For her


 カーテンの隙間から差し込む陽の光。開けたままの窓から流れてくる薫風。きゃあきゃあという高い笑い声がそれらに乗って、運ばれてきた気がした。その声に耳を澄ますと、外の様子を見なくたって、そこが暖かい陽射しに包まれた、若葉の茂る春なのだとわかる。
 太陽に温められた新緑の上で寝転んで、花を摘んで、虫を追う、そんな過ごし方がとても羨ましくて、思わずずっと座りっぱなしだった椅子から立ち上がった。人は天気の良い午後を楽しめるのに、わたしには同じことができない。陽が沈まなければ外には出られないのに、陽が沈んでしまったら、この柔らかな空気も、若葉のにおいも、途端に冷たいものになってしまうのだ。
 少しくらいなら大丈夫だろうと思って、カーテンの分厚い生地をめくった。眩しすぎてほとんど目を開けられなかったけれど、かざした手の隙間から、外の景色を辛うじて眺めた。

「あぁもうリジー! リジーったら! ……エリザベス! そこに上ってはいけないと言ったでしょう!」
「やー! やーの!」

 小さい身体を目一杯動かして、あっちに行ったりこっちに行ったり。駄目と言われればやってみたくなる、駄目と言われてもやり続ける、そんな年頃のエリザベスが、地団駄を踏んで、首をふるふると横に振っている。

「そこから落ちたら痛い痛いになってしまうのよ。下りなさい!」
「やーッ!」

 エリザベスは「ヤダッ!」と何回か言いながら、花壇から自分を下ろそうとするエリナ様の手を振り払って、またその先へ駆けていこうとする。

「大丈夫ですよぉ、エリナさん。ちょっとくらい怪我したって、それが教訓になるってもんですぜ」
「もう、スピードワゴンさんまで! あっこら、エリザベス! 待ちなさい!」

 すでに一人を片腕で抱えている彼女では、駆け出した幼子を止められなかった。そばでのんきにその様子を眺めている彼に片腕の荷を預けると、花壇の上で綱渡りさながらにふらふらしているエリザベスに追いつく。脇に手を入れて、そのまま下ろした。

「やーのにー!」

 エリザベスは抱えられたまま、足をばたばたさせた。赤く柔らかい頬は膨らんで、目元はくしゃくしゃになっていく。あぁ、このままでは、きっと――そう思っていたら、ほら、やっぱり。

「ヤダァー! いあーッ!」

 近くにいたら耳が割れてしまうのではないかという声で、泣き出してしまった。幼子はこうなるともう手がつけられない。自分の要求が通らなかったことで泣き出すというのに、たとえ自分の要求が通ったって、泣き続けるのだ。

「そこから落ちて怪我したら痛いのよ。だからやってはいけないの」
「やーッ……」
「リジーも痛いのは嫌でしょう?」
「やぁー……」
「だからやってはいけないのよ」
「や、やーのッ!」
「じゃあ怪我したいの? 痛くなってもいいの?」
「やぁだーッ! やー!」
「そう、嫌でしょう。だから上ってはいけないのよ」
「……んーん! やー! やだーッ!」

 こうなると、もう言葉で説得させようという試みはまったくの徒労に終わるほかない。泣いてわめく幼子との会話をしなければならないのは疲れるのだろうが、こうして第三者として眺めているぶんには相当面白いと思ってしまう。わたしは眩しさにかざしていたはずの手で、緩んだ口元を覆っていたことに気がついた。
 人間の幼子は、見ていて本当に、まったく飽きないのだ。自分があの年齢だったころのことはもうほとんど覚えていないけれど、でもだからこそ、こうして見ていると心も身体も、成長というものがどんなに素晴らしいことかを、純粋に感じる。それはもう奇跡といってもいいくらい、神なる存在がそう設計して造ったのだと言われても納得してしまうくらい、面白くて、不思議で、興味深い。

