18


 その年の秋になってディオはロンドンの法曹院の寮へと出発したが、色づいた葉が落ちてくる季節になると、リバプールに戻ってきた。ジョージが、ひどい風邪をひいたという知らせを受けたからだ。
 1888年は夏も涼しければ、秋になって寒くなるのも早かった。医者は急に季節や気温が変わるとこうして身体を壊しやすいのだと言って、咳がひどくなったときに飲む薬を処方していった。これ以上ひどくなるなら入院したほうがいい、とも言ったが、ジョースターの男子が代々身体が丈夫であることを自慢にしていたジョージは、できるだけ入院はしたくないと難色を示した。
 屋敷にいるジョナサンは、ジョージが自分の部屋からは出て来られないときには彼のそばで一緒に食事をとったり、夜中に咳がひどく出るときは起きてきて看護を手伝ったりした。ディオは、階段を上るのも辛い仕事になってきたバトラーの代わりにジョージのところに薬を持っていったり、ジョージの調子が良いときには、最近の時事について話す相手になったりしていた。

 ジョナサンはニナに書く手紙の中で、最近父の具合が良くないのだということを伝えた。でもジョナサンは、ジョースター家の男たる父ならこの程度の風邪ならきっとすぐ治るだろうと考えていたから、どうか心配はしないで、とも書き足しておいた。ニナからはすぐに返事が来て、ジョージ様の回復を毎日祈っています、入院するのも一つの方法です、と書かれていた。
 1ヶ月ほど経ってもなかなかジョージの風邪が完治しないので、ディオは心配だと言って毎週末にロンドンからリバプールに帰ってくることにした。

***

 その休日は11月の初めだというのに、夜になって気温が下がると大粒のふわふわとした雪が降り出した。風は吹いていないし動物の鳴き声も人や馬車の通る音も聞こえず、ただ空気だけが冷たく、雪がしんしんと積もっていく音が聞こえてくるようだ。

 ジョナサンは休日には相変わらず書庫や自室を行き来して、趣味で続けている考古学の論文を読んだり、あの石仮面を相手にいろんな実験をしたりしている。この2年間ほどでジョナサンが発見したのは、石仮面は血液以外のものには反応しないということ、仮面内部に太い針が格納されていて、それは動物の皮程度なら易々と突き破るほど強い力で飛び出してくるということだ。しかもこの針は、もし人が被った状態で血に反応すれば、たちまち人間の頭蓋骨さえも貫通して、脳まで到達する長さになるように設計されている。脳に傷を負えば人間は死ぬか廃人になるということは医学を知らないジョナサンでもわかるので、そのような使い方をする者がいたとは到底思えないけれど、それだとこの飛び出る針がちょうど人間の脳を傷つける長さであることの目的が、よくわからなくなる。だからいまのところジョナサンは、この仮面は人が装飾品として身につけるためのものではなく、拷問用、あるいは処刑用に作られたものなのだと考えている。

 それから、石仮面の辿ってきた歴史を調べると、アステカ文明の栄えたメキシコの中央高原における王朝に、この仮面と同じようなものが見つかっているということも明らかになった。それらはアメリカやヨーロッパの探検家によって持ち帰られ、博物館に寄贈されたものや、個人がコレクションとして買い取ったものもあり、そのうちいくつかはメキシコからどこに渡ったのかを知ることができた。
 ジョナサンは、それらがジョースター家にある石仮面と同じような構造をもっているのかが気になって、軌跡を辿ることのできる仮面については収集家、骨董商、博物館に問い合わせてみた。しかし、収集家は「自分が欲しかった品を持っている人と交換してしまった」と言い、骨董商は「もうすでに買い取られた」と言った。どんな人物が交換、あるいは買い取っていったのかを尋ねると、交換や買取に必要なこと以外は話そうとしない無愛想な客だったので、いずれも英語話者の若い女であったこと以外はよくわからないと言われた。ジョナサンは、自分以外にもこの石仮面を集めて研究しようとしている人がいるのかもしれないという嬉しい驚きを覚えつつ、でも先を越されてしまったと残念がった。
 博物館に石仮面の所蔵を問い合わせてみると、数年前に荒らしの被害があって、そのときに石仮面は落ちたようで粉々になってしまっていると回答してきた。ジョナサンはこの状況を知ったあとしばし落ち込んだが、かえって自分がこの仮面の秘密を解き明かせば、博物館にはいつか学芸員として関わることができるかもしれないと思い、ますますこれからの石仮面の研究が楽しみになった。

