初対面


 わたしの背2つぶん、いやそれ以上もある大きな鉄の門扉が開くと、一層緊張に心の臓が潰されそうに感じるくらいだった。ジョースター様のお屋敷は、ずっと向こうまで広がる草原の主であることを声高に主張するみたいに大きくて、立派で、こんな貧相ななりをした女が立ち入って良い場所ではないのだと訴えてくるようだ。
 わたしは汗の滲んだ手に持っていた鞄から、またあの手紙を取り出した。そこには流れるような筆跡で、確かにわたしの名前が書いてある。ついでに中身を見ると、やっぱり今日、この時間にこのお屋敷に来るようにとある。良かった、やっぱり間違いではない、そう思うとわたしは小さく頷いた。
 綺麗に整えられた庭を抜けてお屋敷に一番大きな扉の前まで来ると、一人の女性がそこでわたしを待っていた。その人の顔には見覚えがあった。ジョースター家に初めて来たとき――メイドの採用面接のときにもいた、家政婦の方だ。名前は、ヒューズさん。あの面接のときと変わらず、目尻にある皺といつも少しだけ上がった口元が、わたしの緊張を解してくれた。

「お待ちしていましたよ。さあ、こちらへ」
 ヒューズさんは二歩ほど前を歩いて、お屋敷のなかを案内してくれる。彼女の歩調に自分のそれが合ってしまったのに気がついて、わたしはそれとなく歩調をずらした。塵一つとして落ちていない格子柄の床に、できるだけコツコツと音が響かないようにして足を踏み出す。玄関ホールから続く画廊を抜けると食堂があって、それも通り過ぎると厨房にたどり着いた。すでに、いくつもの閉じられている扉や、何かの物置部屋を通り過ぎてきたので、どこに何があるのか覚えるのが大変そうだ。けれど、こんなに大きなお屋敷のなかに入ったことがなかったから、迷路を探検しているみたいで楽しく、あちらにもこちらにも目が奪われる。厨房で談笑しながら働いている人たちに一言挨拶すると、ヒューズさんは「次は使用人の部屋ね」と言って歩き出した。
 そうやってお屋敷を見て廻っていると、いよいよ、このお屋敷でメイドとして働くのだという実感が湧いてきた。これは記念すべき第一日目だ。これから、自分で自分のお金を稼ぐ、わたしの生活が始まるのだ。「嬉しそうね」ヒューズさんがくすりと笑ってそう言ったので、知らないうちに口元が緩んでいることにやっと気がついた。

「へぇ、あなたが新しく来た人?」
 再び玄関ホールに戻ってきたとき、階段の上の方から声がした。そちらに顔を向けると、本を脇に抱えた一人の少年がこちらを見ていた。わたしはその瞬間、身動きが取れなくなった。階段の上から降り注ぐ視線から、目が逸らせなくなった。
「あら、ディオ様。ええ、左様でございますよ。ナマエといいます。今日からお部屋とお食事の係に入ってもらいますの」
 ほら、ご挨拶して、というヒューズさんの声に、曖昧に返事をする。というよりも、そんな気の抜けた返事しかできなかった――だってあまりにも、金色の髪をして微笑むその少年がきれいだったから。
「そう。実はぼくも、最近ここに来たばかりなんだ。よろしくね、ナマエ」
 その少年の声の、なんと涼しげで、なんと甘やかなことか。その声が耳に入ってくると、さっき感じていた緊張なんて軽く蹴飛ばしてしまうくらい、心がどきどきと音を立てた。
 不自然に固まったままのわたしを見て、ヒューズさんはどうしたの、と言って手を握った。それでやっと、わたしは夢のなかにいるような心地から、地に足のつく場所へと戻ってきた。
「あっ、あの、ご機嫌よう、ディオ様」
「うん。こんにちは」
 ディオ様は口元に手をあててちょっと笑ったようだった。途端に、わたしの頬は一マイルを全力で走ったときみたいに真っ赤になる。自分でも、よくもこんな赤面ができるものだと思った。隣でヒューズさんも「まあまあ」と呟く――ああ、なんてこと、これではまるで、まるで、このひとに「一目惚れ」をしてしまったみたいではないか。
 
 恥ずかしくて恥ずかしくて、わたしはもうそれっきり何も言えなかった。
 その日の夜、初めてこのお屋敷のベッドで寝るときに、あれが本当の「一目惚れ」だったのだとわかった。

 これが、わたしとディオ様の、初めての出会いだった。
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