No.12 ドレスコードなんて

「そんな、殺すつもりなんて――」

わざとらしい節をつけた、汚いしゃがれ声が頭上から聞こえた。随分と酒に焼けた声だ。もしかすると『こんなこと』してる今も酔ってるのかもしれない。
その声を横で聞くわたしのこめかみのあたりに、硬く冷えたものをごりごりと押し付けながら頭上の声は続けた。

「――さらさらねえぜ、ブチャラティ。お前を殺す気はねえんだ。オレは慈悲深いからな。だがこっちの女は……お前の選択次第だ。正しい選択をしろよ? なあ?」

ああ、多分これは……ハンマーか何かか?
こめかみを一定のリズムで叩く平たい形と尖った形、重さにふと思い当たる。金槌だ。釘抜がついてるようなやつ。

「お前の女を殺したらよォー……そりゃあさすがに……いい気分だろうなあ! お前が大事にだーいじに、籠の鳥みてーにどこにも連れ歩かねえで……どいつもこいつもパートナーつれてるようなご立派なパーティにだって連れ出さずにしまいこんでた女だぜ? 大切にしてねえなんて言い訳は出来ねえよ。そんな女を……お前の前で殺す。ああたまんねえよなあ! オメーにはさんざんひどい目に合わされたからな。オメーさえいなけりゃオレはここでまだギャングやれてたんだよ。それがこんな20もそこそこのガキにしてやられて……チャチな売人なんかになりさがったたぁ、ほんと泣けてくるぜ。だがオレは慈悲深い。そんな相手にも選ばせてやるって言ってんだ。この地区の担当を外れる、つまりだ、正しい道を選んでこの女を連れて遠くでギャングやるなり漁師に戻るなりしてオレの前から消えるか……このままネアポリスでオレの仕事を奪い続けるってことにして、女を見捨てるか。ふたつにひとつだ、ブチャラティ」

ああ、演劇みたいだなあ、そんなことを思った。

水が高いところから壁を伝って広がりながら流れていくみたい、ぶわーっと……勢いよく止まりもせずにあふれてくる言葉。
それが、わたしを椅子に縛り付けた男がわたしを殺すだの殺さないだの言ってるものだっていうのがなんだかうまく頭に入ってこなくて、ただそんな事を思う。演劇みたいだ。復活祭とかで、教会でやるやつ。

路上でこの男に振り向きざまに顔を殴られ腫れたまぶたのせいで、視界は狭くなったきりほとんど見えないままだ。しかもぐらぐらする椅子にきつく身体をしばりつけられてるせいでまわりを見回すことも出来ないうえ腕の感覚もなくなってきたけど、ようやく意識が少しずつはっきりしてきたところだった。そして今、どうやらブチャラティがそばにいるらしい。
あぁクソ、助けに来てもらえたのはありがたいけど、……仮にもプロだ、誰かを捕まえるのはまだしも捕まったのを助け出されるなんてダサすぎる。しかもこんなボコボコにされた姿を彼にさらすなんて。

でもこの……長台詞の得意な、わたしの頭を金槌で小突き続ける「役者」は勘違いしてる。わたしはブチャラティの恋人ではない。ただの仕事仲間――それだけだ。
ポルポの部下の中でも同じぐらいの下っ端ぐあいだったから、よく組んで仕事をしていた。そのうち彼のチームに何度か誘われたけど、なんだか近すぎると関係がおかしくなる気がするし、……仮にも彼が自分のリーダーになんかなったら、きっと話すことが仕事一色になってしまう。わたしはブチャラティとは、もっとずっとくだらない話をしていたいのだ、そう本人には伝えている。

――だけどそれは半分だけが本当だ。本当は……一緒のチームで仕事なんかしてたらいつか、ブチャラティが死ぬ瞬間なんかを目の前で見る羽目になるかもしれない、そう思ってしまったらうなずくことが出来なかったのだ。
わたしはただただ臆病で、そしていろんな意味で安全な距離の友人でいたかった。ギャングのくせに随分と腰抜けな話だが!

わたしがブチャラティを勝手に好きなのはそうでも、それがどんなにあからさまで、こんな風に知らないヤツにまでばれてるのかもしれなくても、ブチャラティはわたしのことなんてなんとも思ってない。そういうところが彼の美徳でもある。
だから残念ながらいくらわたしを痛めつけたところで、この男が求める取引は成立しないのだ。
彼のことを恨んでるわりには、全然彼のことがわかってない。そりゃあ恋人でもない相手はパーティーにつれては来ないだろう。
それにこのズレた感じだとなんていうか……ブチャラティと会話することが多い女ならみーんな誘拐しだすんじゃないかと、わたしを殴りつけた男がもはや哀れに思えるくらいだった。
そう思えば、そこらのピッツェリアの店員を誘拐されるよりわたしをつかまえてくれたのはむしろ良かった。きっと彼女らよりは殴られ慣れているし、カタギを巻き込まなかったという点ではブチャラティの気持ちも楽だろう。……そうとでも思ってなきゃ、たとえ相手が同じギャングとはいえ誘拐されるようなスキがあったのだという事実を許せそうにない。

