の言葉に静雄が首を傾げる。それに臨也は静かに笑い、腕を伸ばして静雄の頬に触れた。冷たい頬。 「臆病なシズちゃんに、一つイイコト教えてあげる」 「?」 「シズちゃんが居なくなったって知って、めちゃくちゃ焦っちゃった。凄い必死に探した」 告白に、静雄の目が驚きで丸くなる。 臨也の手はそのまま下りて、静雄の赤い唇を撫で、上唇の中を少しだけ触れた。 「シズちゃんだって、分かっていたくせに」 近づいて来る臨也の唇に、静雄はゆるりと目を閉じた。 (2010/07/07) ×
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