3. トントン。 二回のノックをして、新羅は扉を開けた。意外にも鍵が掛かっていない事に驚きながら、中へと入る。 客人用の寝室には金髪にバーテン服の男がこちらに背を向けて立っていた。どうやら窓を開けて煙草を吸ってるようだ。ふわりと白い煙が頭上に見える。 「静雄ってば、部屋で煙草吸わないでって言ったじゃないか」 新羅はわざとらしく目の前でパタパタと手を振った。部屋がヤニ臭くなるのは困る。リビングならまだしもここは客室だし。 新羅の言葉に、静雄が不機嫌そうに振り返る。 「セルティが吸ってもいいって言ったぞ」 「セルティが…?ならしょうがないなあ」 新羅は溜息を吐いた。全くセルティは静雄に甘いんだから! 「あいつ帰ったのかよ」 「あいつ?」 「臨也」 「ああ」 成る程。煙草でも吸わないとやってられないのだろう。存在が気になって。 「会ってあげれば良かったのに」 「嫌だ」 静雄はにべもない。先の短くなった煙草を、携帯灰皿へと押し付けて消した。 「でもあれ気付いてたよ。君がここにいるの」 新羅はそう言って苦笑いを浮かべる。曲がりなりにも臨也は情報屋なのだ。静雄はただでも目立つのだからここへの出入りなんてとっくに分かっているだろう。 静雄はそれには何も答えずに、窓から外を眺めた。空は茜色でもうすぐ夜がやって来る。窓から時折吹く風が、静雄の金髪を揺らした。 「臨也に抱かれたって本当なの?」 新羅が思い切って問うと、静雄が今にも殺しそうな目で睨んできた。もうその睨みが答えになってしまっていて、新羅は苦笑する。 「本当なんだね」 「あいつ…お喋りだな」 ちっと舌打ちをして静雄は目を反らす。頬が僅かに赤いのは外の夕陽のせいではないだろう。 「どうするつもりなの?いつまでも逃げていられないよ」 新羅は開けっ放しの扉に背を預け、溜息を吐いた。 「別に逃げてるつもりはねえよ」 静雄は歯切れが悪い。 全く、臨也も静雄もらしくなくて気持ち悪いなあ。 新羅はなかなか酷い事を思いながら、真顔になった。 「じゃあちゃんと臨也と向き合いなよ。無かったことにしたいならそう頼むといい。好きだと思うならそう告げればいい。どちらにしろ臨也本人がいないと叶わないけどね」 「……」 新羅の言葉に静雄は黙り込む。眉を顰め、小さく舌打ちをした。何が好きだと思うなら、だ。別に好きじゃない。あんな男のことなど。 「まあ俺は、」 不意に新羅の後ろから聞き知った声がした。静雄はその声に目を見開き、弾かれたように顔を上げる。 「無かったことになんかしないけどね?」 そこには折原臨也が真っ黒な出で立ちで立っていた。赤い双眸を細め、口角を吊り上げて。 「なんで手前が居るんだよ」 ギリっと静雄の唇から歯軋りが聞こえた。ぎゅっと拳を握り締める。 「だって静雄に会わないうちは帰らないなんて言うんだもの」 新羅は肩を竦めた。静雄に向かってごめんね、と手を合わせるが、ちっとも悪びれていない。 「まあ本人に文句でも何でも言うといいよ。じゃあね!」 新羅はそう言って中に臨也を入れ、扉を閉めて出て行ってしまった。パタパタとスリッパの音が廊下へ消えて行く。静雄に攻撃される前に逃げたのだろう。 「何の用だよ」 静雄は深く溜息を吐くと、再び窓へと視線を移した。外はさっきよりも夜の色が濃く、夕闇が空を支配している。ぽっかりと真っ白な月が浮かんでいた。 「久し振りだね」 臨也は口端を吊り上げ、真っ白なベッドに腰掛ける。