I was nearby… .


リビングのドアを開けると仲違いした姉と目が合った。姉は一瞬だけ大きく目を見開くとすぐに視線を外してきまり悪そうに足元を見つめた。

「おはよう」

感情のない声が思いのほか廊下に響く。
何か言いたげな表情を浮かべているから声をかけてやったのに、姉は小さな声で「おはよう」と呟くだけ。床に落ちた視線が緩やかに持ち上がるのはただの反応なのか。そのまま横を通り過ぎる姉の後ろ姿を見て、なんなんだとイルミは思った。
引き止めようとも考えたけれど、その頃にはもう随分と遠くに離れていた。「待って」と開きかけた口は自然に閉ざされていた。

イルミの前で笑わなくなった姉に、あの日、頬を叩かれた日を思い出す。
姉は長年募らせてきただろう劣等感を吐き出して、今では育児に専念している。稽古を止めたことでイルミと過ごす時間はめっきりと減り、互いがすれ違うようになった。故意ではないにしろ、避けられているような気がして落ち着かない。時間が経つにつれ深まる溝にいけないとは思うものの、イルミにはどうすることも出来なかった。というかどうしていいかわからなかった。姉が自分を避けることなど今の今まで一度もなかったからだ。
喧嘩するような間柄の人間が誰一人としていない二人。和解するにはイルミの経験は浅すぎた。

ぼんやりと遠く離れた先を見る。短くなった姉の髪。少しくすんだ銀色。後頭部に手を当てて、癖をなでつけている。
何しているんだろうと思ったが、少し考えてうねるのを気にしていたことを思い出す。そんなことしても変わらないのに、なんて無粋なことを呟く。
この頃、姉も同じようなことを考えていたとは思いもしないイルミの背中に、小さな影がぶつかった。不意に訪れた衝撃にイルミはよろける。

「ご、ごめんなさい」

上擦った声を上げた、たどたどしい謝罪。明らかにやってしまったという文字が浮かんでいる青ざめた表情。くるりと振り返って目線を落とす。ミルキだ。小さいと言ってもそれは背丈の問題で、同年代の子供と較べてしまえば体格はいい。丸みのある身体をだらしないなとイルミは見下していた。
姉にベッタリだったミルキが一人で歩くようになってから、イルミの前にもこうして現れるようになった。その都度ミルキが姉を奪ったんだと思い起こされて、じわりじわりと憤りが募る。自然に持ち上がる目尻すら気にせず、イルミはただミルキを見ていた。

「おまえのせいで」

ぽつりと静かに怒りが零れる。ひしひしと与えられる殺気にミルキの瞳が潤んだ。何を言われるのかわかっているのか、いないのか、黙って聞くこともせずミルキはイルミの言葉を遮った。

「あ、お、お姉ちゃんがそっちに行ったんだ! だから、ぼくも行きたくて……」

どんどん沈んでいく声色。最後は何を言っているのかわからなかった。姉と同じ場所に行きたいのは伝わった。けれど、イルミは通す気になれなかった。
自分が出来ないことを、弟のミルキだけが出来るなんて許せなかったのである。

「なんでおまえまで行くの?」

敵意を剥き出しにして聞けば、ミルキは肩を震わせてこう返した。
お姉ちゃんは、ぼくが外で遊びたいのに気がついてくれたんだ。
怯えてる癖に姉の話になると途端に目を光らせて、楽しそうに話し始めた。姉は、オレにはそんなことしないのに。イルミは「へぇ」と、どうでもいいというように相槌を打った。

「お姉ちゃんはきっと、テレパシーが使えるんだ。……イル兄もそう思わない?」
「は?」

ミルキの突然の問いにイルミは戸惑った。
テレパシー? 何を言っているんだ、こいつは。姉にそんな能力があるのなら、とっくにこのすれ違いに終止符が打たれているだろうに。
予想外の圧が降りかかったミルキは、先程の輝きをしまい込んで言い訳を重ねるように今までの甘やかされっぷりを話し始めた。ぼそぼそと吐き出される言葉に嫌気が差してきて、イルミは「もう行けばいいじゃん」とミルキを追いやった。
ミルキはもう一度ごめんなさいと謝り、ドタドタと走り去った。イルミはリビングのドアを閉めると、本来の目的を忘れてミルキの後をゆっくりと追う。
外で遊ぶと言っていたからきっと中庭にいるのだろう。
中庭の見える窓際まで近寄ると、姉がぼうっとしながら立っていた。下でミルキを待っているようだ。ドアをじっと見つめている。
姉はぴくりと軽い反応を示すと、ミルキが出てくるのが見えた。真顔だった表情が途端に笑顔に変わり、ミルキが走ってくるのを受け止めようとして身体を屈めている。
そんな姿をイルミはじっと見ているだけだった。
ぼくのことはなんでもわかってくれる。ミルキの言葉が再生されてむしゃくしゃした。
オレが見ていることには気づかない癖に。何がわかってくれるだよ。前ならきっと、オレだって。

「……なんで、わかってくれないのさ」



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