可視光線 2






じいっと。
教室の開け放たれた窓から、臨也は外を見ていた。
時折吹く風が、真っ白なカーテンを揺らす。
放課後の教室はもう臨也しかおらず、廊下ではまだ居残っている生徒達の笑い声がしていた。
視線の先の校庭には金髪の青年が居て、まるで屍のように倒れた不良たちの真ん中に立っている。
彼は孤独な王様だ。
臨也は冷えた頭で思う。
金の髪を風に靡かせ、ただ黙ってその場に立っているだけで彼は酷く絵になった。
自分の暴力によって倒れたたくさんの人間を見て、静雄が何を思っているかなんて臨也には分からない。
悲観しているのかも知れないし、ただ憤怒しているかも知れない。
彼とは入学式に知り合い、会ったその日に殺し合いをした。臨也はその時のことを未だに鮮明に思い出せる。
それから毎日毎日この三年間、いがみ合ってきた。それこそ夏休みや冬休みもだ。臨也は彼が目障りで堪らなかったし、あちらも同じ気持ちだったろう。これはきっと運命だったのかも知れない。あの時、出会ったのは。
静雄はやがて地面に投げ出された鞄を手にすると、さっさとその場に背を向けた。振り返ることもなく、ゆっくりと校門までを歩く。
臨也はただ黙ってそれを見ていた。彼の姿がやがて見えなくなるまで、だだずっと。これまでの三年間、臨也は毎日毎日こうやって彼を見ていた。それももう直ぐ終わる。
彼等は数日後、卒業式を迎えてこの学校を去るのだ。




「あんまりさぁ、静雄を虐めないでやってよ」
新羅は呆れたようにそう言って、臨也の手に絆創膏を貼ってやった。
「俺には何のことか分からないなぁ」
臨也は口端を歪めて笑うと、肩を竦める。
「毎日毎日制服はボロボロだし遊ぶ時間もないし。普通の人間なら精神が病んじゃうね」
「シズちゃんの精神は普通じゃないからね」
「それは君にも言えるよ」
新羅は笑ってそう言い、救急箱を片付け始めた。
「それでシズちゃんはどこにいるの」
「今日は学校終わって真っ直ぐ帰ったよ。疲れてるみたいだった」
「ふうん」
臨也はつまらなそうに相槌を打ち、手の甲の傷を見詰めた。あの男によって付けられた傷はどれくらい体に留まってくれるのだろう。これがあの男自身なら数時間で治るだろうに。
「臨也ってさ」
新羅はコーヒーを注いで戻ってきた。はい、とテーブルに小さなカップを置く。
「静雄の事どう思っているの?」
「また不思議な質問だね」
臨也は笑って一口それを飲む。苦いコーヒーの味が口に広がった。
「俺がシズちゃんをどう思っているかなんて今更じゃないか」
「そうなんだけどね。でも君のそれって嫌悪には見えないんだよね」
多分、と付け足して新羅はカップに口を付ける。新羅の眼鏡が湯気で曇るのを、臨也は黙って見ていた。
「そこまで執着してさ。静雄に何を望むの?」
新羅の問いに、臨也はただ黙って唇を歪ませる。
答える気はないのだな、と新羅は軽く溜息を吐いた。
「青春時代はもう取り返しがつかないよ。君達がいがみ合ってきた三年間はもう戻らない」
「分かっているよ」
臨也はただ笑うだけだ。
「泣いても笑っても卒業まで後少しなんだよ?もう少し素直になったら」
新羅も自身で少し後悔していた。傍観者でずっといたけれど、もっと何かを言った方が良かったのではないか。二人の友人が反発しあって過ごした三年間を、もう少し何とかできたのではないか。
「新羅が何かをしても俺とシズちゃんは変わらなかったと思うよ」
臨也ははは、と静かに笑う。
そんな臨也を見ながら、新羅は深く溜息を吐いた。
確かにその通りなんだろう。この二人は互いしか見ていないから、第三者の意見など聞かないかも知れない。
それでも新羅は後悔しているのだ。傍観者だったことに。



