差し出されたら従順を飲み込んで


 そして春休みに入る。その間ダニエルがベルタの元へ来ることはなかった。ベルタはそれが当然だと諦めていたのでもはや何も気にしてはいないが。
 だが、あの鳴りやまない興奮をぶつける宛てがなくなった今、ベルタは酷い喪失感に駆られていた。出かける気も起きずにベッドに寝転んで、カーテンの隙間から射し込む光を一身に受けながら無心で時間を潰している。
 あいている窓から優しい風が吹き込むと、カーテンが揺れた。お腹にだけ晒されていた光が顔にまで当たり、その眩しさにベルタが目を瞑ると、びぃびぃ鳴く野鳥の声が聞こえてきた。噴水のある広場に行こうとして騒いでいる子供の声も耳に届く。いい天気なんだとぼんやり想像して、光を避けるように寝返りをうった。自分の体によってできた陰に満足すると、うららかな春の日にベルタはゆっくり、自身の意識を白い世界へと沈ませていった。ぽかぽかとした温もりはベルタを気持ちよく眠りへと連れていく。
 バッテリー残量、一パーセントの携帯みたくぷつりと途切れそうになった自分を、寝てゼロにするか起きて充電するかで迷った。宿題したいんたけどなぁと思いつつ、まあいいやと思考を放棄する。まどろむベルタはあまりにも無防備で、自らが待ち望んでいた男の影が近づいていることにも気づかずに、そのままバッテリーを消費した。


 そして、ぱっと弾けるように目が覚めた。すっと息をすると、嗅ぎなれない苦い臭いが鼻を刺激して、思わず眉間にシワが寄る。
 なんだろう。わからない疑問と共に起き上がり、壁に掛かった時計を見る。ちらりと見えた短針は一時間だけズレていた。
 普段とは違う自分の部屋にベルタは少なからず恐怖を覚え、自分の体に異変がないかを確認する。煙たい匂い以外に変化がないか、何かあっても逃げれるようにと、ぺたりと足の裏を床につけ、そろりそろりとゆっくり立ち上がった。自分の家なのにどうしてこんなに気を使わなきゃいけないのか、内心毒づきながら自分の部屋を歩き始めた。音を立てないように、慎重に歩く。狭いマンションなので、物音を出すとばれてしまう。キッチンの方からとんとんと何かをリズムよく切る音が聞こえてきて、不安を余計に煽られた。
 このマンションの造りは簡単で、玄関の向かいに廊下を挟んでリビングがある。右手にベルタの洋室と、左手にトイレと洗面台。あと浴槽。
 ベルタは玄関に向かって逃げればいいのに、好奇心に負けて、キッチンにそっと顔を覗かせてみた。存在しないはずの姿を目の端っこに捉えてごくりと喉を鳴らすと、相手はこちらに気づいていたというように振り向いて言った。

「よう」

 ベルタが静かに動いても意味がないとすぐさま理解できたのは、そこにいた人間がベルタがここ二週間探し求めていた人だったからだ。驚きのあまり思わず腰を抜かし、はくはくと口を動かしながら地面にお尻をぶつけた。

「えっ、あれ?うそ、なんで……?」

 言葉にならない言葉を言って後ずさる。ジャージをまとった金髪眉なし男、もといダニエル。彼がベルタの家に来ていたのだ。先程のうたたねで、まだ夢を見ているのかと自分の目を疑う。

「邪魔してるぞ」

 目を丸くした。

「しゃべった……!」
「何寝ぼけたこと言ってんだよ」
「だ、だ、だって」

 あんなに探した男がこんな、こんなにあっさり自分の家にいていいのかと。ベルタは思った。信じられない気持ちになった。目を見開いて男を見上げる。ダニエルは気まずそうに頭をかいた。

「わりーな。今ゴタゴタしててよ。なんかあったら来いって、オマエが言ってたの思い出したんだ」

 そしてなにかハッとして、ダニエルがずかずかとベルタの前にやってきた。この男は躊躇することなく、すぐにしゃがみこんだ。あまりにも勢いのいい動きに、また一歩後ろに下がるとフローリングの冷たい感触が手に伝わって、思っていたより熱くなっている自分の体温に気がついた。そのまましゃがみ込んだダニエルの顔を追うと見つめ合う形になり、少しばかり照れくさくなって目を逸らす。何も言わないダニエルに「どうしたんですか」と弱々しく尋ねたが、しばらく返事がなく、横目でダニエルの顔をちらりと見た。「今度から……」そう続けたダニエルの顔は思ったより真剣で、ベルタはさっきと違う緊張で出てきた生唾を飲み込んだ。

「昼寝でも戸締まりくらいしとけ。殺されても知らねぇぞ」

 そんな物騒なものに関わる生活はしていない、という言葉を飲み込んで、こくこくと何度も頷いた。その仏頂面は「よし」と一声かけて、ベルタの腕を引っ張って体を起こした。腰の抜けた状態で無理やり立ち上がったせいで、生まれたての小鹿のようにふるふる震えたが、なんとかして体を支える。そのままリビングに連れていかれ、少し大きめのソファに投げられた。

「さっきりんごを剥いてみたんだ。おまえも食うだろ?」
「……はい」

 見た目とのギャップと、自分の部屋をもう私物化してることに戸惑いつつ、嬉しいような怖いような、なんだか複雑な気持ちを抱え、目の前に出されたりんごにフォークをつきたてた。




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