蜜を払えば苦いだけ


 二人はドラマを見終えると、ソファにもたれかかった。アルザックとフェデラーが現れ、サクサクと謎が解かれていく様を見て、ダニエルはあからさまに落ち込んだ。ベルタは信じられないと顔に書いたダニエルをこっそり笑って見当違いだった推理の反省会をした。

「そういうことか」
「どうでした?」
「予想外だわ」
「ですよねえ」

 テーブルに置かれたコップを手に取って、中身を全部体に流すと、おかわりが欲しくて立ち上がる。ダニエルのコップが空になっているのが目に入ったので、お茶をテーブルに持っていった方がいいなと、ベルタは思った。冷蔵庫からお茶を取り出してソファの方へ戻ると、ダニエルが変色したリンゴをつまんでいた。好き嫌いはないけれど、時間の経った物を食べないベルタにとって、ダニエルの行動には違和感があった。

「たしか」

 変色を防ぐ方法なんて直接言えば失礼だろうか。リンゴをほうばっている顔がベルタに向いた。

「はちみつを入れた水に浸すと、甘みが増すんですよね」

 既視感のあるしかめっ面だったので、やっぱり急だったかなと苦笑した。ベルタはゆっくりソファに座って二人分のお茶を入れる。

「リンゴの話です」
「あ?もしかして不味かったか」

 ダニエルの前にコップを置いて、そんなことはないと両手を振った。

「せっかく美味しいものなら、もっと美味しいほうがいいかなっておもいまして」
「なんだそりゃ」
「そ、そういう方法があるんですよ。甘いだけじゃなくて変色しにくくなったりとか。ほら、言われたことないですか?塩水に漬けた方がいいって。そのはちみつバージョンです。よかったら今度やってみてください」

 伝え方がわからなくて饒舌になってしまう。言わない方が良かったかも。心の中でひっそり焦る。ダニエルは、今の言葉から食べたリンゴが連想されたようで、「細けえな」と舌打ちしていた。機嫌を損ねたのかこれが通常なのかがわからなくてベルタの表情は曇る。どくどくと脈打つ鼓動は不安と緊張で早まった。

「食えれば良くねーか?」

 ダニエルは想像していたよりとぼけた声で言った。その不思議そうな声に、怒ってないんだと安心し、上手く呼吸ができなくて溜まっていた二酸化炭素を吐き出した。

「ほ、本気ですかそれ」
「おう。でもうめぇもん食えるならそれに越したことねえよな」

 ダニエルは薄黒いリンゴを手に取りじっと見つめると、もう一度、しゃくりと音を立てた。ごくりと音が鳴る。ダニエルがリンゴを飲み込んだ。

「今度やってみるわ」
「お願いします!」

 ベルタの言うことを受け入れると、ダニエルの空気は柔らかいものになった気がした。
 ベルタはほっとした。煙たい臭いの話をするなら今かもしれないなんて思った。変なやつだと思われてもいいと覚悟をしていたけれど、ベルタのこれは開き直っているだけだった。

「ダニエルさんってタバコ吸ってるんですか?」
「おう」

 大したことないように返ってきたものにベルタは二度目の衝撃を受けた。さっきまでの不安は杞憂だったんだと気づいて固まっていると「それがどうかしたか?」なんて顔を覗き込まれた。ベルタはハッとして聞こうとしていたものの続きを話す。

「部屋の匂いがいつもと違ってたので、なんだろなって」
「あー。……なんか悪いのか?」
「いや!悪いとか、そんなこと無いんですが、その……」

 ベルタは聞きたいことを聞いただけだった。そのあとのことは何も考えておらず、言葉に詰まる。視線があっちこっちにさまようと、ダニエルは訝しげな表情をした。しばらく考える素振りをして「あ」と呟く。

「お前タバコ吸ってねーのか。悪かった」

 ベルタは驚いた。そんな些細なことまで気にしてくれるのかと。目を丸くしていれば、ダニエルは「次からベランダ借りるからな」と声を大にして言った。次から、つまり、これきりじゃないんだとベルタは思った。じわりじわりと下から暖かくなるような感覚に包まれる。

「なんだよ、なんか言えよ」
「ごめんなさい。また遊びに来てくれるんだって、嬉しくて。お気遣いもありがとうございます」

 へにゃりなんて効果音がついてもおかしくないような緩んだ表情を、ベルタは見せた。ダニエルも豆鉄砲を食らったような顔をして、そうかよとぶっきらぼうに吐き捨てた。照れくさそうな顔を背けるとダニエルはソファから立ち上がり、ベランダのある方へ足を運ぶ。

「少し借りるぞ」

 軽い音をたてて窓が動いた。ガラス越しに見える彼の背中。ダニエルの気遣いはとても優しいものだとベルタは思った。幸せな気持ちが胸いっぱいに広がる。ソファで大人しくすることにしていたベルタの足は、無意識にぱたぱたと揺れていた。そしてベルタはそれに気づかないでいた。

「ダニエルさんのタバコ、くさいわけじゃないんだけどな」

 緩まった表情はそのままで、ベルタは呟いた。
 そして、心の中で思う。こんな、漫画みたいな出来事が起こるなんて。夢みたいだとベルタは思う。
 ダニエルとの少し先の未来を考えて、ベルタはこの日、この恋とは言えない淡い気持ちを膨らました。




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