 エリザベスがイヤ、イヤと泣き続けるのは、今日に始まったことではない。
 具体的にこの日、と言えるわけでもないのだが、彼女の主張が激しくなってきたのは、いまはスピードワゴンさんに抱えられている子――ジョージ様が生まれてから半年と少し経ったころだった。いくつかの本を読んでみたら、人間の幼児は2歳になる前後から少しずつ言葉を覚え、自己主張が強くなっていくのだという。ジョージ様を抱えたエリナ様がナニーを雇ったならまだ楽なのだろうが、彼女は「できるだけ自分で直接育てたい」と言って、今日も午後を庭で遊んで過ごしている。

 見かねたスピードワゴンさんが、埒のあかない二人のあいだに割って入ったようだ。ジョージ様をエリナ様に預けて、エリザベスを抱き上げる。何かを彼女に言いながら、背中をぽんぽんと叩いてあやし始めた。するとエリザベスもイヤイヤと首を振るのをやめて、黙ってスピードワゴンさんの肩に顔をうずめた。彼は、意外にも幼子の扱いを心得ている――というよりも、エリナ様が叱る役、スピードワゴンさんがなだめる役、という分担ができているということかもしれない。

 エリザベスを抱えてくるくると踊るようにあやすスピードワゴンさんが、こちらに気がついたようだ。わたしのほうを指差して、エリザベスに何かを話しかけている。するとエリザベスもこちらを見た。わたしは手を振った。するとスピードワゴンさんがエリザベスの手をとって、振り返してきた。エリザベスはもう泣いていなかった。べそをかいた顔をしていたが、しかしだんだんと自分の手を自分で振り始める。少し楽しくなってきたようだ。わたしも、遠くからでもわかるように精一杯の笑顔を送った。それを一つの区切りとして、わたしは再び机に戻った。

 いくつかの書きかけの手紙、いろいろな種類の地図、すでに消された項目のあるリスト、新聞の切り抜き、船や電車のチケット――そういったものが、机には散らばっている。それらはすべて、石仮面と、石仮面が生み出す者への対処のために用意され、そして使われたものだった。

 この1年――ジョージ様が生まれてからというもの、わたしとスピードワゴンさんは時間と資金のゆるす限り、こういった活動を続けてきた。あるときはヨーロッパに点在する、発掘が始まったばかりの遺跡へ。またあるときは、どこにあるかも定かではない、伝承によってのみ遺跡の存在が知られている土地へ。そのなかで見つかった石仮面については、可能であれば密かに破壊し、破壊できそうになければ内部構造の危険性を人々に念押しして、その地をひとまず去る。地道な活動だけれど、この1年間で壊した石仮面は――それが「本物」かどうかは措いておいて――3つになった。
 しかし、いったい石仮面がいくつ残っているのかは、わたしにもわからない。そして、石仮面によって「人ならざる者」になってしまったひとがいるのかどうか、いるとしたらどこに、どれだけの数が、ということもわからない。だからチベットの山寺とは連絡を密にしているし、こうして各地の新聞に目を通して、不審な事件がないかどうかを常に調べている。
 そして資金が一度尽きればこうしてリバプールに戻ってきて、エリナ様の手伝いをする。エリザベスやジョージ様が無事に育っている姿を見ることが、わたしたちのいちばんの救いだった。

 でも、こんなふうに一時をリバプールで過ごし、また世界各地を訪ね歩くという生活は、そう長くは続かないような気がする。そしてこの予感は、年を経るごとにだんだんと、そのかたちがはっきりとなっていっている。
 19世紀と人々が呼ぶこの時代は、あらゆることが良い意味でも悪い意味でも発展していった時期なのだろう。このことは、この国の昔を知らないわたしにもわかる。わたしが想像もしていなかった「科学」による技術、そして「科学」という思想でもあるものを原動力として、この世界は動いている。海の向こうへ渡ることはすでに当たり前になり、遠い土地の人とすぐに連絡を取ることもできる。科学が可能にした分業、それに支えられた経済は歯車のように働いて社会を動かし、持つ者は持たざる者を使い、さらに富を増やしていく。それが「国」と呼ばれる存在者を主体として行われれば、貿易は軋轢を生み、持つ国が持たざる国を支配することを、正当化する。
 もう10年も経てば、時代は20世紀という節目を迎える。未来のことは誰もわからない。けれど、このまま世界が利潤の裏に隠れた搾取の構造を肯定するのであれば、50年前の阿片をめぐる戦争のような――いやそれ以上に悲惨な争いが起こるのではないか。そしてそのような争いは、どんどん人々の心と生活を蝕んでいくのではないか。そんな予感がするのだ。

