グッモーニン、サー

ゆらり、ゆらり。目を瞑っていると、ぼんやりと意識が覚醒して、白い世界が広がった。寝ているだけなら感じることない揺れや、暖房とは違うぽかぽかとした温もりが肌を刺激する。違和感。
私、講義受けてたはずだよね。
不思議に思って目を開けると、青い空に点々と広がる白い雲、さらには黄色い壁が目に入る。
気がついたら、中学校の廊下みたいな場所に寝っ転がっていた。……どこだここ。そもそも、外にいること自体おかしいのに。

「ういしょ」

体を起こして目をこすった。感覚はしっかりしているし、もしかしたら結構リアルな夢を見ているのかもしれない。丸まった背筋を正すために伸びをした。
夢ならまあ、何とかなるだろう。
軽い気持ちできょろきょろとあたりを見渡して、真上に漂う黒い布を視界に入れる。背中の壁には小さな丸窓が、目の前には手すりがあった。潮の香りを感じながらそこまで歩くと空と境目のない青色が広がった。そして、やっとここが海の上だとわかった。私は今船の上にいるのか。
温くやわらかい風に当たりながら、ゆらゆらと揺れている原因に納得する。広大な景色を目の当たりにして興奮すると同時、風で頬に流れてくる髪を鬱陶しく思う。ヘアゴムを持っていないのが悔やまれた。

「すごい。海だ」

邪魔な髪を耳にかけながら、つい零れた一言。
海だ、なんて言ったけれど、海なんか見に行こうと思えばいつでも見に行ける。けれど、島ひとつないあおあおとした景色は夢だとわかっていても感動が大きくて、思わず身を乗り出してはしゃいだ。
だからのし、のし、とゆっくり近づく物音に気づかなかった。音がぴたりと止まって、大きな影が自分を覆ったその瞬間、そこに誰かがいることを知った。
人一人覆うほどの大きな影。怖くなっておそるおそる顔を上げる。そして、目が合った白い獣。
けもの?

「クマ!?うあ!?え!?」

驚きのあまり腰を抜かす。手すりからするりと腕が抜け、わたわたしながら後ずさる。どんな夢だ!と一人叫ぶ声と、目の前の熊の絶叫が重なった。


「な、なに……?どういうこと?」
「そりゃあ、こっちのセリフだ」

怪しい者のレッテルを貼られ、あれよあれよという間に太めのロープでぐるぐる巻きにされていた。
そんな私は今、全体的に背の高い集団の前で状況説明を求められている。が、私もよくわからないから説明のしようがない。寝ていたらここにいたってことは、夢じゃないの?頭の中で考える。
白いつなぎを着た人たちも埒が明かないと判断したみたいで、一番偉い人が来るまで待つことになった。
先程の大きな熊もわたわたしながら手振り身振りで会話をしているし、何が起きてるのか本当にわからない。大きなキャスケットを被った男の人が私の目の前にしゃがみこんで私の顔をまじまじ見ると話しかけた。

「なぁおめぇ、どっから船に乗ったんだ?」
「え、と」

私もわからない。言葉に詰まっていると、彼もそれ以上話すつもりはないらしく、私の言葉を待っている。
今まさに起きたことをありのまま伝えればどんな反応が返ってくるんだろう。夢なら、なんだそんなことか、日常茶飯事だぜ、なんてことならないかな。それなら言っても問題ない気がしてきた。色々考えて、口を開こうとする。

「騒がしいな」

聞こえてきたのは自分のではなく男性の低い声だった。
周りにいるつなぎの人たちとは違って、この人だけは私服を着ていた。身長と同じくらいの長い刀を持って歩く様は、何だか別次元の人のように思えて開いた口が塞がらない。

「キャプテン!」

大きな熊が叫ぶ。のしのしとキャプテンの横に並んだ。白熊と大して変わらない背丈の男に目眩がする。この人は船長さんだったのか。それなら別世界の人のように感じてもおかしくはない。はず。
思ったよりも客観的に見てる自分に笑いそうになった。ロープでぐるぐる巻きにされて、生命の危機に晒されていると言っても過言ではないのに、夢だと思っているせいか今の私には緊張感というものがまるでなかった。
キャプテンと呼ばれた人はそのまま私の前まで来ると、目の前にしゃがみこんだ。あっ、斑点だ。この帽子可愛い。……なんて間抜けなことを考えてることをこの人は知らない。真っ黒い瞳が私を見据えると唸るような低い声が耳元で響く。