「それじゃあ選択肢がひとつ足りてねえぞ。お前を殺してこいつを助けるっていう、一番まともなやつが足りてねえ」

ああ、この声。ブチャラティの声だ。激しい感情を遊びのような言葉に隠して発せられる怒気が、びりびり伝わってくる。

「言ってろ、お前がかくも慈悲深いこっちの提案聞く気もねえってんなら……さっそくこいつの頭を砕くだけだぜ」

そう、全部演劇みたい。

会話の最中もずっとわたしの頭をこづいていた金槌が、頭の横で勢いよく振り上げられるのがわかった。
反射で目が開けてられなくなって身体がこわばる、拳には耐えられても、さすがに金槌で殴られたら――あまり考えたくはない。


……だが、次の瞬間に妙な音を口から吐き出しながら後ろに吹っ飛んでいったのは、わたしじゃなくて「役者」の方だった。

「……仲間が世話になったな」

ぞっとするぐらい冷たい声でつぶやきながら、ブチャラティがわたしの横を、怒りをみなぎらせたまま静かに通り過ぎる気配があった。
そして男が飛んでいった方から骨と骨がぶつかり合う鈍い音と、そのあいだに混じる悲鳴とも押しつぶされたカエルのような声ともつかない何かの音が断続的に聞こえてきて――そして止まった。


男を黙らせるという仕事を終えてからこちらに近づいてきた足音は、さっきわたしの横を通り過ぎたのとは全く違う、リズムを乱しひどく慌てた様子で少し笑う。しゃがんでこちらを覗き込む彼の眉を寄せた顔が、腫れたまぶたに遮られた視界の隙間にも入り込んできた。

「おい、大丈夫か!」
ほとんど叫ぶように言いながら、ブチャラティはわたしを縛り付けていた紐を解いてくれた。聞き慣れたジッパーの音のあと、フッと身体が軽くなってバラバラと紐が床に落ちていく。

「……悪い、助かった……あー……目のところ結構腫れてるよね?」
そっとまぶたに自分の指を近づけながら言う。視界の端に見える手は痺れで震えていた。わたしの返事に彼はあからさまにホッとしたような声で返す。……そんなに、死んでるみたいな見た目してたんだろうか。
「……ああ、早く冷やそう。……だが、ほかは何もされてねえか」

きつく縛られてた腕が抜けそうとか、殴られた時に噛み締めた歯が痛いとか、ブローノはおそらくそういうことが聞きたいわけじゃあないんだろう。静かな瞳だ。何でも受け止める覚悟はある、そんな目をしていた。でもわたしが答える前にハッとしたように彼は立ち上がってこちらから少し距離を取ると、すまない、そう囁いた。

「……全てオレのせいだ。オレに言いたくないならそれでも構わない。……だがせめて、治療を受ける手伝いをさせてくれ」
「生きてるんだからそんなこと言う必要ないって……殴られたところは痛いけどさ……。それにあんたが心配してるようなことは何もなかったから、安心してよ」

それが笑みに見えるかどうかは自信がないが、なんとか微笑んで見せる。まああんな風に散々自分の女だと勘違いした発言なんかされれば、そんな心配もしたくなるだろう。

「ブチャラティがどうっていうのもそうだけど……なんていうか、私が女だから、でしょ。あいつきっとわたしが……そうだな、アバッキオくらいデカくて筋肉もあれば、ブチャラティに近い人間っていってもこんな脅しのダシには使わなかったんじゃない? 勝手に恋人だと勘違いすんのは勝手だけど、要は……女だからナメられたんだって思うと腹立つ」

あぁクソ、血の味が止まらないと思ったら口の中が派手に切れてる。しばらくはモノを食うたび痛みに顔をしかめることになるだろう。どこまで裂けてるのか確かめようとおそるおそる頬の内側を舌で探るのに夢中になっていて、わたしはブチャラティが黙り込んだのに気付いてなかった。

「……いや、オレのせいなんだ」

ぽつりと、彼はやけに静かに、こちらを見ないまま囁いた。

「お前があいつにこんな目に合わされたのは、とにかくオレのせいだ。だからお前は、オレを殴ったって罵倒したっていい」
「何言ってんの……?」

思わずぽかんとして彼のことを見つめる。こんなのは助けに来てくれた時点でお互い様ってことはきっとブチャラティだってわかってるはずだ。……だから何故、そんなことを、まるで懺悔室の中の罪人みたいに!

「……オレは、……お前のことが、」

いやいやいやいや待ってよブチャラティ、今のわたしはひどい顔だ、視界は腫れたまぶたで半分は塞がってるし、すべての関節はねじを外されたみたいにガタガタでうまく力が入らないし、身体中どこもかしこもひどく痛くて、服の胸元は自分の鼻血で汚れている。

誰かに思いを伝えられたりそれを確かめたりするにはもっとも相応しくない状態なのは確かなんだよ、だから、……だけど!
彼が懺悔するかの様に続けたその言葉は、すべての痛みも自分のひどい見た目のことも、楽々とわたしの頭から吹っ飛ばすほどの力を持っていたのは――言うまでもなかった。

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