No.08 Pettirosso

「久しぶりだな、なまえ。」

 怖い。感じているのは、端的にそれだけだった。下校中、突然目隠しをされ、手で口を覆われ、そのまま担ぎ上げられてこの車に放り込まれた。車の扉が閉まってから、誰かがその目隠しを外してくれたが、それだけで心が休まるような状況ではない。これを外したのは、きっとこの誘拐を企てた者だろう。再び飛び込んできた光に何度か瞬きをして、私は咄嗟に顔を上げる。

 目の前にいた男は、鮮やかな金髪を揺らし、少し首を傾げて微笑んだ。まるで子供を相手にしてるかのように、穏やかで、たおやかな仕草だった。

「…………ジョルノ?」

「そうだよ。」

 信じられない。私は目を皿のようにする。そして数秒間彼を見つめた後、漸くさっき言われたことを思い出した。

「『久しぶり』、ねえ……。よくそう軽く言えるわね。」

 動き出した車の振動を感じながらも、私は変わらず隣の彼に意識を集中させる。そして強がりから来る嫌味を続けた。

「何。いつも通り学校から帰る私を力任せに誘拐するのが、2ヶ月ぶりの挨拶ってわけ?とんだおもてなしだわ。」

「いや、悪かったよ……。」

 ジョルノは笑顔を崩さず、少し溜息をつく。

「でも、今の僕はあまり堂々と公には出れないんだ。」

 その言葉に、私は思わず額のシワを刻んだ。

「あら。あの日突然いなくなったかと思えば、今は億万長者の気分?そのスーツだって。」

 そう言い、さっと彼の服装を一瞥した。素材が違う。高級ブランドのオーダーメイドに違いない。すぐに彼に再び向き合うと、彼の表情はまだ変わっていない。

「さすがはなまえ。君はやっぱり勘がいいね。」

「え……何、本当に億万長者になっちゃったの?」

 そのまま動揺を隠さずに言葉を零した。

「少し違うけど、間違ってはいないかな。」

 ジョルノはそう呟き、私から目を離して正面を向いた。一方、私は口をつぐんで、変わらず彼の横顔を見つめる。

「……ねえ、何があったのよ。」

 恐る恐る、口を開いて弱々しく彼に問いかけた。

「どうして。『また明日』って言ってたのに。なのに、どうして、二度と私に会いに来てくれなかったの。」

 やがて声は掠れていき、最後には震えていた。

「いいよ、なんか事情があったなら。私はジョルノが言うことなら、なんでも受け入れる気持ちでいた。でも、説明もなしに突然いなくなっちゃたもの。」

 そう続けると、ジョルノは下を向き、目を伏せる。

「今だって。私には何も言わないつもりなんでしょう。」

 少し語気を強めて言うと、私の頬を一粒の涙が走った。

「今日まで。いや、今だって。私がどういう気持ちか。ジョルノ、あなたならわかってくれるでしょう。どうしてこんなことになっちゃったの。」

「ごめん。」

 間髪入れずに、ジョルノは答えた。目を伏せたまま。

「本当に。会いたかったんだ。僕だって。でも、できなかった。その理由も、言うことはできない。」

 そう言い切った彼を見て、私は再び黙り込んだ。ひとつ、またひとつと、涙が落ちていく。そして数秒間の沈黙の末、彼は相変わらず下を向いたまま、私に訊いた。

「……まだ持っている?写真。」

「………………当たり前よ。パスケースに大事に入れている。初めて貰ったお花の押し花と一緒に。」

「うん……。そうか。」

 そう言い、彼は意を決したようにこちらに再び向き合う。

 『嫌な予感がする』。脳内に浮かんだのは、その言葉だった。心做しか、彼は眉尻を下げて、少し悲しそうに見えた。そして諦めたように言い放つ。

「それ。捨ててくれないか。」

「いやよ。」

 迷わずそう答えた。そうすると、今度はジョルノが眉をひそめる。

「なまえ。聞いてくれ。君がそれを持っているのは、君が思っている以上に危険なことなんだ。」

「いやったらいや。頼まれたって捨ててやらない。」

 気づいたら、少し叫ぶようにして言葉を彼に投げつけていた。おかしいことだってくらいわかっている。ジョルノは、私の前から消えたあの日に、とっくに私を捨ててしまっていたんだ。認めたくない。けれど、きっとそれが真実。だったら、私も彼を捨てるのが理に適っている。