 今世紀を超えた先にある、来たるべきとき。その瞬間に、世界はどのようになってしまっているのだろう。どんどん不自由になる世界で、わたしはわたしのやるべきことを、果たせているのだろうか――ここまで考えて、いや違う、わたしは果たせていなければならないのだと思いなおして、かぶりを振った。
 そう、わたしには、何が何でもやらねばならないことがある。そのために、いままでを生きてきたのだから。強く言い聞かせるようにして、心のなかでそう繰り返した。何があったって、やらなければならない。決着を、つけなければならないのだ。

 持っていたペンを置いて、机の端を見た。そこに置いてある写真立てに手を伸ばして、ひっこめて、やっぱり手に取った――そこに写っているのは、かつて穏やかな日々を一緒に過ごした、家族とも思った、大切な人たちだった。

「ジョージ様、……ジョナサン様」

 その人たちの名を呼ぶ。返事がないことで心を痛めるのにも、ついには慣れてしまったかもしれない。

 彼らは、わたしが抱えている多くのことを、知らないままだった。
 ジョージ様はきっと、わたしのことをただの娘だと思っていただろう。それも、同じ年頃の娘とは違って、結婚への憧れがなく、気が強く、レースやフリルよりも本や自然を好むような、ちょっと変わった娘だと。けれどジョージ様自身も、周囲があれこれ言うことに気をとられずに再婚なさらなかったから、わたしの頑固さや世間離れした感じを好ましく思っていらっしゃたのだろう。わたしも、そんなジョージ様の人柄が大好きだった。

 ジョナサン様は――彼は、どこまで気がついていたのだろう? わたしがいまもなお言えずにいる多くのことを、彼は、どこまでわかっていたのだろう?――ため息が出てきた。写真のなかの彼らの姿を、指でなぞった。

 わたしは、自分が抱えている多くのことを、誰にも言えずにいた。
 ジョナサン様も多くを打ち明けなかったエリナ様はもちろん、スピードワゴンさんにだって、何も言えずにいた。
 なぜ石仮面のことを知っていたのか。なぜ石仮面を破壊する旅をしてきたのか。それを説明するには、わたしがこれまでどのように生きてきたのかということや、誰に育てられたのかということ、そういったわたし自身が何者なのかということについてを、どうしても話す必要があった。

 本当は、すべてを話してしまいたかった。「わたしにはまだ言っていないことがあります」そう話を切り出して、これまでのことをぜんぶ言ってしまえたらどんなに楽だろうと、何度も思った。スピードワゴンさんと行動をともにするなかで、実際に言いかけたこともあった。「わたしはすべての石仮面を壊さなければなりません、なぜなら――」けれどそこまでを口にしておいて結局、彼には言えなかった。言わなくたって、いまやろうとしていることには支障がないではないか。いま言わなくたって、またいつか言うべきときがくるだろう。そんなふうに、言い訳を重ねてきた。

 怖かったのだ。わたしが何者なのかを知ったときに、人はどんな表情をするだろうかと。
 人は、信じる神が違うというだけで、喋る言葉が違うというだけで、親しんだ慣習が違うというだけで、他者に対してあんなにも冷酷になれるではないか。それなら、いま目の前にいる者が自分とはまったく違う存在だと知ったら、どんなに恐怖し、怒り、拒否して遠ざけようとするだろう。それを想像したら怖くてたまらなくて、どうしても言えなかった。

