06


 寒風が身に染みるようになった季節、いつもなら瞳を輝かせてニナの話を聞くジョナサンが、今日に限ってはレッスンの初めからぼうっとした表情をしていた。今日は歴史のレッスンで、ニナは15世紀イングランドにおけるテューダー朝の成立を説明したところだ。ニナの話によく相槌を打つジョナサンなのに、今日は目の焦点が合っていないし、ニナの話を聞いていないようでさえあった。
 ジョナサン様、どうかなさいましたか、とニナは尋ねた。ジョナサンはわからない、なんだかぼうっとするんだ、と答える。呼吸が浅くて、肩で息をしているその様子に、ニナはすぐに思い当たった。ジョナサン様、失礼します、と言ってジョナサンの頬に手をかざすと、内側からの熱さをもっているのがわかった。

「ジョナサン様、お風邪を召されたのではないですか。頬が……首も、こんなに熱くなって。かわいそうに、もっと早くに気が付いてさしあげるべきでした。すぐにお医者様を呼びましょう」

 ニナはベルボードの呼び鈴を鳴らした。

「風邪……。じゃあミス・ニナ、今日のレッスンは中止……?」
「はい、中止です。次のレッスンは、ジョナサン様が回復なさってからですよ」
「それは……残念だな……」

 ニナは、楽しみにしていたのに、とうわごとのように言うジョナサンに苦笑した。すぐに駆け付けたフットマンがジョナサンを抱えて部屋を出ようとしたとき、ニナ、一緒にいて、と涙の落ちそうな目をしてジョナサンがつぶやいた。

「はい、ジョナサン様。ジョージ様にご報告をしたら、すぐにジョナサン様のところに行きますからね」

 ニナはジョナサンが伸ばした手をとって、額にキスをした。

***

 身体が重い感じがして、喉と頭も痛いと訴えるジョナサンに、医者は流行性の感冒だろうと診断した。ジョナサンが数日前外で町の子らと遊んでいたということを聞いて、そのときにうつったのだろうと言った。
 医者が帰ったあと、ジョナサンの寝室はカーテンが閉じられ、ニナがベッドの端でジョナサンの様子を見ていた。ニナの報告を受けてすぐに雑務を放り出してやってきたジョージは、不安そうな顔でベッドの周りを行き来している。

「ジョナサン様。あとで、しょうがとはちみつと、シナモンをお湯にいれたものをもってきましょうね。いまは何か食べる気にはならないでしょうけれど、しっかり休んだらよくなりますからね」
「うん、ミス・ニナ」
「ジョナサン、寒くないか。熱くないか。何かしてほしいことは……」

 ジョージがいつもと違ってひどく取り乱した様子でそう聞くので、ジョナサンは思わず笑ってしまったけれど、いまは父が自分のことだけを考えてくれていると思うと、嬉しかった。

「父さん、ぼくは大丈夫だよ。さっきまで身体は寒かったけど、いまはちょっと熱いくらい……」
「そうなのか、じゃあ、ええと、どうすればいいのかな」
「ジョージ様。いまは暖かくして安静に寝ることが一番ですわ」
「そうか、うん、そうだね」

 ジョナサンの額にある水を含ませた手拭いを、ニナはこまめに交換する。ジョージは、看病の手順を的確に踏むニナの様子を見て、自身の落ち着きも取り戻し始めた。

「すまない、ミス・ニナ。あなたに看病をさせてしまって。今日に限ってナニーが外に出ているとは……」
「とんでもございません、ジョージ様。わたくしももっと早くに気が付けばよかった」

 そう言ってジョナサンを見つめるニナの瞳は、「心配」という色がこれまで見たことがないくらいはっきりと出ていた。いつもなら自分の感情をあまり大きくは出さないのに──この人は、このような表情もするのか、とジョージは思った。
 ニナは、冷たい水に晒されて少し赤くなった手を、ジョナサンの首元にあてがった。

「……ミス・ニナ……手、ひんやりとしていて気持ちいいな。もう少し、そうしていて」
「えぇ、もちろんです。ずっとここにいますよ、ジョナサン様」

 ニナはジョナサンの額をふいたり、髪をなでたり、顔や首に手をやったりしていた。ジョナサンを見つめる瞳は、母親のそれだった。ジョージは、なぜだか眼の奥がつんとして、胸が少し苦しくなった。


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