スプリングがギシッと音を立て、臨也の体も揺れた。 「ずっと新羅の家に泊まってたの?」 「……」 静雄はそれには答えず、煙草を取り出すと先端に火をつける。ふぅーっと煙を口から吐き出した。 「久し振りって、まだ10日ぐらいしか経ってねえだろ」 部屋にメンソールの煙草の香りが広がり、臨也は目を細める。 「十分長いよ。今の俺にとってはね」 「今のってなんだよ」 静雄は苛々と煙草を吹かす。コメカミに筋が浮かんでいて、相当機嫌が悪いらしい。 「俺さあ、シズちゃん」 臨也はベッドに手をついて、片足を組む。赤い双眸は真っ直ぐに静雄を見上げていた。 「シズちゃんをもう一度抱きたいんだけど」 「死ね」 即座に静雄から返って来る不穏な答えに、あははと臨也は笑う。 「酷いなぁ、シズちゃん。こないだはあんなに気持ち良さそうだったのに」 臨也がそう言った途端、電気スタンドが飛んできた。避けたそれは壁にぶつかって粉々になる。新羅が見たらさも嘆くことになるだろうな、と横目に思った。 「忘れろ。思い出したくない」 「無かったことにはしないってさっき言ったよねえ?」 今にも殺しそうな静雄の睨みを正面から受け止め、臨也は口端を吊り上げる。二人の間に不穏な空気が流れた。この空気で平気なのは新羅くらいだろう。 「手前にとっても男を抱いたなんて黒歴史だろうが」 ちっと舌打ちをして、静雄は煙草を口に銜える。殆ど吸われていない煙草はもう短くなっていて、灰が床に落ちた。 「俺はシズちゃんなら良いかなって思ってるよ」 さらりとそう言って、臨也は笑う。ずっと臨也を睨みつけていた静雄の眼差しが、キョトンと子供みたいになった。 「…なんだよ、それ」 「男相手に欲情するわけないじゃない」 臨也はベッドから立ち上がると、窓際に立つ静雄へと一歩近づいた。 静雄が怯えたように臨也を見遣る。背中が窓じゃなければ後退していただろう。 「抱きたかったのはシズちゃんだからだよ」 臨也の顔はいつもの笑みを浮かべている。余裕そうなその態度に、静雄はまた苛立った。 静雄はすっかり短くなった煙草を灰皿で揉み消す。臨也に何と言ったら良いか分からなかった。色んな文句や悪態が頭に浮かぶが、言葉にならない。 「俺にもこんな人並みの感情があったなんて驚きだよね」 「…なんの感情だよ」 確認なんてしたくなかったのに、勝手に問いが口から出た。静雄はサングラスの奥の目を細め、じっと臨也を見る。 「誰か特定の一人に対しての恋とか愛とかだよ」 臨也はそう言って笑う。自嘲するようなその笑みは、目だけが真剣だった。 「…手前がそう言うの、気持ち悪いな」 やっとのことで搾り出した言葉は、酷く単純なものだった。 「分かってるよね?」 近付いて来た臨也の白い手が、静雄の細い手首を掴む。びくっと静雄がその手を引いたが、それはぶれなかった。 「シズちゃん」 「…っ、」 熱く掠れた声で名前を呼ばれ、静雄は身を震わす。手首を掴む臨也にも、それは伝わっただろう。 「特定の相手は誰かなんて、」 「……」 「名前を言わなくても分かるよね?」 「…俺っ、は、」 臨也が手首を離し、静雄の両肩を掴んだ。間近に端正な顔が見詰めて来るのに、静雄は体を硬直させる。 「好きだよ」 そう告げられ、静雄が口を開く前に、唇を塞がれた。サングラスの青いレンズ越しに、臨也の長い睫毛が見える。赤い目は薄く伏せられてはいたものの、静雄をじっと見ていた。 舌先で唇を突かれて、僅かに開くと舌が入り込んで来る。