HONEY 2 静雄はファーストフード店の窓際でぼんやりと外を見ていた。 空になったシェーキの容器が目の前に置かれている。これが今日の夕飯だ。何だか食欲が無くて、他の物は食べる気が起きなかった。 窓から見える雑踏は、いつも通りの池袋の風景だ。皆何か目的があって、忙しなく行き交う。色々な感情を持って、歩いている。 「それ、夕飯なの?」 声がして顔を上げれば、酷く端正な顔立ちをした男が立っていた。いつもの笑みを浮かべて。 「臨也」 「久し振り」 臨也は驚いた顔の静雄を笑って見下ろし、向かいの席に腰を下ろす。 静雄は警戒心から、眉間に皺が寄った。 「何座ってんだよ」 「一ヶ月振りくらいかな?いや、もっとか」 臨也は手ぶらだ。仮にも飲食店だと言うのに。 「ジャンクフードは嫌いでね」 何て言う臨也に、知ってるよと思ったが、静雄は口に出さなかった。 ざわつく店内で二人の綺麗な顔の男が、無言で睨み合っている。きっと端から見たら異様な空気だろう。 「シズちゃん痩せたね、少し」 「気のせいだろ」 静雄は苛々して外を見る。喫煙席に座らなかったことを後悔していた。手持ち無沙汰だ。 「そんなのが夕飯じゃ、体壊すよ」 臨也はちらりとシェーキに視線を送る。静雄がこの店のシェーキを好きだと言うのは知っていた。 「手前には関係ねえよ」 ぶっきらぼうに言う静雄に、臨也はただ笑う。それが静雄の神経を更に逆撫でした。 「何しに来たんだよ」 静雄は臨也から視線を逸らしたまま、口を開く。ずっと連絡もなかったくせに、何を今更。 「迎えに来た」 臨也の言葉に、静雄は思わず視線を戻す。 臨也はいつものからかいを含んだ笑みで静雄を見返し、その薄い唇からまた言葉を紡ぐ。 「シズちゃんを迎えに来たよ」 「…意味が」 分からないと言おうとして、手を掴まれた。静雄は目を見開く。 「シズちゃん気付いてる?店内の何人かがこっちを見てる」 臨也の言葉に周囲を見れば、こちらを見ていた何人かと目が合った。それは直ぐに逸らされたけれど。 「窓の外を見ても、視線を感じないかな?」 外を歩く人々も、何人かがこちらを見ているのは気付いていた。あまり気にしていなかったから、何とも思わなかったのだ。 「シズちゃんが目立つのと、天敵な俺達が一緒にいるのが珍しいんだろうね」 「それとこれと何が関係あるんだよ」 静雄は乱暴に臨也の手を振り払う。 「迎えに来たんだけど、お姫様はきっと素直に来ないだろうからさ」 臨也は笑って立ち上がった。 「今からシズちゃんにキスする」 「は?」 静雄は一瞬何を言われたか分からず、ぽかんとする。 「大層目立つだろうね。周囲には見てる人も多いしさ。きっとあっという間に噂は広がるよ」 多分今手を握ったのだけで相当言われてる、と臨也は唇を歪めた。 「おい、ふざけんなよ」 静雄はコメカミに青筋を立てる。びきっと言う音がしそうだ。 「嫌だよね?こんな公衆の場でそんな目に遭うの。じゃあ素直について来てね」 臨也はにっこりと眉目秀麗な顔に微笑みを浮かべると、静雄の手を取って立ち上がらせた。 まだ何か文句がありそうな静雄を、強引に引っ張って店外へ出る。 雑踏を抜け、横断歩道まで来ても、引いた手は離れない。静雄が少し力を入れてみたが、臨也はぎゅっと握り返して来た。離す気がないらしい。 駅前まで行くと、そのままタクシーの中に押し込まれた。「西新宿まで」と臨也が告げ、車が走り出す。 静雄は終始むすっとして窓の外を見ていた。臨也はそれに苦笑する。 静雄が新宿のマンションに自分から来るようになるまで、臨也はいつもこうやって半ば強引に連れて来ていた。鍵を渡してからも、なかなか素直に来ないのに苦労した記憶が甦る。 