06 今日から君は、

 モロッティが死亡していることが確認されたのは、リリアナが無傷でサントーロのもとに戻ってきた日の午後だった。
 自室で死んでいるモロッティを見つけたのは、その日に会うことを約束していた女だった。いつもなら出る電話に、その日はいつまで経っても出ないモロッティに苛立ちながら彼のアパルタメントを訪れた女は、ベルを鳴らしても彼が出てこないことを訝しんだ。仕方がないからバッグの底から合鍵を引っ張り出してきて扉を開けると、部屋は静まりかえっている。彼の名を呼んでも出てこないので、どうせ寝ているのだろうと寝室に行くと、茶色く変色した血の滲みのなか息たえているモロッティを発見したのだった。
 すぐに警察に連絡し、救急車も呼んだが、死後何時間も経っているということは女の目にも明らかで、女は救急車が来る前に恋人の死に泣いた。大勢の警察が来ていろいろな調査をしていって、前の日の夜に酔っ払って帰ってくるモロッティを大家が見ていたこと、部屋には鍵がかかっていたこと、女にはその日のアリバイがあったことなどがわかった一方で、どうにも納得いく説明はつかないままだった。
 女が、モロッティはいつも連んでいる仲間と昨日も一緒に飲みに出かけていたはずだと言うので警察が彼らに電話をしたが、一向に出なかった。痺れを切らして警察が彼らの家に向かったところ、1人はベッドの中で、もう1人はソファの上で死んでいた。
 いっそう謎を深めるのは、彼らの身体にはいずれもひどい暴行を受けた形跡があり、それが原因で死に至ったのだろうと考えられることだった。

 以前から目障りだった男が死んだという情報が「パッショーネ」に入ってきたのは、その次の日だった。パッショーネの幹部たちは、組の名を騙って好き勝手やっているモロッティを疎ましく思っていて(そんなことをやっている者は他にもいるのだが)、派手なことをやればすぐに静粛するということになっていた。だから、警察にもっている伝手からその情報を得た時点では、ただ「仕事が一つ減った」くらいにしか思っておらず、むしろ喜んでさえいた。しかしさらに情報が入ってきて、その死にかたが説明がつかず不自然なこと、仲間たちも同じ死にかたをしていることを知ると、幹部のうちの一人、ポルポが、何が起こったのかを調べ始めた。
 スタンド使いとは組織への脅威になりうる存在だから、イタリアにいるスタンド使いについては把握しておくに越したことない。スタンドに関係する仕事を任されるポルポは、まさに、この事件にスタンド使いが関わっているのではないかと考えたのだった。

 パッショーネの情報網の力は強大だ。モロッティらが死の前日までに辿った道順を把握し、要所要所でどのような人物と接触したかを確認する。接触した人物に普通では説明がつかないような出来事が起こっていれば、そこにスタンドの能力が関わっている可能性が大きい。
 負ったはずの傷が消えたというリリアナの奇妙な話は、サントーロや彼が使っている少年たち、酒場や食堂の客や店員といったネットワークを通して、探ればすぐに手に入る情報と化していた。そうして、瞬く間にモロッティらの死の真相についての仮説が、スタンドという道具立てによって、浮かび上がってきた。それが、リリアナが受けた暴行のダメージが、彼女のスタンドの何らかの能力によって、暴行を加えた者へと返った、というものである。

 スクアーロとティッツァーノは、パッショーネに入団して2年、コンビを組んで1年ほどになる。彼らは経験年数でいえばまだ新人のようなものなのだが、スタンド使いとしては優秀で、頭も切れるしコンビとしてもよく動くことから、今回リリアナを「保護する」という任務に選ばれた。
 リリアナは成人の男3人を一夜にして始末したと聞いていたから、いったい彼女がどんなスタンド使いなのかと思っていたが、出てきたのは痩せっぽっちの、顔色の悪いおどおどとした少女だったので、スクアーロとティッツァーノは拍子抜けした気分だった。
 彼らはリリアナが本当にスタンドを宿しているのか疑っていたが、スクアーロのスタンドが見えることがわかったので、やはり自覚なしのスタンド使いであったことを確信したのだった。

 リリアナは以上の経緯を聞くと、まだ信じられないという顔をして、自分の手のひらや、水のボトルや、スクアーロとティッツァーノを交互に見たりして、首を横に振った。

「………わたし……いままで、さっきのサメみたいなモノを見たことはありません。……あの夜も、痛くて痛くて、死んでしまうんだって思って、目を閉じて……。それで、次に起きたら、怪我が全部、治っていたんです。だから、わたし、『スタンド』なんて…………」

 リリアナは自分にスタンドがあるなんて思わなかったし、そもそもスタンドの存在自体をまだ受け入れられていなかった。けれど、もしスタンドというものが本当に存在するのならば、それを出せない自分はこの男たちにとってどう映るのだろう。それを想像したら、恐怖で言葉が尻すぼみになった。わざわざ大金を払ってまで自分を連れ出してきたのに、その意味も価値もなかったと思われてしまうことがどんな結末を招くかは、リリアナにも簡単に想像できた。
 リリアナの喋り声がだんだん震えていったのに気がついたスクアーロとティッツァーノは、顔を見合わせた。

