02


 ジョースター家に着いた初日から、ジョナサンやジョージ、使用人までもがやたらとニナが、ニナがと言うので、ディオはニナという女がどのような人物なのか興味をそそられた。
 貧民街で父親と一緒に辛うじて生活していたころに明日の食べ物がなくて一人で外をうろついていると、それを不憫に思った娼婦にわずかな金や食べ物をもらうことはあった。だから、母親は七つになる前に死んだけれど、ディオは女というものに馴染みはあった。娼婦からの施しは甘んじて受け入れたけれど、自身の見目の良さを自覚しているディオは、内心ではその娼婦に対価として春を売るように言われている気がして、いい気分はしなかった。
 ディオは女というものを、というよりも他人というものを概して良くないもの、自分よりも劣ったものだと信じてきたけれど、昨日の晩に初めてニナと顔を合わせたときは、今まで見てきたどの女よりも、そして自身と同じくらい彼女は整っていると思ったし、ニナが晩餐のときに話したり食事したりする様子を見るに、なかなかどうして物腰も悪くないと思った。8年間もずっとジョナサンの家庭教師をしているのだから、ニナを「余りもの」の不器量な女であろうと想像していたので、さすがにディオも、予想を良い意味で裏切った実際のニナに多少面食らったのだった。

 ジョースター家に来てから1週間ほどは、ディオはニナのレッスンの日になるたびに朝からうきうきとした顔でいるジョナサンを見て少し苛立ったり、レッスンが終わると偶然を装ってニナと話すジョージの部屋や応接間を訪ねてみたり、夕食の席でニナの様子を観察したりしていた。そうするとだんだんと、このガヴァネスは最初の印象に違わず「そこそこ」優秀で、しかもジョナサンやジョージに大切に思われていて、ニナ自身も彼らを大切に思っているということがわかってきた。家族というものに対してでさえ、煩わしいだとか信用できないだとかいう悪い観念しか持ち合わせていないディオは、ニナとジョースター家の良好な関係を信じられない気持ちで見つめていたが、自身の野望に資するものなら何でも利用しようとは考えていた。したがってまずは、ジョナサンとニナの関係を破壊するところからだった。

***

「ミス・クラーク。ぼくもあなたのレッスンを受けていみたいものです」

 ディオはわざと夕食時を選んで、ジョナサンとジョージの前でそう言った。ジョナサンのあのニナへの惚れこみようを見るに、ジョナサンは彼女を独り占めしたいと思っているだろうから、ジョージの前でこのことを聞いて、正式にニナのレッスンを受ける許可を得るほうがいいと考えたからだ。案の定、ジョナサンはディオの言葉を聞いたとたん眉間にしわを作って、あからさまに焦った顔をした。

「いい考えじゃあないか、ディオくん。ミス・ニナ、彼はとても賢い子だから、あなたも教えるのが楽しいんじゃあないかな。きみがここに来てくれるのも残り短くなったのだし、せっかくだからディオくんにもレッスンを受けてもらおう。どうかね」
「まぁ。それは光栄なことですし、わたくしはかまいませんわ、ジョージ様。でも……」

 ニナはディオににこりとしてそう答えたあと、ジョナサンのほうを見ながら語尾を弱めた。しかしジョージが、きっとジョジョも勉強仲間が増えて楽しいだろう、と嬉しそうに言うので、ジョナサンはそれを否定することができなかった。

***

 ディオの「計画」の第一歩は順調に踏み出されたように見えたけれど、いざ3回ほどニナのレッスンを受けてみると、そうもうまくいかないということがわかってきた。
 ディオの当初の予定では、ニナのレッスンをジョナサンとともに受けることで、二人の優劣を明確にニナとジョナサンに認識させ、ニナの関心を自身のほうに向けさせるつもりだった。そうしてニナとジョナサンの関係を崩壊させようという算段だったのだ。
 しかし実際にレッスンの時間を過ごしてみると、どうにも事がうまく運ばないことがわかってきた。第一に、どれだけジョナサンに対する優位を見せつけても、ニナは二人を比較して一方だけを褒めるということをしない。ジョナサンよりも早く算術を行っても、ジョナサンよりも流暢に他言語を話しても、ジョナサンよりも適切に歴史の問題に答えても、ニナはジョナサンに対して「ディオ様のようにしなさい」「ディオ様を見習いなさい」とは決して言わない。褒めるときは、一人ずつ、具体的に、そして褒める内容や回数が公平になるようにして褒めるのだ。
 第二に、逆にディオがいくらニナに対して、あなたはガヴァネスとして優秀だとか、もっとあなたに早く出会えていればと褒めても、ニナは調子を崩さない。ディオの甘言に流されたり気を良くしたりする様子はなく、ニナはただいつも微笑んで、ありがとうございます、と返すだけだった。

 人の心を手の上で転がすことに長けていると自負していたディオだったけれど、ニナを前にすると調子が狂うのを少しずつ自覚してきた。ジョージに対して同じ手を使ってみると、ディオの思惑通りジョージはジョナサンとディオを比較してジョナサンを叱ったりするので、自分の能力不足のせいではないと考えた。ニナが堅牢すぎるのだ。
 もう半年もしないうちにジョナサンはスクールに通うのだから、おのずと彼女とジョナサンの紐帯は弱まるだろうということも一瞬考えたけれど、ディオは、すぐにそれは成り立たない、と考えなおした。ジョナサンを観察するなかで、彼が相当ニナを拠り所としていることがはっきりしてきたからだ。そして何より、ディオ自身のプライドが、彼女をこちら側に取り込むことをあきらめるという失敗を許さなかった。
 そうして「計画」の部分的変更を余儀なくされたディオだったけれど、記憶のある限り初めて出会った「好敵手」に、少し心が躍るような気もした。ディオは、なんとしてでもあのニナの要塞を崩してやる、おれの将来のために、必ず彼女を味方につけなくてはならないと、ジョースター家の支配への道における第一の方針を固めたのだった。


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