いつだって静雄は思い通りにはなかなかならず、臨也はそれらを思い出して笑みを浮かべた。こんな苦労や労力さえも、臨也には楽しい。 やがてマンションに着き、中に連れ込むまで、静雄は一切口を聞かなかった。彼なりの抵抗なのだろう。 中に入り、玄関で靴を脱ぐと、臨也は静雄を強引に引き寄せた。少し乱暴に背中を廊下の壁に押し付けて、そのまま唇を重ねる。 「…んっ」 唇から舌を侵入させ、ゆっくりと口腔を舐める。静雄の口から漏れた甘い声に、臨也は熱情に駆り立てられるのを感じた。 久し振りに味わう唇は甘い。唾液の味も、唇の柔らかさも、自分が覚えていた味だ。 薄目を開けると、長い睫毛が目に飛び込んできた。ぎゅっと目を瞑って、顔を赤くしている。いつまで経っても、反応は初々しい。 タイを外し、ボタンも外して手をシャツに滑り込ませると、初めて抵抗らしく身動ぎをした。 「お前、本当にこればっかだな」 唇を離し、静雄はうんざりしたように言う。これ、と言うのはセックスの事なのだろう。 「嫌なの?」 「嫌だ」 「そう。じゃあいいよ」 臨也は体を離す。 あっさり臨也が退いたので、静雄は拍子抜けをする。 チッと小さく舌打ちをすると、はだけられた衣服を手で押さえ、臨也の横を通り抜けて出て行こうとした。 臨也の手が静雄の腕を掴む。 「どこ行くの」 「帰る」 「なんで」 「しないなら俺は要らないだろ」 静雄の言葉に臨也は少し驚いたようだ。だが直ぐにその目は剣呑に細められる。 「俺がセックスだけだと思ってるんだ?」 臨也が腕を掴む手に力が入り、静雄は黙り込む。至近距離の顔で、臨也が本気で怒っているのを知った。 「…違うのかよ」 「セックスだけなら女を抱くよ」 バカじゃないの、と臨也はきつく静雄を睨みつける。 静雄は動揺し、視線をさ迷わせた。 「じゃあなんで、」 そう口にして黙り込む。その先は言ってはいけない気がした。 だが臨也にはばっちり伝わったようで、口端を吊り上げて続きを言う。 「何でシズちゃんを迎えに来たか?」 臨也は掴んでいた静雄の腕を離すと、顔を覗き込むように首を僅かに傾けた。 「逢いたかったからだよ。セックス何てしなくても俺はシズちゃんと一緒に居たいし、シズちゃんと話していたいんだよ。そんなことも分からないなんて、シズちゃんって本当にバカだよね」 「うるせえ」 静雄は臨也の言葉に顔を赤くして目を逸らす。顔を覗き込まれているのが居心地が悪い。 臨也は静雄の頬に触れ、そのまま上を向かせた。唇を指先で撫でる。 「本当はセックスしたいけどさ。シズちゃん以外ともうする気ないし、一ヶ月と何日かぶりに会ったんだし。でも無理強いはしないよ」 「一ヶ月と2週間だ」 静雄は臨也の手を振り払った。僅かに頬を染めて。 「正確には48日間だよ」 臨也は笑って訂正する。「高校時代から、こんなに会わなかった期間は初めてだね?」 「覚えてねえ」 「うん。まあそう言うことにしておこうか」 臨也は静雄の手を引いてリビングに行こうとする。 「臨也」 「ん?」 「寝室でいい」 静雄は真っ直ぐに臨也を見て言う。目元が赤く、潤んでいた。 臨也はそれに口角を上げると、僅かに目を細める。 「…いいよ。行こうか」 そう言って手をゆっくりと引くのに、静雄は抵抗しなかった。 唐突に意識が覚醒した。 けほっと軽く咳込む。 どうやら何か夢を見ていたらしい。それも嫌な夢を。 体は嫌な汗をかいていた。微かに指先が震えている。嫌な夢だったと言うのは分かるのに、内容は覚えていない。 静雄はのろのろと起き上がり、軽く頭を振った。まだぼんやりとした思考が徐々にはっきりして行く。 「大丈夫?」 声を掛けられてハッとした。