05


 だんだんと南中の日差しが高くなって、木々や野原の緑が青空に映えるようになってきた。春の花はその役目を終え、その代わりに新緑は鮮やかに厚さを増し、ぐんぐんと伸びていく。朝のひんやりとした空気は陽に照らされて人を暖かな外へと誘い、牧場の動物はしきりに地面の草を食む。
 天気の良い日が続いているけれど、ジョナサンは、春から短い夏へ移り変わるこの時間が、もっとゆっくり過ぎればいいのに、と思った。ニナのレッスンが、もう終わってしまうからだ。

 その夏のバカンスは、ジョースター家が所有している別荘で過ごすことになったから、最後のレッスンを兼ねてニナも同行することになった。
 ジョージ、ジョナサン、ディオ、ニナ、もちろんダニーも、それからフットマンとメイドを1人ずつ連れて、リバプールから馬車で1日かけて、一行はイングランド北部の湖水地方へと向かった。
 ジョースターの別荘は本邸の半分の大きさもないけれど、周りを湖、川、森や野原に囲まれているから、じゅうぶんに広く感じる。ジョナサンはディオがいることに多少の緊張を覚えたが、それ以上に学校に通う前の最後の夏をニナと一緒に過ごせることが嬉しくて仕方がなかった。というのも、ニナはいつもなら、バカンスの時期は旅に出てしまうからだ。

 ジョナサンは、天気が良い暖かい時間帯はダニーと一緒に泳ぎに行ったり、森で植物の採集をしたり、野鳥の観察をしたりして過ごした。夕方になって遊びから帰ってくると、夕食の時間までは採ってきた植物をニナに見せたり、森で見つけた動物の話をしたりした。
 ディオは貴族の有閑っぷりをせいぜい楽しんでやろうと思っていたし、しばらくはニナと一日中共に過ごすことができると思うと、なんとなく気分が良かった。ディオはジョナサンほど外での活動に興味があるわけでもないし、服を汚すのもみっともないと思っていたから、日向にベンチを置いて持ってきていた本を読んだり、山や湖のスケッチをしたり、日中は部屋の中にいるニナと文学や歴史の話をしたりして過ごした。
 ジョージは同じく湖水地方へバカンスに来ている知人と会って最近の経済や政治の話をしたり、時々ジョナサンに連れられて森へ出かけて、木の実や野草を収穫しに行ったりした。
 夜になると、皆でそろってゲームをしたり、ジョージのピアノに合わせてジョナサンがチェロを、ディオが最近上達してきたヴァイオリンを弾いて、ニナはジョージと連弾したり、歌ったりして過ごした。

 ニナは、最後のレッスンを、ジョナサンとディオにとって少年の時代の思い出として残るようなものにしたいと考えていた。いつものレッスンは座学で、二人が問いに答えることを中心としてきたから、今回は自分が伝えられるだけのことを伝えようと考えた。だから、二人を教え導く最後の機会を、よく晴れた日の夜にもつと決めた。

***

 陽が落ちて、空の色はほの暗く、黄色と灰色が青色に濁る時間になった。その日は朝からずっと快晴で、日中は暑いくらいだったけれど、夕方になると熱が大気に逃げていってしまったから、夜は少し冷えるだろう。そう考えたニナは羽織りと襟巻きを持って、ジョナサンとディオを連れて、ジョージに見送られて出で立った。ジョナサンとディオは1本ずつまだ火のついていない松明を持って、ニナは彼らを両隣にして真中で歩いている。冷えないように、と思ってニナが彼らの手を握ると、ジョナサンはすぐに握り返したけれど、ディオは困惑した表情をしたのが、ニナの目にはわかった。ニナはそれをちょっと愉快に思ってくすりと笑った。それでもディオは手を振り払わなかったので、3人で並んで湖までの道を歩いた。

 湖に着くと、あたりはかなり暗くなっていた。
 ニナは湖の岸辺に腰を下ろすと、ジョナサンとディオに羽織と襟巻きを差し出して身に付けるように促し、隣に座るように言った。

 微かな風が吹いて、さらさらと草葉がかすり、水面は静かに波打っている。ほう、ほう、と梟が鳴くのが、何も見えない林の奥から聞こえてくる。
 しばらく3人は、何も言わずただじっと、その夕方から夜へと移りかわっていく景色を見つめていた。リバプールとは少し違う、家の明かりがなく人々の声や家畜の鳴き声が聞こえてこない、静かな時間が広がっていた。
 あ、とニナが上を見上げて声を出した。それにつられてジョナサンとディオも顔を上げると、月の近くに一等明るい星が見えた。

 ニナは、夏の大三角形を指さすと、その次に北極星はどこにあるかと、ジョナサンとディオに問うた。二人は同時に、あそこ、と言って同じ星を指した。それからニナは、カシオペア、おおぐま、ケフェウスなどの星座を見つけるように言った。それに答えて二人がすらすらと星空をなぞるように指さすと、ニナは満足そうに笑って、それぞれの星座の物語を語った。ジョナサンはニナのレッスンで、ディオは本からギリシャ神話を学んでいたので、2人ともいくつかの物語は知っていたけれど、実際に星空の下でそれを聞くと、室内で勉強するよりもよほど楽しいと思った。
 ジョナサンは、どうして星の物語が最後のレッスンなの、と聞いた。するとニナは、ジョナサンの頬に指を滑らせて、微笑んだ。

「太陽に弱いこの肌のせいで外に出られるのは夜だけだから、昔……わたくしがまだ小さかったころから、わたくしの世界は夜にあったのです」
「そんな。夜しか外に出られないなんて、つまらないよ」

 ジョナサンがそう言うと、ニナはふふ、と笑みをこぼした。

「そうでもないのですよ、ジョナサン様。なぜなら……わたくしを育てたひとが、よく星の物語を語って聞かせてくれたから。彼の話がとても面白くて、夜に退屈したことは一度もありませんでした」

「だから、お二人にも、わたくしが小さいころに楽しみにしていたことを分け合いたくて、こうしたのです」

 ニナがとても嬉しそうにそう言ったから、ジョナサンとディオは、あまり聞くことのない彼女の幼少期のことを想像して、それがきっと、太陽の下にいられなくても豊かなものだったのだとわかった。
 ディオはふと疑問に思って、ニナに聞いた。

「ミス・ニナを育てた人というのは……御父上ということなのかい」

 ディオがそう聞くと、ニナは、いいえ、でもとても大切なひとでした、と言った。


prev back to list next
- ナノ -