***

 机を照らす灯りの影が濃くなったと思えば、もう夜が更けていた。
 夕食後から自室で石仮面をいじっていたジョナサンは、時計を見てもう就寝の時間だと気がついた。ジョナサンは夢中になると時間も寝食も忘れて研究に没頭してしまうが、父の具合が悪くなってからは、特に最近は胸が痛んだりもするくらい悪化しているので、寝る前に彼と少し話をして、おやすみの挨拶を欠かさないようにしている。ジョナサンは研究を切り上げると、書庫に行って石仮面を保管する箱に手をかけた。しかし横着してすぐそばにあった背の低い梯子を使ったから、背伸びをした状態では不安定で、ふらついてその隣の箱にまで触ってしまった。
 ジョナサンに横に押された箱は、がたりと音を立てて下に落ちて、中に入っていた古い本やノートが散らばった。ジョナサンは片付けようとしたその中身に、ジョージ宛の古い手紙があるのを見つけた。普通だったら他者が他者に宛てて書いた手紙は読まないし、読むべきではないともジョナサンはわかっていたけれど、それに7年前の消印がついているのと、その裏に「ダリオ・ブランドー」と書かれているのを見て、ジョナサンは好奇心を抑えれず、その手紙を手に取った。ディオはほとんど自分の実父について話さないし、彼が7年前死の直前にしたためた手紙に書かれていることが、どうしても気になってしまったのだ。
 ジョナサンは封をそっと開けると、中から2枚の紙を取り出した。

――――
ジョージ・ジョースター様、

突然お手紙を差し上げてしまい申し訳ないです。
その節はいろいろとありがとうございました。突然のことでなりますが、あなたの親切さを思って、この手紙に私の最後のお願いをします。

――――

 字は決して綺麗だとは言えなかった。文法も少し間違っている部分があるし、表現も稚拙だということは詩人でないジョナサンにもわかる。

――――
私は今、病にあります。たぶん死ぬでしょう。この秋頃から、風邪をこじらせてしまいました。そうしていると、悪化して、もういまは起き上がれないくらいになってしまいました。
――――

 その文章を読むと、ジョナサンは心臓のあたりが苦しくなってくるのがわかった。近いうちに死んでしまうということを悟った人間の、最期の手紙──ディオの父がこれを書いている場面が、目に浮かぶようだった。

――――
私はもうすぐ死ぬでしょう。私にはわかるのです。病名はわかりませんが、とても苦しくて、心臓がいたみ、指がはれ、せきがとまりません。
――――

 それを読んでジョナサンは、目を見開いた──これは、父さんと、同じ症状じゃあないか。

――――
息子のディオは、薬を買ってきてくれて、看病してくれていますが、悪くなる一方です。薬を飲めば飲むほど、悪くなっているかのようです。たぶんもう、薬なんかじゃあ治らないのでしょう。
――――

 読み進めるごとに、動悸が速くなっているのがわかる。まだ明確にはなっていない、言葉にはなっていない、嫌な予感が、背筋を駆け抜けた気がした。頭がさあっと冷えていって、何か知ってはいけないことを知ってしまっているような、息苦しさを覚えた。

――――
そこで、あなたに一生のお願いをしたのです。13年前、あなたの命を救った私の……私の息子のディオを、あなたに預けたいのです。あの子の面倒を見てやってほしい。どうかお願いします。私には財産なんてありません。私が死んだら、あの子もきっとロンドンのこの汚い路地で野垂れ死ぬでしょう。どうかお願いします。

ダリオ・ブランドー

――――

 そこまで読み終えると、ジョナサンは手紙を手から離して、両手で口を覆った。
 嫌な予感が、ジョナサンの心を支配する──ディオの父上と、ぼくの父さんの病状が同じで、ディオの父上は、このあとすぐに亡くなった。ならば、……父さんも?──いや、父さんはちゃんと医者にかかって、できるだけのことはしているんだから、そんなことは──けれど、薬が効いている様子がないのならば──。

 ジョナサンは、自分の父の命が、自分が思っているほど長くはないという可能性を認めたくなくて、きっと父の病気は治るものなのだと、暖かくなれば自然と回復するものなのだと、信じたかった。けれど、この手紙を読んで、ジョージがディオの父とまったく同じような状況であることを知って、そんな楽観的な希望が音を立てて打ち砕かれるような心地がした。

 ──ディオに聞きたい。父さんが、君の父上と同じ病気だと思うかを。…………父さんが、助かると思うかを。
ジョナサンは気が気ではなくなって、ディオのもとへと夢中で走り出していた。


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