隣に寝ていた臨也が、ゆっくりと身を起こした。 「悪い、起こした」 「そんなの気にしなくていい」 臨也は腕を伸ばすと、静雄の頭を撫でる。金の髪を優しく梳いた。「嫌な夢を見たのかな」 「最近たまに見る」 静雄の声は暗い。でも夢の内容は覚えてないんだ、と低い声で。 「震えてるね」 臨也は優しく静雄の体を引き寄せると、そのまま抱きしめてやる。 「俺がついててあげるからさ、寝なよ」 「ん」 珍しく静雄は素直だ。怖い夢を見たせいなのか、寝ぼけているからなのか、臨也には分からない。 「シズちゃん」 「ん…」 「ずっとここに居ない?」 この言葉に、静雄の目が見開かれる。色素の薄い瞳で、まじまじと臨也を見返した。 「…なんだよそれ」 「一緒に住もうよ」 臨也はなんでもないことのようにさらりと言い放つ。あまりにも簡単に言うので静雄は言う言葉が見つからない。 「どう?」 臨也はいつものように口端を吊り上げて笑った。揶揄するような口調、余裕がある態度。折原臨也はいつもこうだ。 「嫌だ」 静雄は否定を口にする。眉間に皺が寄って、不機嫌な顔。低い怒りを抑えたような声。対して平和島静雄はいつもこんな感じだった。今は少しだけ目元が赤いけれど。 「言うと思った」 臨也は肩を竦める。静雄が一度で承諾をするわけがない。 「参考までに。なんで嫌なの」 「…なんでって」 静雄は言い淀む。逆に臨也は何で一緒に住みたがるのかが分からなかった。 「俺は一緒に居たいからだよ」 臨也は静雄の金の髪を撫でる。「本来なら24時間一緒に居たいぐらいだ。仕事なんてしないでね」 「何で一緒に居たいんだよ」 静雄は髪を撫でる臨也の手を取り、じっとその赤い目を凝視する。 臨也は少し目を見開いた。手を握られたまま、静雄の色素の薄い茶色の瞳を見つめ返す。 「…ああ…そうか」 なるほど、と臨也は唐突に思いついて唇を歪めた。なるほど、そういうことか。 「?、なんだよ」 静雄が訝しげに眉を顰める。臨也が楽しそうに笑っているのは、大抵嫌な時だ。 「いや、何でも」 臨也は口端を歪めたまま、静雄に掴まれたままの手を振りほどいた。静雄の眉間の皺が、ますます深くなる。 「シズちゃん俺がいないとちゃんとご飯食べないし、仕事忙しい時でも一緒に住んでいたらまだマシだろうし。…まああれだよ。要するに結婚しませんか、ってこと」 臨也の言葉に静雄は更に驚いた顔をした。文句を言おうと口を開く。 「バッ…」 カ、と、言う前に、唇を臨也によって塞がれた。触れるだけのそれは柔らかく重ねられる。角度を変えて。何度も何度も。 やがて唇が離されると、臨也はおとなしくなった静雄の頭を撫でる。 「勿論男同士だから結婚なんてできないけどさ。何でこういう事言われたは分かるよね?まさか好きじゃない相手に結婚しようなんて言うとは、さすがのシズちゃんでも思ってないよね?」 臨也が意地悪く笑うのに、静雄の目が丸くなる。その顔が徐々に赤くなるのを、臨也は楽しげに見ていた。 「どうかな?シズちゃん」 返事は?と優しく髪を梳く。金の髪の毛がサラサラと指を滑っていった。 静雄は軽く舌打ちをし、諦めたように臨也の肩口に額を押し付ける。目を緩やかに閉じて、息を吐いた。 おそらく、多分、あの闇医者が何か臨也に言ったんだろう。素直じゃない自分の為に。 全くお節介な奴だ。 静雄は旧友を思い描いて苦笑する。 「いつも一緒に寝てくれるなら、いいぞ」 「勿論。死が二人を分かつまでね」 臨也は笑って、静雄の背中に腕を伸ばした。 (2010/09/04) ×
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