「お前が騒ぎの原因か」

この人が話し始めた瞬間、ざわめきが鎮まった。ああ、お偉いさんは凄い。静かになって視線が集まる。変に緊張するじゃん、やめて欲しい。私は今更になって手が震えた。

「た、たぶん、そう、です」

一緒に震えた声は仕方ない。こんな圧迫面接みたいなの高校受験でもしなかった。曖昧な答えに、ただでさえ鋭い目付きがさらに鋭くなる。怖いと思った。小刻みに揺れる腕は緊張してるからなのか怖いのか、もはやわからないが早くこの状態から抜け出したい。縮こまって何も見ないふりをしたらきっと、楽になれる。そんな衝動に駆られたが、ロープが邪魔して動けない。

「お前の名前は。どこから来た。どうやってこの船に乗った?」

キャスケット帽の人と同じ質問をされて、ぐっと息を飲んだ。隠していたところでどうこうなる問題じゃないだろう。できるだけはっきりとした声で話し始める。

「アキ……。雨宮、アキです。えっと、東京の大学から来ました」
「大学?」

思いっきり顰められた顔を見て、そんなに大層なことをしでかしたのかと胸がズキズキと痛む。今までの成り行きをたどたどしく説明しながら、これから自分がどうなってしまうのか考えて恐ろしくなった。私の話を聞いている全員が怪訝そうな表情で見てくるので、信じてもらえていないのは明白だ。迫り来る苦い思いがじわじわと侵食してきて苦しい。

「ほんとに、ほんとなんです。お願いです、信じてください」

話しても通じない事実に涙がこぼれそうになった。泣かないように奥歯を噛み締め、口の端を伸ばす。ぱちぱちと瞬きの回数を増やして、間違っても涙が零れないように誤魔化した。こんなところで泣いたら、馬鹿だと思われる。
黙って聞くこの人たちに向かって必死に訴える。

「あ、あの、私もわかんないです。だって、気がついたらここにいて、それで、その」

潤んだ声は情けなくて嫌だけど、言葉にする以外の伝え方がわからない。証明できるものは今、何も持っていなかった。夢なのになんでこんな思いをしてるんだ。心の隅っこで不満が募る。最終的に言葉は詰まり、続きを紡げなくなった。俯いて下唇を噛むと生暖かい液体が頬を伝ったのがわかって情けなくなる。我慢してたのに。ぽろぽろと流れるものはもう止めようがなくて、ダムが決壊したかのように溢れた。

「キャプテン」

そんな私を見かねたのか、船員の一人が「また後で聞きましょう」と男に言った。深いため息が聞こてくると、曲げられた膝は伸びて、近かった顔は遠くなる。思わず顔を上げた。

「……ロープほどいて休ませとけ」

高い位置にあって表情は窺えなかったが、船員の言葉を受け入れてくれたらしい。「アイアイ、キャプテン」という不思議な掛け声を聞くと、船長さんはそのまま扉の中へ消えていった。
強ばっていた肩の力は急激に抜けて、大きく息を吸った。ばくばくとなる心臓の音は未だに早くて、口の中から飛び出るんじゃないかと不安になる。
さっきのキャスケット帽を被った男性と、PENGUINと書かれた帽子を被った男性が近づいてきて、ぐるぐる巻きのロープを解き始めた。

「嬢ちゃんは……」

しんとした船は、船長がいなくなったのをきっかけにざわつきを取り戻している。ペンギンをモチーフにしたぽんぽん帽子の人は、一度私のことを呼ぶと少し間を置いた。
話したくなくて、黙りこくる私を不憫に思ったのか「いや、悪ぃな」と大して気持ちもこもってなさそうな声で謝った。そして、もう一人も口を開く。

「一応俺達海賊だからさ。怪しいヤツは野放しに出来ねェんだよ」
「嬢ちゃんみたいな無害そうなヤツでもな」

かいぞく、と聞きなれない言葉を繰り返している間にロープがほどかれた。ペタンと座っていた私の腕を引っ張って起こされたので、私もそのままで立ち上がる。

「海の、賊……?」
「ああ」

そんなまさか。確認を取ったことで確信に変わる。普通の人たちではないと思っていたが、想像より物騒な人達だった。ほんの僅かな希望をかけて漁師かなにかだったら良かったのに、こんなとこさっさと離れてはやくお家に帰りたい。
私の腕を引いている男の背中を追いかけながら、絶望の縁に立たされた私は、まともな平衡感覚を取り戻せずにそのまま倒れ込んだ。男は何か言っているようだが聞こえない。
−−ああもう、こんなことなら居眠りしなきゃ良かった。
視界がブラックアウトする寸前、そんなことを思った。

でも、こんなこと起きるなんて想像できるわけない
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -