09
さすがにこれは、はじめてだ。
「てめぇーッ! 太陽の光でやっつけてやるぜッ!」
何千年、になるのか、生きてきた年数はあまり数えていないが、少なくとも初めてだ。これほどまでに、身体が痛いという感覚。獲物の思わぬ反撃に、してやられたという経験。
外気を感じる。引っ張られている方から感じるのは、太陽に温められた空気だ。
鎖は固い。食べ物じゃあないから摂り込めない。引きちぎれるほどヤワでもない。
まぁ、人間も進化するということか。それにしたって、この波紋とやらはともかく、ほかはあまりにも速すぎる。生きものとしての形質も心も変わらずに、小手先の技術だけが独り歩きして、何十歩も前に行ってしまっている状態。しかし人間にはその自覚もないのだろう。醜悪だ。自分が全能と、この世の支配者と信じて疑わない傲慢さ。それが自らの同族を殺し、それによっておれは目覚めさせられた。
「ジョースター! あの扉を開ければいいんだな!」
もう一人の活きのいいのが、手を伸ばしてもがく。やはり、こちらが太陽にあたりたくないのを知っている。足を触ってやれば、今度は反撥しなかった。ならばもう、すべて無駄なあがきだ。しかし、さきほど吹き飛ばされた肉片が戻らない。目覚めたばかりにこの傷は、まぁ痛い。
「おいジョースター! おれの脚を切断しろッ! そうすればあの扉に手が届く! はやくしろーッ! ジョースターッ!」
「やかましいッ! そんなに切ってほしけりゃ切ってやるぜーッ!」
肉片がすべて戻ってくる。と同時に、扉が、くそ、あぁ、太陽! 太陽だ! この光、この熱さ、眩しさ! すぐにひりひりと、皮膚や眼が、痛い、刺してくる、光が、
「う、あああ……!」
唸り声が、出てしまう。太陽のときだけだ、それ以外では決して、こんな、弱みなど。数えなければ。あと10を数えるうちに、太陽から隠れる、そのための時間を。そうだ、あの男。男の内部に。
「なッ……なにィーッ!」
「うおおおおーッ! おれの脚の、傷口からッ……!」
暗闇。肉と血が溶けるように温かい。あと9つ。ここまで、おれが、ここまで追い詰められるなど。これから、この男を内側から喰って、それからどうする? どうするって、この男の皮を被って、再び地下へ。それしかない。
「こうなったらもうおれはもう助からん……自分ごとこいつをふっとばす覚悟よ!」
自爆か。それなら、どこか、少なくとも光のない場所へ、あぁ、ちくしょう、こんな、こんなこと、このおれが、
――もっとだ。もっと、強くなれ……
声、あのひとの声。くそ、うるさい、思い出すな、
――もっと冷酷になれ。なんの憐れみも感じる必要はないのだ、人間どもになど……
「シュトロハイム、おまえッ……」
「さらばだ!」
「やめろ! 話はまだ――」
すんでのところで、機を見計らう。男の身体を抜ける。あと8つ。そして爆発。
強い威力だ。耳が痛い。危なかった、これを受けていたら。業腹だが、認めざるを得ない。
いやそれよりも、砂埃を抜けて、再び刺してくる光が痛い。地下へ戻るには、もう時間が足りない。あと7つ。
「サンタナァァァアアア!」
井戸へ向かう。あと6つ。
「どけ! どかずば死ぬのみだ」
どちらが? 違う、おれじゃあない。断じて!
あと5つ。拳がぶつかりあう。手も腕も、顔まで石化している。くそ、こんな、
――私が、なぜおまえたちを、ここまで育てたと思う。
うるさい、おれは弱くない、おれは、人間になど、負けるわけがない。技法だって、こうして、前よりも、
――戦うためだ。戦って、勝ち、あの赤石を、手に入れるためだ。
井戸に落ちる。あと4つ。ぎりぎりだ。違う、くそ、こんな、違うんですこんなのは、おれじゃあない。おれはもっと余裕で、本当なら、
「てめぇのッ……」
違う、おれは絶対に勝てる。ぎりぎりだとしても、絶対に勝つのだ、人間なぞとは力が、強さが違う、だから、そうでしょう、だってそうでなきゃ、おれと人間の違いなんて、ねぇだから、どうか、おれを、
「てめぇの次に吐くセリフは……思い知ったかこの原始人が、だ!」
「思い知ったかこの原始人がッ!……ハッ!」
ああ、光、が――
痛い。
痛い。
痛いけれど、すぐに飽和した。
動かない。
身体が動かない。
固まっていく。
崩れていく。
身体が石となって、ごろごろと離れていく。
だのに不思議と、凪いでいく。
ただ静かに、凪いでいく。
ただ眠りに落ちるまえにみる夢のように、記憶が波のように寄せてくる。
――家族とは、いつも助け合って一緒にいる者たちのことだ。
家族とななんだと問うたとき、あのひとはたしかにそう答えた。
――我らのようにな。
あのひとはたしかに、笑んでいた。屈託もなく、やさしい眼差しだった。ならば、どうして? どうしてですか?
――いや、いや、待って、置いていかないで……
彼女が泣いている。
――なんでもする。戦えないかわりに、なんでもするから……
彼女は、あのひとの背中にすがっている。
――なんでもするから、見捨てないで、わたしのこと、役に立つから、お願い……
彼女は弱かった。冷たくなれなかった。
けれど、彼女は、そうだ、彼女はそれを認めることができた。力がなくて、人間を喰うこともできなくて、技法だって磨けないくせに。でもだからこそ、すがることができた。
――いいだろう。ならば、おまえには――
でも、おれは弱かった。おれは弱かったのだ。こんな人間に負けるくらいには、おれは弱かったのだ。
でも、それを認められなかった。つまらない意地をはった。だから、あのひとに見限られた。あのひとが最も望むことの何の足しにもなれない、然らばそれまでと、そう思われたのだ。そうか、そういうことか、そういうことだったのか、いや、ならば、でも、どうしてですか。
――家族とは……
嘘だったのですか。おれたちが家族だった時間は、嘘だったのですか。
――いつも助け合って一緒にいる者たちのことだ。
おれにそう答えてくれたあなたは、いつから、どうして、変わってしまったのですか。