辿りついた終焉の舞台は、新都に建てられた大きな市民会館だった。
寝静まった住宅街にそぐわぬ焦げた匂い。
夜闇に燻ぶる白煙。
だがそれは誰にも知られることなく、ただ静かに終わりを全うしようとしていた。


「…此処に、聖杯が……」


不気味なほど静まり返ったその場所。
エントランスに佇むわたしとギルガメッシュ。
小さく零した言葉に隣の英雄王は嗤った。


「そうだ。此処に聖杯がある」

「…ほんとに?」

「何だ、我の言う事が信じられぬと申すか」

「だって、ギルも見たことないんでしょ。聖杯」

「ああ。だが、聖杯の外側はもう此処に在る。ならば、聖杯自体も此処にあると考えて良いだろう」

「外側…?」


意味のわからない台詞に首を傾げる。ギルガメッシュは薄く嗤ったまま紡ぐ。


「セイバーが後生大事に護っていた、あのホムンクルスだ。あれの中に聖杯がある」

「…え……人体のなかに聖杯がある、の?」

「あれはヒトではなく、器の守り手として造られた人形ということだ。あれは消滅したサーヴァントの魂を吸収して器のカタチを成す。戦局が進むにつれ、ヒトらしい機能を失って聖杯へと還ってゆく」

「な───!」


さあっと背筋が凍る。
そんな、SF映画みたいなことがこの世界に存在していたのか。
(じゃあ、アイリスフィールさんは…)
思い出す。キャスターを倒すときにわたしを助けてくれた優しい彼女の笑顔を。
(最初からこの闘いの犠牲になることが決まっていた───)
手が震える。どうして。なんで。そんな疑問符ばかりが生まれる。


「…ギル……アイリスフィールさんは、まだ、生きてる…の」

「死んだ。あれは最早生命活動など必要としない、ただの器だ」

「……、」


言葉が出ない。
また、か。
また死んだのか。
生きていれば誰でも死ぬ。
それは自明の理だ。
事実、わたしのおばあちゃんだって寿命で死んだ。
だから、別段、死というものが珍しいわけでもない。
それでも。
眼の前で誰かが死ぬのは、もう───。


「感傷に浸っている暇はないぞ、楪よ。おまえは、おまえの望みを叶えるために此処へ来たのであろう」

「…っ……」

「もとより、立ち止まる方法等ない。あとはただ、終焉を迎えるのみだ」


迫りくる死の気配に怖気づくこともなく、王様はわたしの手をとり、舞台へと歩を進める。
エントランスを抜けて、1階のコンサートホールへ。
足を踏み入れるや否や、噎せ返る火炎に息を飲む。


「う、…これは……」


吹き抜けの其処は、火の海だった。
新都らしい清潔さなど何処にもない。真っ赤に燃えるステージと観客席。
全てを焦がす炎は見晴らしのよさそうな舞台から溢れていた。


「…ほう。あれが、聖杯か」


英雄王が感心したように呟く。つられて視線を動かすと、ステージの真中に浮き上がる黄金の器が見えた。
そこだけ時空が切り取られたように、炎を寄せ付けていない。
まばゆい願望機。


「あれ、が───」


人間の欲を剥き出しにし、死を喰らい続ける呪いの器。
それがいま、燦然たる輝きを放って存在している。
(あんなものが…)
畏れと怒りがない交ぜになった感情がぐるぐると渦巻く。
(あんなものが、あるから)
流さなくていい血を流した。死ななくても良いひとを殺した。あんなちっぽけな器を求めあって。
拳を握る。炎はただ周りを焦がし続ける。


「───だが楪よ。あれが在ったからこそ、おまえは生きているのではないのか?」


不意に、そんな言葉が聞こえた。
顔を上げると、ギルガメッシュが至極真面目にこちらを見ていた。


「な、に」

「聖杯がなければ、おまえの存在意義も生まれはしない。あれはむしろおまえにとって味方なのではないか?おまえという存在は聖杯と共に在る」

「───ッ!」

「おまえも、あの人形同様、この闘いのために造られたモノ。それを自ら壊すと云うその信念、我には理解できぬ」


ちがう。
ちがうちがうちがう。
そんなはずはない。
わたしは人形じゃない。
わたしは、わたしは。


「それでもまだ、おまえは聖杯の破壊を望むのか?女神よ」


彼は、広がる火の粉よりも尚紅い瞳でそう問いかけた。
わたしは、なにも言えない。
(なんで、反論できないの)
誓ったじゃないか。あの笑顔に、涙に、血の海に。
必ず叶える、と。


