Prologue


 コロンブスの「発見」から数百年の間、ヨーロッパから多くの移住者を集めた「新世界」。その西部──カリフォルニアには、金(ゴールド)を求める多くの人々が押し寄せていた。もともとカリフォルニアに住み農業を営んでいた者が家族を伴って金の鉱脈に殺到、次にカリフォルニアの隣オレゴンに住んでいた数千人、それからメキシコやチリからはラティーノが、海を越えてハワイアンやオーストラリアンも──。

 1840年代の終わりから、カリフォルニアの風景はすっかり様変わりしていた。牧草地と野菜畑、ブドウ畑がどこまでも広がっていた景色には、一気に人々の群れが加わった。メインストリートには坑夫とその家族の住居がずらりと並び、子どもたちが中心部の広場で遊んでいる。食料・日用品店では女たちが店先に立ち、客と噂話を交換している。大通から一本わき道に入った場所に構える売春宿では、けだるい表情をして簡易に化粧をほどこした女たちが表に出たり裏に入ったりして時間をつぶしている。居住地域から数マイル離れると、そこは金を求める者たちが朝から晩までうごめいている。男は鉄のハンマーを振り鉱石を削り、子どもや女は小型のつるはしで鉱石を叩いて金を取り出したり、水路に選鉱鍋をくべて砂金を選り分けたりしている。サンフランシスコ半島の先、その形からゴールデンゲート海峡と名付けられた入り口より寒流が流れ込む湾には、商船や旅船が頻繁に出入りしている。

 ゴールドラッシュの波に乗って財を成したある富豪の屋敷は、その栄華を見せつけるように立派だった。広大な領地に構えるイオニア式の柱に支えられたペディメントは晴天に照らされて眩しいほどに白く、玄関手前には一インチの狂いもなく長さを整えられた生垣が青々と茂っている。この邸宅に入るとまず目を引くのは、数々の美しい調度品だった。バッファローやヘラジカの頭部の剥製は来客者を驚かせ、陽の当たる向きに飾られたステンドグラスの色彩が美しい。藍色で微細にドラゴンが描かれた陶磁器は、元の時代のものを清国より取り寄せたという。
 階段の隣には、大理石の土台に置かれた女の像が特別の存在感を放っている。像の細部に目を凝らせば精巧に作りこまれていることがわかり、全体を見れば圧倒的な曲線の美を描き、今にも動き出しそうだ。長跪の姿勢で胸の前で手を組み、祈るような仕草。腰の位置まである髪は風がふけばさらさらと流れそうだ。少し眉を下げ、瞼は閉じられ、唇をきゅうと結んだその表情は、苦しいのか、悲しいのか──少なくとも、嬉しそうな色はしていなかった。像の首や腕からは細かな意匠が施された装飾が下がり、胸や下半身にはわずかな面積の布を纏っているようだった。服飾の部分はところどころヒビが入っていたり、欠けていたり、ざらざらと削られてはいるが、像の肌の部分は、肌理の細かいやすりで磨いたようにつるつるとしていた。

 屋敷の主人は、数年前にこの像を隣町の坑夫から高い値段で買い取った。その坑夫は、さらに数年前の入植ののち、金の採掘で当面の暮らしのための財を確保してからは少し贅沢をしてみようと、現地住民からそこそこの値段で買い取った。その住民は、これまた数年前、農地の開拓のために河川近くの低山の様子を見に行ったところ、この像の頭部が土にまみれて地面から露出しているのを見つけて、掘り起こしたという。主人が坑夫から聞いた話によると、昔その地域に住んでいた先住民族の装飾品や儀礼品も像と一緒に見つかったため、第一発見者のその住民は先住民族が残していったものではないかと考えている、とのことだった。しかしながら、この像は先住民族の服飾とは明らかに異なるものを身に着けているし、先住民族の装飾品などの特徴と照らし合わせても、毛色が違うことは明らかだった。主人は骨董商や彫刻家などに像の鑑定を依頼したが、この像がいつどこで、誰によって制作され、なぜこの地にあったのかを示す手掛かりは結局見つけられていない。

 ──この不思議な像はアメリカ大陸の発展とともに旅をして、何かの縁に導かれてついに自分に出会ったのだ──そう主人は思った。この家に訪れたあらゆる者の目を奪う、我が家で一番の自慢の品であると。自分の子や孫、その先までずっとこの像は家宝としてここに置いておこうと。

 けれど、そのような思惑は、ゴールドラッシュの最高潮が過ぎて落ち着きはじめた町の、たったある一夜を越えると、かなわぬ夢となった。女の像が、忽然と姿を消したのである。
 何の不審もない、平凡な夜だった。屋敷の使用人たちは、主人や子どもたちが寝付く前、玄関と窓の施錠の際には像が確かに階段の隣にあったと証言しているし、玄関の扉は確かに朝も閉まっていた。床には無理やり像を引きずった様子はないのに、像の土台となった大理石からは、きれいさっぱり女の足跡が消えていた。そして大理石の周囲には、細かな像の破片が落ちていた。
 玄関のすぐ隣にある一つの窓の鍵だけが開いており、窓は半開きになっていた。盗人が、窓から像を持ち出したということは確実だった。しかし、女の像が手を胸の前で組んでいる部分や足の部分が引っかかるだろうから、窓枠に傷一つつけずに盗み出すことなど不可能なはずだったし、屋敷の人々は誰も物音を聞いていない。そもそも、どのようにして外側から窓を開けたのか。窓の鍵は、壊れてなどいないのに。

 主人や保安官は、使用人や近隣住民のその夜の行動を洗いだし、裏の市場で取引された像がないかどうか調査し、あらゆる手を尽くした。それでも、盗人と女の像の行方が明らかになることは、ついになかった。


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