屋上の手摺りに腕を掛けて、静雄は黙って空を見ていた。遠くで授業開始のチャイムがする。それでも静雄はその場から動かなかった。
真っ青な空に、赤い風船が浮かんでいた。どこかで子供が手放したのだろう。風船は高く高く逃げていく。
「シズちゃん」
この世で一番大嫌いな声に、静雄はぴくりと体を揺らした。
無視をして空を眺めていると、背後から笑い声が響いて来る。
「シカトとか酷いなぁ、シズちゃんは」
「うるせえ。こっちに来んな」
あはは、と尚も笑い、臨也は静雄の隣にやって来てしまった。静雄は盛大な舌打ちをする。
臨也も静雄と同じく手摺りに手を掛けて、じっと空を見上げた。
空はどこまでも高く、青かった。先程まで静雄が見ていた風船はいつの間にか行方不明だ。
二人は黙ったままで口を利かなかった。風が時折吹いて、二人の髪を揺らす。
「シズちゃん」
「なんだよ」
「もう直ぐ卒業だねぇ」
「そうだな」
臨也は手摺りに肘をついて静雄を見遣った。
静雄は臨也に視線は向けずに、ただ目を細めただけだ。
「手前と離れられるかと思うと清々する」
「ははっ、酷いなぁ」
臨也は軽く笑い声を上げる。手摺りから身を離すと静雄に向き直った。
「俺はシズちゃんと会えなくなるの寂しいけど?」
ぴく、と静雄の片眉が不機嫌に吊り上がる。視線を移し、臨也をきつい眼差しで睨みつけた。
「俺はさぁ、シズちゃん」
臨也はくるっと回って静雄に背を向ける。芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「シズちゃんが俺と敵対してくれるように三年間頑張ってきたよ。俺の高校生活は殆どシズちゃんに費やして来た」
臨也の言葉に、静雄の眉間に皺が刻まれる。
「結果大成功だ。君の頭は俺でいっぱいだろう?俺が憎くて憎くくて仕方がない。君が望んでいた安穏とした高校生活は一度も体験できなかった。俺のせいで」
臨也はくすくすと笑い声を立てた。その耳障りな声に、静雄の怒りが徐々に沸き上がっていく。
「同時に俺の高校生活も無茶苦茶になったけれど、俺は後悔していないよ。俺は自分で望んでこうなったからね。君が、」
俺だけを見てくれるように。
臨也はそこで唐突に黙り込んだ。静雄は怒りよりも戸惑いが強くなって行き、訝しげに臨也の後ろ姿を見遣る。
「…手前何言ってんだ?」
「分からない?」
くるりと臨也は振り返った。
口許にはいつもの笑みを浮かべているものの、その赤い双眸は真摯だ。そのひたむきさに静雄は黙り込む。