「…ふん。おまえの祈りとやらは、まだ明確な道ではないようだな」

「………」

「まあ良い。すべてが終わるまでに、もう一度よく考えておくんだな」


くすりと笑って英雄王はわたしの手を離し、烈火に挟まれたコンサートホールの中央廊下を行く。
取り残されたわたしはただ瞬きを繰り返すばかり。


「此処はやがて戦場になる。おまえは邪魔だ。何処か、この終局を見届けるに相応しい場所へと行くが良い」

「え……でも、」


加護は、と言いかけたわたしを目線だけで制してギルガメッシュは言う。


「神の力など借りるものか。おまえの加護などなくとも、我は既に最強であるぞ」

「…そうでした」


確かに、このひとに加護は不要だろう。最強のサーヴァント。黄金の王様。彼は、彼の力だけで敵をねじ伏せる。
熱風のなか辺りを見回す。ふと、2階にあるボックス席が眼に入った。あそこなら、きっとこの闘いを見届けられるだろう。


「じゃあ、わたしは2階に行くね」

「おまえに頭上から見下ろされるのは不服だが、まあ良い。行け」


頷いてから一旦ホールを出る。自分が燻製になりそうな煙の匂いに咳こみながら、エントランス横の階段を昇る。服の袖口で鼻と口を覆う。ひとり避難訓練気分だ。


「…ついた」


2階席に到着。身体についた煤を払って、先ほど狙いをつけたボックス席へと向かう。座席に腰かけようとおもったけれど、そんな穏やかな雰囲気ではない。なにせ周りは火の海なのだ。いつでも逃げられるよう、手すりの傍にしゃがんで隙間から階下を見遣る。わたしから見えるのは聖杯を背に立ちはだかる英雄王のみ。
(…終わりが近い。死が、すぐ隣に居る)
不吉な予感、熱風の奥に潜むなにかとても悪いもの。聖杯は何も言わずに輝くだけ。
果たして、あれを壊したところで聖杯戦争は終結するのだろうか。
小さな疑問が胸をよぎる。あの器を壊しても、なにも終わらないのではないか。
それは怯えではなく、予感だった。
あれを壊してもなにも終わりはしない。
そう、確信めいた何かが囁いている。


「……ちがう」


きっとこれは気の迷いだ。
さっきギルガメッシュに言われたことが気になってるから、こんな弱気なことを考えてしまうんだ。
ゆるりとかぶりを振って迷いを断ち切る。
(終わらせる。絶対に)
死の淵でわたしにその祈りを託したひとの優しさを、無為にしたくはないから。
柔い肌に爪を立てて眼を閉じる。
その時、扉の開く音がした。


「────」


咄嗟に隠れる。今のわたしの位置からは、誰がこのホールに入ってきたかはわからない。
しかし、恐らくはサーヴァント。これが、最後の闘いになる。


「遅いぞ、セイバー。昔馴染みの狂犬と戯れるにしても、この我を待たせるとは不心得も甚だしい!」


英雄王の声が響いた。
(セイバー!)
よりにもよって、というやつか。
いや、むしろ―――予想通りなのかもしれない。
高潔にして完全の騎士王。最優のサーヴァント、セイバー。
よもや彼女が最後の舞台に躍り出ようとは。


「アーチャー、ッ………!」

「何という顔をしている?我が財宝に見惚れるにしても、少しは慎め。そう露骨に欲を面に出しては品位に欠けるぞ。まるで…飢えた痩せ犬のようではないか」


絞り出すようなセイバーの声とは対照的に、英雄王は余裕の口ぶりで彼女を皮肉る。
わたしはそれを聴きながらきょろきょろと目線を動かしていた。
セイバー。彼女が来たなら、あのマスター…衛宮切嗣も此処に居るはずだ。
そうだ。英雄王が居るならば、言峰だって此処に居るだろう。
あの二人は何処だ?
最期の闘いを逃す程、あの二人は愚鈍ではなかろう。
特に───衛宮切嗣は聖杯に託す悲願がある。この闘いに負けられない理由がある。


「……そこを、退け…。聖杯は、私の…モノだ…!」


弱弱しく迸る声は風を斬る音と共に一瞬で悲鳴に変わる。見れば、英雄王はその背後に無数の武器を侍らせていた。


「セイバーよ。妄執に堕ち、地に這ってもなお、おまえという女は美しい」


この場にそぐわぬ猫撫で声は、他でもないあの王様から放たれている。


「奇跡を叶える聖杯などと、そんな胡乱なモノに執着する理由など見当たらぬ。セイバー、おまえという女の在り方そのものが、既に類稀なる奇跡ではないか!」

「…ッ、貴様は……何を…」

「剣を棄て、我が妻となれ」


まさかの戦場プロポーズだった。
おもわず突っ込みそうになる声を必死に押さえながら階下を見る。
ギルガメッシュは愉しそうだった。


「な…馬鹿な……何のつもりだ!」

「理解できずとも歓喜はできよう?他ならぬこの我がおまえの価値を認めたのだ」


いやできねえよ。流石に無理だよ。セイバーの反応が正しいよ。


「下らぬ理想も誓いとやらもすべて棄てよ。そのようなモノは、ただおまえを縛り、損なうだけだ。それより先は我のみを求め、我のみの色で染まるが良い。さすれば万象の王の名の許に、この世の快と悦のすべてを賜わそう」