 でも、どうしてだろう。私にはまだ、彼を手放す勇気がない。せめて残されたこの思い出くらい、大事に持たせてくれ。そう願う他なかった。

 私は彼を睨みつけた。引き下がる気はないそう見せつける。彼も険しい顔をして私を見つめていた。が、やがて大きな溜息をついて、突然笑い出した。

「やっぱりだな。君は案外頑固だよね。そういうところも好きなんだけど。」

 そう言った彼が私に向けた表情は。2ヶ月前、何でも無い日々を送っていた頃に良く見た、朗らかな笑みだった。まるで、今まさか決別の時が来ていることなんて知らないかのような、無垢な目つき。予想もしていなかった彼の言葉と表情に、私は愕然としてしまう。

「な、何、いきなり……。」

「僕の負けだ、なまえ。やっぱり君を諦めることなんてできない。」

 その言葉に、私はまた気が動転する。

「どういう意味……?」

「その写真、少し貸してくれないか。」

 ジョルノは私に片手を差し出す。その手を眺め、私はどうしようか決めかねた。

「破ったりしないから。僕を信じて。」

 顔を上げると、彼と視線がかち合う。相変わらずあの優しい笑顔だったが、彼の目は少し寂しそうに細められている。

 そうだ、彼は私にウソなんかついたことない。2ヶ月前はいつもしていたように、再び彼に任せてみよう。その表情を見て、そう思えた。

 制服のポケットに手を伸ばし、パスケースを取り出した。それを開き、大事に挟んでいた写真を抜き出す。そしておずおずと、ジョルノの差し出された手にそれを乗せた。

 ジョルノには不思議な力がある。それは、少なくとも2ヶ月前は私しか知らない秘密だった。きっと、彼はまたそれを披露するのだろう。少し早まった鼓動を感じながら、手の上に乗った、私と彼が幸せそうに笑っている写真を見守る。

 しばらくすると、その写真は盛り上がり、ある動物の形になった。チュチュチュ、とさえずるのを聞き、私の予想は現実となった。

「……ペッティロッソ。」

 正式名称をヨーロッパコマドリと言う、この小さな可愛らしい鳥。丸いビーズのような目はキラキラと輝き、顔から胸にかけてのオレンジの羽は冬になるとよく映える。

「うん。なまえ、君がいつも好きだって言っていた鳥だよ。」

 ジョルノがそう言うと、そのペッティロッソは羽ばたいて彼の手を離れ、私の肩に止まった。横を向いてその子を見つめるが、全く私に臆している様子はない。

「約束をしよう、なまえ。絶対にまた君を迎えに来る。それまでに、その子を僕だと思って大事に育ててくれないか。」

 私は再びジョルノに向き合う。

「僕はまだ信頼を勝ち取らないといけない。それまでは君にも危険が及ぶ可能性がある。本当は、今日こうして会うことも部下には反対されていたんだ。特に、その写真が誰かに見つかったら確実にまずい。だから、今はペッティロッソに変えさせてもらったよ。」

「……それなのに、どうしてジョルノは自分で会いに来たの?」

「決まってるだろ。なまえ、君に早く会いたくてしょうがなかった。」

 そう言って少し照れくさそうに、でも再び笑う彼を見て、私は胸が締め付けられた。この2ヶ月間、そしてこの5分間。彼の気持ちを疑ってしまった。その事実が今、私の心に重くのしかかる。

「……絶対、大事にする。この子を、絶対に守る。」

 私は手を伸ばして、肩にいるペッティロッソを撫でる。その子は気持ちよさそうに、小さく高い声を漏らした。その様子を認めたジョルノは、更に顔を綻ばせた。

「ありがとう、なまえ。またしばらく待っていてくれ。この2ヶ月間、君を忘れたことはないし、これからも毎日君を想うよ。」

 そう言われ、呆気に取られて固まった私に、ジョルノは身を乗り出す。そして、両手で私を包み込んだ。

 久しぶりに感じた彼の温もりに安心したのか、一気に緊張感から開放されたからか。はたまた彼の言葉が純粋に嬉しかったせいか。せっかくまた会えたのに、しばらく彼を見ることができない寂しさもあるかもしれない。

 様々な感情が渦巻く胸を抑えて、静かに頬を濡らした。身体を今だけジョルノに預けながら。漸く声を絞り出して、「ありがとう」と呟いた。そんな私の精一杯を、優しく包み込んでくれたのは、肩の小鳥の甲高い歌声だった。

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