「俺は君が好きだって言ってるんだけど」

静雄の目が見開かれ、それが段々と怒りに細められるのを、臨也はじっと見ていた。
「ふざけた冗談だ」
ギリギリと歯軋りの音がする。
「残念ながら冗談なんかじゃないよ」
臨也は唇を吊り上げて笑みを浮かべた。
「俺は君が好きなんだ」
「手前は、」
静雄の腕が伸び、臨也の胸倉を掴む。「好きな奴にナイフで刺すのか?車で轢かせたり、暴力を振るわせたりすんのかよ?」
「そうだよ」
臨也がしれっと言うのに、静雄はかっとした。そのまま殴り掛かる。
拳は寸前で避けられ、手摺りにぶつかった。ぐにゃりと有り得ない方向へそれは曲がる。
「一発ぐらい殴られてあげたいけどさ」
臨也は後ろに飛んだ。「シズちゃんに殴られたらさすがに命の危険がありそうだからね」
「死ね」
尚も拳は繰り出され、コンクリートにたたき付けられる。粉々になった破片が飛び散った。
臨也はアハハハと笑い声を上げる。静雄の怒りと比例して、どんどん気分は楽しくなっていった。
静雄が憎悪で爛々とした目で睨めば睨むほど、臨也は歓喜に震える。やはり自分と平和島静雄の関係はこうでなくてはならない。例えそれが歪んでいようとも。
臨也はポケットからナイフを取り出した。静雄がそれを見て舌打ちをする。静雄にナイフは効かない。効かないのに臨也はいつもナイフを取り出す。それが何故かを静雄は考えたことがあるのだろうか。
「人がせっかく告白したってのに、本当にシズちゃんは酷いねぇ」
「黙れ」
「俺はこんなにシズちゃんを愛してるんだけど」
「黙れって言ってんだろ」
静雄は何度も殴り掛かる。その度に床のコンクリートが砕け散って行った。臨也の笑い声が耳に張り付いてうんざりする。
本当に本当にうんざりだ。早くこの腐れ縁が切れるといい。早く早く卒業したい。卒業したら、二度とこの男に会わないで済みますように。
静雄は神に願いながら、臨也に再び殴り掛かった。



「屋上、半壊だってね」
新羅は苦笑して臨也を見下ろす。臨也は机に突っ伏していた。ボロボロの風袋で。
臨也のクラスにはもう人はおらず、窓から差し込む太陽の光りはもう赤い。
「もう明日卒業だってのに何をしてるのさ」
「多分卒業式には出れないだろうなぁ」
シズちゃんが喧嘩を売って来るだろうから。
ははっ、と笑って臨也は顔を上げる。その眉目秀麗な顔は痣や傷だらけだ。
「人生で1番の激怒だったらしいよ、静雄」
新羅は椅子を引いて、臨也の前の席に座る。ギイィィと椅子を引く音がいやに教室に響いた。
「臨也、どうして静雄に言ったの」
新羅の言葉に、臨也は目を細める。
「告白したのがいけなかったのかな?」
「君、一生言う気なかったんだろう?本当は」
新羅は頬杖をついて窓から外を見た。この教室からは校庭が良く見えるのだな、と気づく。
「一生君は平和島静雄の天敵でいる筈だったんだろう?それがどうして言ったの?」
「素直になれって言ったのは新羅じゃないか」
臨也は唇を三日月に形作った。新羅と同じように頬杖をついて、窓へと視線を移す。暫く二人の間に沈黙が落ちた。
「もう」
やがてぽつりと臨也が言った。
「もう解放してもいいかな、と思ったせいかも知れない」
「……」
「ここから見えるシズちゃんは綺麗だった。薄汚い不良たちを暴力で黙らせる様はさ。本当に凄く綺麗だったよ」
孤独な王様みたいで。
臨也はじっと校庭を見遣る。今まで殆ど毎日見てきた光景を思い出していた。
「もう卒業して彼のあの姿を見れなくなってしまうのが残念だ」
そこまで言うと、臨也は唐突に黙り込んだ。そして、がたんと音をたてて立ち上がる。
「そろそろ帰るよ」
「一緒に帰るかい?」
「失恋したからね。一人で傷心帰宅するよ」
臨也はそう言うと、笑って教室を出て行った。
ぽつんと誰もいない教室に残された新羅は、窓から校庭を見て目を細める。
静雄があそこで戦う度に、新羅は治療をしてきた。それこそほぼ毎日のように。
君は堪えられなくなったんだね、臨也。
毎日毎日、どんどん孤独に追いやられて行く静雄の姿を見ることが。気付いた時にはもう遅かったのか。
「…君が側にいてあげたらいいのに。本当に馬鹿だなぁ」
それに静雄は君が思っている程、弱くはないよ。
新羅は深く溜息を吐くと立ち上がり、夕暮れに染まった教室を出て行った。


(2010/08/28)
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