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 同じ日の夕方ごろ、リオダダ川沿いの森の奥、件のアステカ遺跡発掘現場の周辺には、いくつかの車が停まっていた。人が乗るための車が数台と、大きな荷台を備えたトラックが2台。このトラックは、大量の荷物を積んで道なき道を進むための馬力を備えている。実際いままでそれが通ってきたのは、舗装などはもちろん施されておらず、ただ少数の人が何度もそこを通ったのだろうということはわかる、そのくらいの道だった。

 トラックのなかにも、荷台にも、いまは誰も人が乗っていない。その代わり、空が開けた場所にはいかつい無線機がアンテナを伸ばし、そばには15名は余裕で入るだろうテントが2つも張られている。テントのなかには数人の男が書類を読んだり書き込んだりしていて、皆表情は明るくない。

 遺跡は頻繁に人の出入りがあり、遺跡から物を運び出したり逆に持ち入れたりしている。白い衣服を全身に纏った者が数人、普通の家庭では確実にお目にかかれないような大きなモップやバケツ、何枚もの布や袋など、とにかく掃除で使用される道具を代わる代わる持ち運んでいた。特徴的なのは彼らが皆、顔面すべてを覆うマスクを身に着けているということだ。危険な薬の実験場で必須とされるような、目と鼻と口を保護し、呼吸が正常に働くようにする、それである。

 遺跡の内部は薄暗く、心もとない電線で電気を通しているものの明るさはじゅうぶんではない。スピードワゴン財団が1935年から3年もかけて丁寧に掘り出したこの遺跡は、外からの見た目以上にずっと奥まで構造が続いているので、太陽光が届かないのだ。ここにいる者は皆マスクをつけ、持ち込んだ道具で遺跡のなかを清掃したり、そこらに落ちている鞄や発掘用具、割れた電灯付きヘルメットを拾ったりしている。また、遺跡の地面が石になっている箇所については拭き、それ以外の場所は掃いている。拭いた布はすぐに捨てるが、モップについては使い捨てというわけにもいかない。なので水を張ったバケツに逐一通すのだが、その水も、すぐに赤黒く濁っていく。

 ドイツ軍はここに現れたあと、「ここにあったはずのもの」を切り出していった。それは財団にとって、これまでの数年間の成果を決定的に破壊されるに等しいことだった。しかし同時に、いまここで清掃の作業にあたっている者にとっては、ある意味幸いだったかもしれない。なぜなら、ドイツ軍が先にやっておいてくれたおかげで、それを見ずに済んだからだ――遺跡の奥で起こった、4人が無残に殺された、その跡を。けれどそれがなくたって、大量の蝿、マスクを通して感じる悪臭、足元に広がる乾いた赤黒い溜まりなど、ここで人が死んでいたのだということを示す証はいくつも残っていた。

 そのなかに、マスクに邪魔されながらも、何かを話し合っている者が2人いる。

「記録されているものと回収済みのものの整合が取れました。やはり……フィールドノートや日記は一つも見つかりません」
「未回収の石仮面は」
「そちらもありませんでした」
「そうですか……。柱の切り出し時にすべて持っていかれたのでしょう。こちらも崩壊の危険があります。今日このあとすぐに工事の要請をして、清掃が終わり次第、明日以降は遺跡の修繕を中心に行います」
「わかりました」
 了承の返事をしたのは男の声で、指示を出したのは女の声だ。男は女の指示を簡単にメモすると、間を置いてからこう訊いた。

「……あの、大丈夫ですか」

 大丈夫かと聞いたほうも、聞かれたほうも、マスクのせいでお互いの顔は見ることができない。しかしそうだとしても、男が「何について」「大丈夫か」と心配しているのか、女はよく知っていた。

「ご心配ありがとう。……わたしは、大丈夫です。いまは悲しんでいるときでは、ありませんから」
 男は黙ったままだが、マスクの下で女がいまどんな表情で悲しみや痛みを堪えているのか、想像していた。それから、

「あなたの体調についてもですよ」

 男はそう言った。これは決して付け足しというわけではなく、男は事実、彼女の体調と心、どちらも心配しているのだ。

「それは……痛みはありますが、普通に動くぶんなら」
「……本当ですか? さっきはどう見ても顔色が悪かったですよ。……ひどく出血したんだ、傷だって縫ってからまだ日が浅いのに……」

 女は再び大丈夫だと答えると、清掃を続けている人びとに対して一言労いの言葉をかける。それから、出口に向かって歩きはじめた。男もあとに続く。朝、日が昇る前から続けていた清掃作業と現場状態の確認が、夕方になってやっと一区切りついたのだ。
 遺跡から出ると、僅かに残った太陽の光は森の木々に阻まれ、薄紫の闇だけが辺りを包んでいた。2人はそれぞれ、マスクと防護服を脱いだ。12月も近くなったというのに日没後でも、この国の夜にこんなものを身に着けていれば、汗が出てきてしまう。

「あ、良かった。お二人とも、ちょうど無線連絡の時間です」

 2人が服を着替えていると、テントで作業していた者がそう声をかけた。服を早く取り替えた男のほうが無線の子機を受け取り、今日の作業について報告を開始した。男はしばらく話していたが、相手からの通信を記録する段になると、「ミス・スピードワゴンに代わります」と言って、隣で聞いていた女に子機を渡した。

「もしもし、代わりました――えぇ、捜索は続けましょう。でも、深追いはしないでください。これ以上財団は独自に踏み込まないほうが良い。明後日の会合を待ちましょう」
 そう述べると、女は無線を切った。そして、ふうと息をもらす。疲労、憂慮、不安、恐れ、いろいろな感情が、そのため息には含まれていた。

「彼は……まだ見つからないんですね」
 男は、答えを欲しているからそう問うたのではない。女の、暗く重い表情にかける言葉が見つからなかった、けれどなにか声をかけなければと思い、そう言うしかなかったのだ。

「やはりミス・スピードワゴン、あなたは明日以降休んだほうがいい。……ご家族が、見つからないんだ……それも2人も……」
「……家族……」

 そう繰り返しながら、女は、それが感情を抑え込む必死の策であるみたいに腕組みをして、手のひらを口にあてる。それからくぐもった声のまま答えた。

「わたしは……彼の……、わたしはジョセフ・ジョースターの家族ではありません。……彼は、わたしのことを名前でしか知らない。直接会った記憶もないはずです」
「そう、なんですか……」

 男はそうだったのか、と初めて知った。目の前にいる女は会長スピードワゴンの近しい親戚だと聞いているから、そのスピードワゴンが孫として面倒を見ているジョセフ・ジョースターもまた、彼女に関係のある人物だと思っていた。
「でも」

 女は、そう続けて、ぎゅうと目を瞑った。そしてわずかにまぶたを開ける。

「でも彼は、わたしの大切な人たちの、家族なのです。……たった……たった一人の……」

 夜の森が、女のか細い声を吸い込む。女はそれ以上、何も言わなかった。


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