いいから嫁に来いと英雄王は騎士王に高らかに告げた。
(うわあ…)
なんというジャイアニズム。最早突っ込む気すら起きない。すべてが桁違い。
(…がんばれセイバー)
姿は見えないが階下に居るであろう騎士王にわたしはこっそりとエールを送った。だってあの王様の妻になったら絶対苦労するもの。セイバーはそういうの似合わない。


「…ッ、貴様は、そんな戯言の為に…私の聖杯を奪うのか!」


漸く反論した彼女の声を風切り音が遮る。


「おまえの意志など訊いていない。これは我の下した決定だ」


一方通行な愛情は毒でしかない。それを厭と言うほどこの聖杯戦争の最中に見せつけられたので、いまの台詞には結構イラッときた。あの慢心した麗貌を聖杯を壊すまえに一発殴ってやりたい。でもそんなことをしたらたぶん死ぬ。


「さあ、返答を聞こうではないか。問うまでもなく決した答えではあるが、おまえがどんな顔でそれを口にするのかは見ものだ」

「断る!断じて───ッ!!」


力強く拒否をするセイバーの声が悲鳴に染まる。また英雄王が武器を投擲したのだろう。彼は愉快そうに哄笑する。


「恥じらうあまり言葉に詰まるか?良いぞ、何度言い違えようとも赦す。我に尽くす喜びを知るには、まず痛みを以て学ぶべきだからな!」


騎士王のプライドを傷つけるのすら愉しくてたまらないと云った風にギルガメッシュは嗤い続ける。きっとセイバーは怒り心頭、鬼のような形相で彼を睨みつけているに違いない。
(サイテーだ…)
溜息混じりに隙間から英雄王の背中を睨む。あれは病気だ。サディストにも程が在る。垣間見えた地面にひれ伏すセイバーの表情は絶望に彩られていた。
(…それもそうか)
見たところ彼女は満身創痍だ。それに対して眼の前に佇む黄金の英霊は無傷に近い。たとえ今から闘ったとしても、セイバーに勝ち目は───。


「…っ、」


不意に、セイバーの瞳に光が宿った。
彼女の視線は真っ直ぐにこちらを見ている。
(…っ、ばれた?!)
咄嗟に手すりから身を引く。しかし、違った。
彼女が見ていたモノはわたしではなく。


「……え…?」


どん、と背中に鈍い衝撃が走る。
壁にぶつかったのだろうか。否、それにしてはやけに温かい。
(な……)
恐る恐る顔を上げる。
そこに居たのは。


───衛宮切嗣の名の許に、令呪を以てセイバーに命ず。
───衛宮切嗣の名の許に、令呪を以てセイバーに命ず。


ぼろぼろの背広にくたびれたロングコート。
漆黒の痩身と骨ばった頬。
(衛宮、切嗣…!)
正義の味方を諦めた殺し屋が、右手を掲げて告げる。


───宝具にて、聖杯を破壊せよ。
───宝具にて、聖杯を破壊せよ。


思考が止まる。
いま。
いま、この男は何と云った───?


「な…ッ、馬鹿な!何のつもりだ!」


焦ったようなギルガメッシュの声。振り向くと、セイバーの持つ剣がキャスターを倒した時の様に光輝きながら風を放っていた。
その切っ先が狙うのは、聖杯だ。


「ッ…ち、違う…!!」


剣を振り上げたセイバーがあらん限りの力を振り絞り叫ぶ。彼女は今にも発狂しそうなほど辛そうな顔をして、己のマスターに向かって問いかける。


「何故だ!切嗣!よりにもよって、貴方が!何故ッ!!」


状況はわたしを置いて加速してゆく。歯を食いしばって令呪に抗うセイバー。わたしの背後に立つ男がどんな顔をしているかなんて、わからない。わかるはずがない。


「おのれ、我が婚儀を邪魔立てするか、雑種めが!!」


英雄王は騎士王のマスターがやったことに勘付いて無数を武器をこちらへと向ける。
あれらが放たれれば、背後の男の命はない。
この状況も落ち着く。
しかし、彼はそんなことで止まる人間ではなかった。


───第三の令呪を以て、重ねて命ず。
───第三の令呪を以て、重ねて命ず。


脳髄で反響する声は確固たる強さでその力を行使する。


「やめろおおおォォォッ!!」


セイバーが絶叫した。透明な涙が散る。


───セイバー、聖杯を破壊しろ!
───セイバー、聖杯を破壊しろ!


もう、手遅れだった。
続けざまに令呪を使われたセイバーに抗う術はない。
身を引き裂くような嘆きの叫びと共に、膨大な光輝が世界を包み込む。
咄嗟にその軌道から逃れた英雄王の背中を確認したところで視界が真っ白に塗りつぶされた。
凄まじい熱量と爆音。吹っ飛ばされそうな風圧。
理想の光は、悲願の器を無情に斬り裂いた。
まるで夢のように。
なにひとつ叶えることなく。
騎士王は自ら希望を破壊し───絶望に苛まれながら、聖杯と共に消えていった。

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