僕らなりのそれなりエンド


ぼんやりと遠くを眺める女を見つけた。
「また同じ夢を見たんだ」
眠たくて落ちそうになった瞼を一生懸命持ち上げて、ここ最近何度も繰り返して見る夢のことを語った。ぼろぼろの布切れみたいな服を着た女は、今日も来たのかと不安気な表情でオレのことを見下ろしたけれど、オレにとってはやせ細って骨が浮き彫りになった身体をしているこいつの方が心配だった。

ナマエは流星街で生きていくのに向いていない、と誰もが言う。というのも、こいつは他の奴らと違って生に対しての執着がまるで見えないからだ。それはきっと女も理解しているし、わかった上でたった一欠片のパンくずをオレたちのような子どもに分け与える。今みたいに眉じりを下げた顔で笑い、「私のことは気にせず食べて欲しい」とオレ達に言うのだ。そしてそんな日はいつもゴミ山の頂上に座って、何もない空をぼんやりと眺めながら過ごしている。それが、ナマエにとって唯一空腹を紛らわすことだったとしても、オレには見えない何かを見ているような気がしてならなくて、そのまま手の届かない遠いところへ行ってしまうのではないかと不安になった。いつ倒れてしまってもおかしくないような女のことだ。近いうちにこの流星街でのたれ死んでしまうのではないかと思って恐ろしかった。それ以来だ。ナマエが夢に出てくるようになったのは。

夢の中のあいつはいつもほそっこい腕で、やっと見つけただろう一欠片のパンをオレに分け与えてくる。くたびれた姿で差し出しくてるパンを受け取ってしまえば、彼女がさらにやつれてしまうことくらい、幼いオレにだって簡単に想像できた。だからオレは、嫌だと首を振って延々と拒んでいた。ナマエはわがままな子供を見るような、困り切った笑みを浮かべながらオレのことを抱きしめた。そして、優しく数回、背中を叩く。「大丈夫だよ」と、そういうのだ。何が大丈夫なのか全く理解できないが、わかったと受け入れてしまったオレはその欠片に手をつけた。良くないことだとわかっているのにナマエが嬉しそうに笑うもんだから、いつも手のひらに乗ったパンくずを受け取ってしまうのだ。

ナマエは誰に対してもなにかを渡したがる。代わりに、心配も不安も受け取ってもらえないけれど。オレもその中の一人で、気がつくとあのぼんやりとした表情でどこか知らないところに向かって歩き出しているのだから、オレはいつもこう言った。
「お前はいつも遠いところに行くんだ」
と。このままだとお前、本当に遠いところへ行ってしまうだろ。
まさか自分が、今にも死んでしまいそうなこんな奴に助けてもらってるなんて、そう思うと悔しくてたまらなくなった。だって、そうだろ。もしこいつがいなくなったら、パンくずすら食べられなくて死ぬやつが出るかもしれない。オレには出来ないことをこの女はしている。それが嫌で仕方ないけど、だからといって代わりになることも出来ない。だからオレはナマエに詰め寄る。「どこに行く気なんだよ」なんて、あいつは別にどこも行けやしないけど、それでもどこか行ってしまいそうだったから。
とぼけた声が聞こえてきて本当に何を言っているかわからないようだ。疑問の答えは返ってこない。
「じゃあいつも、何見てんだよ」
ふふ、と笑う声がした。
「その日会った子たちが無事かどうかかな」
「はぁ?」
「ほんとだよ」
そして、「だから遠くには行かないよ」なんてへらりと笑った。オレはうつむいて、どこか行ってしまいそうなぼろ切れをぎゅっと握りしめた。まだ子供特有のやわらかさを残した拳が優しく包み込まれて泣きそうになった。「大丈夫」と先ほどより柔らかい声色で言われたものにはっとして顔を上げる。
眉を八の字に下げたナマエの困った顔が目に入る。こんな細っこい手に埋まってしまうほど、自分の手は小さくて、やっぱり悔しかった。
熱いなにかが込み上げてくるのを必死に我慢していると、この女はほのかに嬉しそうな表情でオレの背中に腕を回した。そして、夢の中と同じようにぽんぽんと背中を叩くのだ。オレは、必死にせき止めていたものが急に流れてきたから何も言えなくなった。せめてこの人が夢の中と同じように離れて行かないように、何も握っていない方の腕を肉のついてない腰に回した。

あの日のナマエは夢と同じようにどこか行くわけでもなかったが、それでも不安が消えることは無かった。強くなろうと決めたその日から、あの夢を見ることはかなり減ったし、成長してからはナマエの手も、ナマエ自体も随分小さいと思えるようになった。そして、季節が何回も巡るたび、オレは新しいものに出会っていた。クロロやフェイタン、シャルナーク。他にもたくさんの仲間に囲まれるようになった。念の存在を知り、世界の広さも知った。力をつけたオレたちが流星街に食料を運んでくるのは思いのほか簡単で、アイツのところへたまに顔を出せば、昔のような細っこかったナマエはいなくなり、どこか遠くに行ってしまうんじゃないか不安になるような影も薄れた。生気を取り戻したナマエはオレの姿を捉えると花が咲いたように笑うようにもなった。

−−いつの日か、あの"一欠片のパン"を"パンくず"だって言えるようになる日が来ればいいと思っていた。
オレが強くなって、飯が食えるようになれば、きっとあんなふうにどこか行ってしまうこともなくなるだろうから。
でもいざそうなると、あいつがくれたもの全部がちっぽけになってしまった。食べ物も、死にかけるくらいなら全部自分で食っちまった方が良いし、人の温もりだって、自分が死ぬくらいなら見捨てた方がいいんじゃないかとオレにはそう思えてしまった。
何が言いたいかと言うと、食えなくて死にかけてんのかよってことだ。やっぱり、オレとあいつは根本から噛み合っていない。昔は離れないように泣いてすがりついていたが、ナマエがここから離れていくことはもうないだろう。

オレは長期の仕事に向けて準備を進めていた。一つ思うことがあって手紙を残した。きっともう世話になることは無いからな。次来た時、死んでなきゃそれでいい。


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