他に愛などない話


 大きめのソファとリビングテーブル。その中央に置かれたリンゴ。ソファに座るベルタの対面にはダニエルが胡座をかいていた。いつもなら問題なく見える三十二インチのテレビだが、ダニエルによって遮られ、この男がどれだけ大きいか改めてわかった。しゃくしゃくと音をたてて食べるダニエルに目を向けながら、ベルタも同じようにリンゴを咀嚼し、会話の種を考える。
 この前のお礼がしたいです。好きなものってありますか。困ったことってなんですか。家事は得意なんですか。なんでこの部屋がわかったんですか。……思うことはたくさんあるけれど最後のは聞かない方がいいかもしれない。
 あれだけ待ち焦がれていたのに、いざ目の前にしてしまうと今まで言いたかったことや、やりたいと思っていたことが口から何も出てこなかった。
 きっと突然の状況に戸惑い、この不自然さに困惑しているからだと結論付けて、ベルタに興味を示さない男の視線の先を追った。二人でテーブルを見つめているとリンゴを食べる音が広がって、妙な緊張感で背筋が伸びた。せめてテレビだけでも付けたい。目を動かしてリモコンを探した。見つけたその先はダニエルの肩越しにあるローボードの脇。まともに動けないベルタにとってその距離は橋のない海峡みたいなもので、神様はこんな小さな願いすら打ち砕くのかとベルタは肩を落とした 。自然と落ちた視線を上げると、対面の相手はベルタの動きに気づいていたらしく、互いの目がぱちりと合った。

「なんだ」

 それは、会話の引き金にできたらしい。ダニエルがベルタに問いかけた。特に、何も、なんて言えないくらい不審な動きをしていた以上、本当のことを言った方がいいだろうなとベルタは思った。むしろ、これを理由にもっと会話が弾めばいいと考えていた。

「テレビ、付けてもいいですか?」
「あぁ」

 ベルタがぎこちなく笑うと、ダニエルは立ち上がった。体格がいいからか、歩くとぎりしと軋んだ音が聞こえた気がした。彼がテレビ脇のリモコンを手にすると、そのままベルタに向かって投げた。

「おらよ」
「わ」

 縦に回転しながらやってきたリモコンに驚きながら、落とさないようにキャッチした。もう少し大事に扱って欲しいという文句を胸にしまい込み、「ありがとうございます」の一言を告げる。右上にある小さな赤いボタンを押すとニュースキャスターのハキハキした声が聞こえてきた。また目の前に座るのかな、見えないかも、なんて考えていたらダニエルはテーブルを通り過ぎてベルタの真横に座った。ぎょっとして少し横にずれる。そして少し考えて納得した。テレビを見れないからだ。

「この時間帯、再放送のドラマくらいしかやってないですね」
「おう、みたいだな」

 ポチポチとボタンを押して、チャンネルを変える。気になるものを見つけてベルタは一度手を止めた。二人組の探偵が次々に謎を解決していくドラマだ。俳優がカッコイイと一時期話題になっていた。

「ダニエルさん、これなんてどうですか?」
「……なんか見た事あんな。シャルが一時期ハマってた」

 ベルタはダニエルの歪んだ顔を見て嫌いなドラマを勧めてしまったのかと内心冷や汗をかいた。先程の発言から友人と見た記憶を引っ張り出しているだけなんだと気づいたけれど。

「ほかの作品の方がいいですか?」
「いや、これでいい」
「それじゃあ決まりですね」

 少し黒ずんだリンゴの横にリモコンを置いて、ソファにもたれ掛かった。
 じっとドラマの一連を見ていると事件が起きる頃合いに差しかかった。仲のいい三組の家族がバーベーキューをしているシーン。焼く肉が無くなったから持ってくると男性が家の中に入るが、なかなか戻ってこないのを不審に思った奥さんが様子を見に行った所だ。きゃー。女の人の甲高い声がテレビから聞こえてくる。どうしたんだ。リンドルが倒れてる。あなた、あなた。ヒルデ、落ち着いて。け、警察!早く通報しよう。険しい表情でジャスミンが受話器を手にするとコマーシャルが流れた。ベルタはふぅ、と一息ついた。
 怒涛の流れに挟まれた休息はしっかりと取らないと心臓がもたない。喉が乾いてコップを取りに行った。ついでにバーベーキューで思い出してからずっと気になっていた我が家の煙たい匂いについてダニエルに聞こうとも思っていた。食器棚からプラスチックのコップを二つ取り出して、家に作り置きしていたお茶を注いだ。そのままソファに戻ると眉間に皺を寄せたダニエルがコマーシャルをじっと見ていた。

「ジャスミンだろ」
「えっ」
「この事件の犯人」
「え、えーと」
「言うんじゃねえぞ。最後まで見るんだからな」

 コマーシャルが終わり、ジャスミンが受話器を手に取るところが流れた。ダニエルは聞いてもいないのに自分の考察を語り続けた。ダニエルさんごめんなさい、ジャスミンじゃないんです。一通り話し終わると「ぜってえ合ってる」なんて自信満々に言った。答えを知ってるベルタはなんて言えばいいかわからなかった。

「アルザックとフェデラーを待ちましょう」

 そうだな、と真面目な表情に戻ったダニエルを見て、タバコの話は後ですることにした。思っていたよりもお喋りな彼に、距離が縮まったような気がして嬉しかった。もっと仲良くなりたい。謎を解く探偵二人組が待ち遠しい。




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