奥にある静雄の舌を探し出され、ねっとりと絡ませられた。 「…んっ、」 時折キスの合間に漏れる自分の声に羞恥で赤くなる。臨也の目を見ていられなくなり、静雄はきつく目を閉じた。 「シズちゃんの唇は甘いね」 やがて唇を離すと、臨也は静雄の耳元に顔を寄せる。ぺろっと静雄の耳たぶを舐めてやると、静雄の体が震えた。 「シズちゃんも俺のこと好きだもんねえ?」 「…は?何言ってんだ」 「だってシズちゃんは好きでもない男に抱かれたりする奴じゃないだろう?」 臨也はくぐもった笑い声を出すと、静雄の顔を覗き込んだ。 静雄はきつい眼差しで臨也を睨みつけている。とても怖い顔なのに、頬が少し赤い。 「別に好きじゃねえし」 「じゃあ嫌いなの?え、俺傷つくなあ」 「俺は、」 静雄は赤い顔を手で隠す。羞恥でいたたまれない。耳まで熱い。ああああ、本当にウンザリする。今この目の前で笑っている折原臨也という存在を消してしまいたい。 「俺は?」 臨也は口角を吊り上げ、厭味な笑みを浮かべている。目だけが笑っていないのを、本人は気付いているのだろうか。 「俺は…、」 そんな臨也の赤い目を見て、静雄は口を開く。 「一生言わねえ。手前には言ってやらねえ。そんなに聞きてえなら言わせて見ればいいだろうが」 自身の赤い頬を手の甲で隠しながら、静雄は口端を僅かに歪めて笑ってやった。 臨也の赤い目が驚きで見開かれる。 「…それってさあ」 「なんだよ」 「いや」 臨也は肩を竦めて笑った。口にはしない。口にしたらきっと怒るだろう。 それって、一生付き合えってことなのかな?なんて。 「シズちゃん」 臨也は不意に静雄の腕を引っ張って、ベッドに押し倒した。驚いて目を見開く静雄の体に、そのまま覆い被さって来る。 「っ、おいっ」 静雄は慌てて臨也の肩を押しやろうと上を見上げ、その赤い目を見て動きを止めた。 臨也の双眸は酷く真摯で、じぃっと揺るぐことなく静雄を見下ろしている。 「臨也」 「愛してあげるよ」 「――…」 その言葉に、静雄は一瞬で顔を赤らめた。目を逸らして何やら悪態をつき、悔しそうに唇を噛み締める。 臨也はそれに笑って、手を伸ばして静雄のサングラスを取った。現れた瞳は逸らされたままだったが、少しだけ潤んでいるのが可愛らしい。 臨也の肩を掴んでいた静雄の手が、やがて諦めたようにシーツに落ちた。 「…痛かったら殺す」 「優しくするよ」 シーツに落ちた手を背中に回してやり、臨也は静雄の衣服を脱がせてゆく。晒された真っ白な首筋に、顔を埋めた。 静雄に好きだと言わせるのは相当骨が折れるだろうな、と思いながら。 暴れたと思ったら言い争う声が聞こえて、今度は急に静かになった。 リビングで新しく入れたお茶を飲みながら、新羅は嫌な予感でいっぱいだ。 あの部屋にはベッドがあるし、臨也なら他人の家でもやりかねない。静雄は流されやすいところがあるし…。 あーあ、本当あの二人にはまいるよ。 新羅は取り敢えずテレビをつけた。喘ぎ声なんて聞いたりしたら鳥肌が立ちそうだ。 シーツと壊れた備品は弁償させるとして…。 お茶を啜りながら考える。 このタイミングでセルティが帰ってきませんように! その願い虚しく、数分後には彼の愛しい人が帰宅する。親友に会うのを楽しみにしながら。 たくさんの好きと、たくさんの愛を、きみに (2010/09/16) ×
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