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 ジョナサンがパブリックスクールに通う年まで、あと1年を切った。
 彼を子どもの頃から知っている者ならば、皆その成長に驚くことだろう。くりくりとした大きな目は凛とした眉によって引き立てられ、少し癖毛のブルネットはきれいに整えられて、少年の可愛らしさの中に「男らしさ」を感じられるようになった。ジョナサンは、もう立派に父に似た「小さな紳士」だ。
 そうはいっても、その中身は、まだまだ大人に甘えたい子どもだった。ジョナサンは早くに母親を亡くし、たった一人の息子であるということもあってか、父にも、使用人たちにもたいそう目をかけられてきた。それは、ガヴァネスであるニナも例外ではなかった。ニナも5歳のときにジョナサンと出会ってから、彼の明るく素直な性質を好み、彼を教え導くことを喜びとした。きょうだいや母親のいないジョナサンにとって、20代の半ばほどのニナは、師であり、姉であり、母のような存在だった。ニナのレッスンを通してこの世界についての知識と適切な見方を教えられ、レッスン以外のニナとの時間は、ジョナサンの安らぎと肯定感を育むものだった。ジョナサンは、しっかりとそう認識したこともないし、はっきり口に出したこともなかったけれど、ニナを父と同じくらい大切に思っていて、それはもう「家族」に対する感情だと言えた。

 だからジョナサンは、自分がパブリックスクールに通うということが、ニナのレッスンが終了することを意味し、スクールの寮に入ることになるということが、ニナともうほとんど会えなくなることを意味していることに気が付き、そしてそれがあと1年先のそう遠くはない話となってくると、甚だしく落胆した。
 ──ニナが自分の元を離れるなんて。それだけではなく、誰かほかの子どものところに行くなんて──ジョナサンは、自分がニナの「特別」でありたかった。
 ジョナサンは、ある日のレッスン後の夕食の席では、ニナに今後のことを聞かずにはいられなかった。

「ニナ。ニナは、ここでの仕事が終わったら、次に行くところや、やることは決まっているのかい……」

 ジョナサンは、ずっとここにいてほしい、とは言えなかったけれど、もし次について何も決まっていないのなら、いくらでもこの家にいてほしい、父さんもそう思うよね、と言おうと思った。

「そうですね……いま考えているのは、またしばらく外国に行って過ごそうかということです。蓄えはありますから、次のお仕事はしばらく先にはなるでしょう」
「外国?」
「えぇ。アメリカ大陸を旅しようと思っています。前回はあまり長くいられませんでしたから」

 ジョナサンは、数年前にニナから「メキシコ、アカプルコ港にて」と書かれた風景画が手紙とともに送られてきたのを思い出した。ジョナサンも、ジョージに連れられて夏のひと時をフランスやイタリアで過ごすこともあって旅は好きだったけれど、バカンス目的ではない旅というのがどのようなものなのか、想像ができなかった。でもきっと、誰に指図されるでもない道を、自らの勘と勇気で切り開いていくような旅は、考古学がそうであるように、きっと楽しいだろうと思った。

「その旅が終わったら、ニナ……またここに戻って来てくれるかな。リバプールで新しい仕事を探したりとか……」
「これ、ジョナサン」

 ジョージはジョナサンを窘めたが、ニナはよいのです、と笑って言った。

「ジョナサン様。あなたはもうすぐ13歳になり、パブリックスクールに通うことになりますね」
「うん、ニナ」
「そのあとは、わたくしがこれまでのようにジョースター家に頻繁に伺うことはなくなります。次の仕事は、イギリスのどこかかもしれないし、ヨーロッパのどこかかもしれません。けれど、ジョージ様やジョナサン様さえよろしければ、これからも……」
「もっもちろんだよ、ニナ!ねぇ父さん、ニナがぼくの先生じゃあなくなっても、ここに来ていいよね。ぼくが休暇で帰省するときや、ううん、そうでなくても、ニナはずっとここに来ていいよね」

 ジョナサンが、ニナが言い終わる前に、言質をとったと言わんばかりに興奮して早口でそう言い募ったので、その必死な様子にジョージも思わず笑ってしまった。ジョージとて、息子を大事にしてくれた、この優しくて聡明な娘が、これからも会いに来てくれるということを嬉しく思っている。だからジョージは、そうだね、わたしたちはいつでも歓迎だ、と返して、それから一つ咳ばらいをして、改まった様子で言った。

「わたしたちはもう家族のようなものじゃあないか」

 ジョナサンは父の言葉を聞いて、自分がひそかに抱いていた気持ちが音になって現れたことを喜んだ。そう、家族、ニナは家族だ、と心の中で言い直すと、気分が高揚するようだった。
 一方でニナは、その言葉を聞いて一瞬固まった。時間にして3秒もなかったけれど、頭の中を「家族」という言葉が駆け巡って、それがやまびこのように何度も繰り返された。

「家族……」

 ややあってから、ニナの口から、そうぽつりとこぼれた。ニナにしては珍しいそのはっきりしない様子に、ジョージは、ニナの両親が、ニナがリバプールに来るよりも前に彼女を残して死んだということを聞いていたので、まずいことを言ってしまったかと焦った。

「いや、すまない、家族というのは違ったかな」
「……いえ、そんな。……家族。……そう、家族……ですね。とても、嬉しいです」

 ニナが「家族」という言葉を噛みしめるようにそう言ったので、ジョージとジョナサンが顔を見合わせて、ほっとした表情で笑った。ニナも口元に控えめな笑みを浮かべたけれど、眉の下がった瞳は遠くを見ているようだった。


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