「おまえ、何怖がってんだ。あのな、おまえがスタンドをもってることは確実なんだよ、だっておまえ、スタンドが見えるんだから」
「………………」リリアナはまだ信じられないという顔をしている。
「そうだよ。君がスタンド使いだってことは確定。自分のスタンドを見たことがなくてもね」
「…………でも……あの、『スタンド』をもっていたとしても、わたし、……わたし、何の役にも立てません。売り子と、盗みしか、やったことがなくて」

 リリアナは幼いけれど、このイタリアの裏の世界で生きる者たちが直面する厳しい現実を知っていた。稼ぎが少なければそのぶん衣服や食事の質と量に影響がでることも、「失敗」には「罰」がつきものであることも、誰かの役に立たなければ生きる価値さえなくなってしまうことも、知っていた。だから、スクアーロやティッツァーノが自分を連れ出したからには、「パッショーネ」のために役立つことをしなけばならないはずだと、リリアナは思っていたのだ。だからリリアナは、彼らがスタンドについて何一つ知らず、役に立たない自分をどう扱い、どう処分するだろうと想像して、そして恐怖した。

 きっとまた、あの夜のような痛みを味わうことになる。そう思うとリリアナは、蛇に睨まれた蛙のように、猫に睨まれた鼠のように、スクアーロとティッツァーノの前で俯いて、縮こまった。けれど彼らはリリアナの予想に反して、笑った。

「ははは。そんなにビビんなよ。うちの組でスタンドを使える奴には、そんな盗みだとか売り子だとか、雑魚の仕事はさせねぇよ。オレらだってスタンドを使えるからってんで、まだ入団して3年も経ってねぇのに、組での序列は上なんだぜ」
「わたしたちが上から任された『保護』というのはね、リリアナ、君の身柄を預かることだけじゃあないんだ。君のスタンドがどんなものなのかを確認して、君を組織に役立つメンバーになるように、教育するということでもあるんだ。わかるかい、リリアナ」
「…………わたし……そんな、『パッショーネ』の役になんて……。『スタンド』だって、見たことがないのに」

 スクアーロとティッツァーノが努めて優しく、怖がらせないように振る舞っているのはリリアナにもわかったけれど、それでも恐怖を拭い去ることなんてできず、リリアナは俯いたままでいる。

「見たことなくても、おまえのスタンドはそん中にいるんだよ。いまは見えなくても、そのうち見えるようになる。おまえがもうちょいと大きくなれば、強くだってなる」

 スクアーロはそう言って、リリアナの胸のあたりを指さした。「だから、心配すんなって、な?」それから俯いたリリアナの頭を荒っぽく撫でた。ティッツァーノはリリアナの視界に入るように少し屈んで、彼女の目を自分の目に合わせた。

「だから、今は自分のスタンドが出せなくてもいいんだ。これから、わたしたちが、このパッショーネが、君が自在にスタンドを使いこなせるようになるまで、見てあげるんだからね」

「今日から君は、パッショーネの一員なんだ」―― リリアナはそう言われてやっと顔を上げた。スクアーロとティッツァーノの目を覗くと、彼らが嘘や揶揄いを述べているのではないのだとわかった。それどころか、彼らは自分を「見て」くれている。

 リリアナは久しぶりに人の顔をまともに見たし、見られたとも思った。それに、誰かに頭を撫でられたのも、誰かが目を合わせて話してくれたのも、いつ以来だっただろうかというくらい、リリアナには久しくなかったことだった。これまでサントーロに、あるいは母親にでさえ「できない」「わからない」などと言えば叱られるかため息だけが返されるかだったから、彼らにこのような反応をされて、驚いたし、同時に嬉しいとも思った。けれど、これまでの苦しい思い出も蘇ってきて悲しくて、リリアナの胸の中は一言では表せない気持ちがごちゃごちゃとしていた。

 それでもひとつ確かなのは、リリアナが感じたのは「安心」という感情だったということだ。リリアナは、サントーロの下で働くようになってからずっと休まらなかった気持ちが、いつ見捨てられるかもわからない不安と焦燥感で押しつぶされそうな気持ちが、この瞬間に、少しだけだけれど軽くなったことだけは感じたのだ。

 パッショーネがリリアナに要求するのは、ただ組織のために働くこと、スタンドの能力を組織の活動に役立てることだ。パッショーネが欲しいのはリリアナの能力であって、リリアナ自身ではない。けれど、そんなことはリリアナもわかっていた。わかっていてもなお、嬉しかった。自分が、必要とされているのだということが。
 この人たちは、「パッショーネ」は、自分を選んでくれたのだ。誰からも――母からでさえ捨てられ、必要とされなかった自分を。他人の物を盗んで、道に座って金と食べ物を乞い、誰にも見向きもされない物を売る、惨めで悲しい生き方しか知らなかった自分を。

 リリアナは、頬に涙が伝ったのがわかった。ずっと心を支配していた緊張と不安と恐怖とが、一気に大きな雫となって溢れ出てきた。目頭が熱くなり、目の前が涙で歪んで、でももう自分ではどうすることもできなかった。

 スクアーロとティッツァーノは、リリアナが声を上げて、鼻水も嗚咽も出るままに泣きじゃくるのを見て最初は驚いた顔をした。でも2人はすぐに顔を見合わせて笑い、スクアーロは下の階から手拭いを持ってきてリリアナに渡した。ティッツァーノはリリアナの隣に座って頭を抱きかかえて、リリアナが泣き止むまでずっと側にいたのだった。

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