 ただ、ジョナサン様がいてくれたら。彼だけは、きっとそれさえも受け入れてくれるのではないか、わたしが何者であったとしても、わたしがどんなことをしてきたのかを知ったとしても、それでも「ニナはニナだよ」と言って、笑ってくれるのではないか。そんな希望を抱いた。いつか、彼にすべてのことを話せる日がくるだろう。その日が来てほしい。そう思っていた。

 こん、こん。ノックの音が聞こえる。

 ――なのに、いまのわたしのそばには、何もなくなってしまった。彼だけではない、彼が教えてくれた、ひとを信じる勇気、その気高さ、温かさ。そんな大切なものさえも、彼がこの世にいないのだとわかったとき、一緒にわたしのもとから去ってしまった気がする。

 「はい、どうぞ」ドアのほうへ顔を向けて、そう返事した。

 ――いや、こんな言いかたは違っている。「去ってしまった」のではない、わたしが「つかもうとしていない」のだ。わたしは臆病で、いつかもらった勇気も、忘れてかけてしまっていて――

「はなー!」

 ――その声は室内に高く響いて、深く沈んでいた思考の海から、突然引き上げられた。部屋に入ってきたのはエリザベスだった。ぱたぱたと足音を立ててこちらに寄ってくる。後ろでスピードワゴンさんも入ってきて、「そろそろ茶の時間ですって」と言った。

「あら……もうそんな時間。ありがとうございます、気がつかなかったわ」
 エリザベスはわたしが座る椅子のところまで来ると、足元に抱きついた。スピードワゴンさんのほうを見たまま、外で遊んできた彼女の髪を手で整える。それは柔らかい黒髪だった。
「いえ。……大丈夫ですかい、ニナさん」
「え……、えぇ。大丈夫です」
「はなぁ」
 わたしがそう答えると、スピードワゴンさんはちょっと目を逸らして言った。
「それなら良かった。顔色が、悪いように見えたんで」
「はなー!」

 スピードワゴンさんとの会話にエリザベスの声が合いの手のように入ってくる。それも、けっこう主張の激しい合いの手だ。だから、彼の言ったことに答える前に、なんだなんだとエリザベスのほうを見た。すると彼女はにこにことした頬を赤くしながら、わたしに花の束を見せてきた。

「はな!」
「まぁ、可愛い花。リジーが摘んできたの?」
 エリザベスは、ずっと握っていたからか根本の少ししおれた小さな空色の花を、わたしの膝のうえに散らして置いた。言葉にはできなくても、彼女がわたしにプレゼントしてくれたのだとわかった。
「ありがとう、リジー。とってもきれいね。お外で遊ぶの、楽しかった?」
 エリザベスは答えの代わりに、またぎゅう、とわたしに抱きついた。その小さな身体からは、太陽と野原の香りがする。わたしの好きな香りだった。

「……良かった、本当に、元気そうで」
 スピードワゴンさんはそう言うと、わたしが向かっていた机に近寄る。机の上に散らばったものたちを流し見すると、わたしの手元にあった写真立てを手に取って見つめた。そしてしばしの沈黙の後、口を開いた。

「……その花、なんていうか知ってますかい?」
「え……、これは、マイオソーティス、ですよね」
「えぇ。そうなんですけど、別名もあるんですぜ」
「別名?」

 スピードワゴンさんから花の名前の話が出てきたことが意外で、少し驚いた。彼は子どもと付き合うのも上手いし、花の名前も知っているし、もしかしたらわたしが思っていたよりも可愛い人なのかもしれない。そう思ったら、少し笑えてくる。スピードワゴンさんは写真のなかを見つめたあと、わたしのほうを向いて言った。

「……忘れな草、って言うんです」

 わたしたちの視線が合わさったとき、わたしは息を呑んだ――彼のその瞳が、あまりにもまっすぐで、まるでジョナサン様がいつか私に向けてくれたもののように、きれいだったから。

「おれにしちゃあ珍しく、花言葉も知ってるんですぜ。色によって違うらしいんですがね、『わたしを忘れないで』――こっちはそのまんまだが、あとは『真実の愛』とか、『真実の友情』とかもあるらしくて」
「…………」

