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 初めてニナ・クラークに会ったとき、ジョナサンは幼心ながらにきれいな人だ、と思った。
父や、記憶にはない母よりは若く、家で働く若いメイドたちよりも少し年上だろうか。所作がゆったりと鷹揚として、ジョナサン様、初めまして、と挨拶する様子に見惚れた。落ち着いた優しげな瞳は海と大地の縮図のように蒼と翠に縁取られ、真ん中はやや黄色がかっている。美しい瞳だと思った。
後頭部で編み込まれたプラチナブロンドは艶があり、あまり陽の入らない部屋なのに輝いて見えた。首回りまで覆うシンプルなドレスは深いネイビーブルーで、日光に弱い彼女の肌を守っている。
ジョナサンは勉強が特別好きというわけではなかったが、ニナに教えてもらうなら楽しいかもしれない、と思った。

***

 レッスンの初日、授業が終わると、ニナは前日に怪我をしたジョナサンの手をとってなでた。もう痛くありませんか、という問いかけにジョナサンが頷くと、よかった、と微笑む。

「ジョナサン様。もしよろしければ、一緒にあの子犬の名前を考えませんか」

 ジョナサンは、この提案に眉間のしわを作った。昨日の一件で子犬に対する苦手意識をもってしまっていたからだ。それだけではなく、自分よりもはるかに小さな、頼りない子犬だというのに、血も出ないほど柔らかく一度噛まれただけだったのに、あんなに泣いてしまった──という思いから、幼心にも恥ずかしさを覚えていた。
ニナは、ジョナサンのやや複雑な表情をみて彼の心情を察し、優しい声色で諭す。

「昨日あの子は驚いてジョナサン様を噛んでしまったけれど、もうそんなことはしないはずです。ジョナサン様があの子を許してあげて、名前をつけて、これからたくさん呼んであげれば、きっと仲良くなれますわ。あの子は、ジョナサン様の弟になるのですよ」

 手をとってまっすぐな目で見つめてくるニナの優しさにまた少し泣きそうになったけれど、弟、という言葉は同時に、ジョナサンの心を温かくした。

「……ぼく、名前を考えるよ」

 ニナはよかった、と微笑んだ。

***

 ニナは週に2、3回ほど、ジョースター家でジョナサンの教養のレッスンを行った。
 現在5歳のジョナサンはジョースター家の一人息子ということもあり、父ジョージから大きな期待がかけられている。ニナは、ジョナサンが13歳になり寄宿制パブリックスクールに通うまでに一通りの教養を身につけさせんと、ガヴァネスとして雇われたのだ。
 彼女を紹介した斡旋所のジェイムズからの手紙によれば、ニナはイングランド北部の田舎の中産階級家庭の一人娘だったが、数年前両親が病死、家財は親戚たちに分散し、職を求めてロンドンに上京したと、斡旋所に訪れた当時の本人から聞いたという。ジェイムズの助けもあって運よく新興の中流家庭のメイドとして働けることになると、その物腰と確かな教養、それから見目の良さが見込まれて、上流家庭のコンパニオンとして引き抜かれた。そこでも才能を発揮して重宝されたが、子どもに学問を教えたいという夢をもちはじめ、さらにはロンドンの都会の喧騒に疲れたと言って職場の変更を望んだ。そうして行き着いた先が、リバプールの郊外にあるジョースター家だったというわけだ。ニナは、ジョースターの屋敷から2マイルも離れていない場所に住むことになった。

 ニナは、以前働いていた家庭からの紹介状とジェイムズの口ぶり、そして面接をしたときのジョージの見込みに違わず優秀だった。その若さからは推知できないほど各方面に多才で、英語、ラテン語やギリシャ語、フランス語の読み書き、哲学や文学に歴史、さらには絵画も教えることができた。
 ニナは、ジョナサンにただ教えるだけではなく、哲学や歴史にかかわるある問題を問いかけたり、逆にジョナサンに質問をさせることで、問題の理解を深めることに優れていた。ジョナサンはもちろん、ジョージや使用人たちも、この才気にあふれる若い娘を気に入った。ジョージがニナに、どこでそのような教養を身に着けたのかと聞くと、育ててくれた人が熱心だったのですわ、と静かに言った。


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