 エリザベスを抱き上げて、花言葉について話す彼を見つめた。得意げな顔をして、いつもの軽い調子ではあるけれど、彼はわたしに伝えたいことがあるのではないか、なんとなく、そんな気がする。

「庭に勝手に生えてくるようになったんだって、デイビスさんが言ってたんです」

 優しい目をして、穏やかに、花のことを語る彼を見て、わたしは思った――あぁ彼はいつのまに、こんなに優しい瞳をするようになったのだろう、と。

「エリナさんも、ジョースターさんが見せたがってたって、言ってやした」

 ――彼はいつのまに、誰かの心を気遣って、言葉をかけてくれるような人になったのだろう――彼の瞳に、その優しさに、いつかのジョナサン様がわたしにくれた言葉を思い出す。

 ――「重要なのは、いまニナがここにいて、ぼくたちを大切に思っていて、ぼくたちも君を大切に思っていることだよ」――そう言ってジョナサン様は、わたしの涙をすくってくれた。わたしの恐れと、臆病さと、諦めを、涙と一緒に拭ってくれた。

「それはもう、びっしり生えてましてね。今度ニナさんも見るといいですぜ」

 彼は笑う。ジョナサン様がいなくなってから、あんなにもその名を口にすることを恐れていた彼。そんな彼が、今度はわたしを元気づけようとしているみたいに温かな視線を向けながら、ジョナサン様のことを語っている。

 ――「それにね、生きてる限り人はいつだって変われるし、いつだってやり直せるんだ。……君には、その勇気があるはずだよ」――ジョナサン様は、わたしに勇気をくれた。誰かを信じること、誰かを守ること、誰かと生きていくこと。わたしが諦めていたはずの憧れを掴むために、必要な勇気を。「大丈夫だよ、ニナ」そう言って、わたしの涙をすくってくれた。

 エリザベスを抱きしめた。小さな身体から伝わるのは、太陽の温かさだった。エリザベスはわたしが泣いているのに気がついて、柔らかな指で頬に触れた。そのあどけない手のひらを、自分の手で包んだ――そうだ、そうだった。あのときみたいにどうしようもなくあふれてくる雫は、あのときみたいにこうやって、誰かに受け止めてもらえるのだ。なんという幸せ、なんという温かさ。たくさんの光で、心が満たされていくようだった。

「ありがとう、スピードワゴンさん。リジーも、ありがとうね」

 彼の顔を見ると、彼もちょっと泣きそうな顔をしていた。そうだ、なにかにつけてよく泣くのは彼の変わらないところだし、可愛いところなのだ。いつもはエリザベスが泣いてわたしたちがなだめる役なのに、いまはその逆になっている。その状況がおもしろかったから、二人で顔を見合わせて、涙のにじんだ目尻を下げて笑った。

「……スピードワゴンさん、わたし、あなたにお話したいことがあります」

 彼の目を見てそう言うと、「えぇ、おれもです」と言って彼も頷いた。そのときの瞳と声は、わたしが彼に何かを伝えようとしていることをずっと知っていて、そしてそれを待っていたみたいだった。だから目の縁からは、また涙が流れた――彼はずっと信じていてくれたのだ、彼はジョナサン様の意志を、たしかに受け継いでいたのだ、そうわかったから。

「え、スピードワゴンさんも話すことがあるのですか?」
「そりゃありますよ。おれだって、ただ手ぇこまねいていたわけじゃあないぜ」彼は固くした拳を上げながら、そう得意げに言った。「だけどまずは、茶の時間だ。さっきリジーに付き合って走り回ったからな、腹が空いちまった」
「ふふ。今日は何でしょうね。行きましょう、リジー」
「このにおいは、ルバーブじゃあねぇかな」

 わたしはエリザベスの手を握って、スピードワゴンさんは扉を開けた。そのとき、春の野原を揺らした風が窓から入り、扉の向こうへ通り抜けた。

 その一吹きが、わたしたちの背中を押してくれたような、そんな気がした。


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