息を吸い込めば乾いた風が喉を焦がした。 吹きすさぶ砂塵は目の前の戦場をより鮮明に浮かび上がらせる。 進み行く大群。王を追う背中。冬木大橋から固有結界へと姿を変えた戦場に、騎士たちの叫びが響き渡る。 圧倒的な戦力差。 その中で、燦然と輝く黄金が在った。
「夢を束ねて覇道を示す…。その意気込みは褒めてやる。だが兵どもよ、弁えていたか?───夢とは、やがては須らく醒めて消えるが道理だと」
軍勢の先に佇む英雄王が、その燃えるような血色の瞳を歪ませる。 彼の手に握られているのは、ただ一本の得物。
「なればこそ、おまえの行く手に我が立ちはだかるのは必然であったな。征服王」
見たこともない獲物を掲げ、ギルガメッシュは冷静に紡ぐ。 遥か先に居るはずの声が、すぐ近くで聞こえる。
「さあ、見果てぬ夢の結末を知るが良い。この我が手ずから理を示そう」
普通の視力じゃ見えない筈の、王の表情が見えた。 彼は酷く愉しそうに目の前の敵を見据えている。
「さあ───目覚めろ『エア』よ。お前に相応しき舞台が整った!」
ギルガメッシュの持った、不思議な文様が浮かび上がった剣が風を巻き上げる。 その風が───酷く恐ろしい気配を纏っていたのでわたしは思わず後ずさった。 (あれ、は) あれは恐らく、普通の宝具ではない。 セイバーの約束された勝利の剣(エクスカリバー)にも劣らぬ、この世に存在し得ぬモノの気配。 征服王が率いる部隊は楔形に広がりその脚を止めることはない。 英雄王が、武器を振り上げ声高に叫ぶ。
「いざ仰げ───『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』を!!」
瞬間、世界が───裂けた。
「──う、そ」
湧きあがる風は切っ先となり、空を、地を、容赦なく分断していた。 ギルガメッシュの持つ武器は。 征服王の作りだした世界を、切り裂いていた。
「……っ、!」
地面に空いた大きな亀裂に、軍勢たちが堕ちて行く。 英雄王に辿りつくことなく、まるで塵芥の如く。 無常に、非情に、只管に。 剛風に押し流されながら、わたしは消えてゆく世界を見ていた。 晴天の空も、無限の砂漠も、黄金の前に消えてゆく。 (これが───英雄王ギルガメッシュの力) 敵だけではなく、世界をも蹂躙するその強大な実力。 脚が竦んで動かない。
「ら…ライダー…」
気づけば、そこは元の冬木大橋に戻っていた。 夜闇に包まれた静寂の戦場に、間一髪で亀裂に飲みこまれなかったウェイバーが征服王を見遣る。 その顔は不安と怯えに彩られていた。蒼白な彼を見下ろしながら、馬上の征服王はなにかを考えるように黙り込み───静かな口調で問いかけた。
「そういえば、ひとつ訊いておかねばならないことがあったのだ」
「…え?」
「ウェイバー・ベルベットよ。臣として余に仕える気はあるか?」
あまりにも現状にそぐわぬ言葉。しかし、それこそが何物にも換え難い彼らの絆。 ウェイバーは大きく眼を見開き、震えながら熱い涙を流した。
「貴方こそ───」
その声音に含まれていたのは、歓喜と勇気。そして強靭な信念。 ウェイバーは頬を伝う雫をきらきらと星のように零しながら告げる。
「───貴方こそ、僕の王だ。貴方に仕える、貴方に尽くす…!どうか僕を導いて欲しい。同じ夢を、見させて欲しい…!」
確固たる絆。マスターとサーヴァントではなく、純粋な王と臣下の、強く揺るぎないもの。 ウェイバーの答えに征服王は優しく微笑んだ。
「うむ、良かろう」
そう言って、征服王は愛馬からウェイバーを降ろした。
「…え……」
疑問の声はわたしとウェイバー、どちらのものだったか。 戸惑う臣下に王は言う。
「夢を示すのが王たる余の務め。そして、王の示した夢を見極め、後生に語り継ぐのが…臣下たる貴様の務めである。 ───生きろ、ウェイバー。すべてを見届け、そして生き永らえて語るのだ。貴様の王の在り方を。このイスカンダルの疾走を」
それは、最初で最後の命令だった。 ウェイバーは息を飲み俯く。もはや彼がどんな顔をしているかはわからない。ただ、目の前に聳える征服王の表情は酷く穏やかだった。
「女神よ。お主の加護を二度も頂戴出来たこと、誇りに思うぞ」
「…いいえ、こちらこそ。勇敢なる征服王に我が加護を与えられたことを嬉しく思います」
「余は、お主の在り方が気に入っておる。敵も味方もなく、ただ己の信じた勝利に殉ずるその姿。アテナはいつの時代も高潔で素晴らしい」
「勿体なきお言葉、感謝します」
「うむ。女神───楪よ。現代の戦神よ。その信念を、高潔さを、決して失うでないぞ。お主を信じた騎士の為にも、な」
「…はい」
温かい眼差しに、一礼。 顔を上げてまみえる背中。それは何よりも荒々しく、尊大で。
「さあ、いざ征こうぞ!ブケファラス!」
征服王の掛け声と共に、駿馬が疾走する。 対岸に佇む最強へと向けて。 わたしとウェイバーは並んでその光景を見つめる。 征服王は、目指す場所へ辿りつくために走っている。 一体だれがそれを止めることなど出来ようか。
「AAAALaLaLaLaie!」
蹄の音と鬨の声。 そしてそれを掻き消すように飛び交う無数の武器。 身体を斬り裂く雨に遭っても尚、その疾走は止まることを知らない。 征服王の愛馬が力尽きて消える。しかし王は脚を止めない。ただひたすらに進んでいく。なにも恐れることなく、真っ直ぐに。
「ははっ…あっはっはっはっは!」
豪笑しながら血まみれの身体を揺らし征服王は手にした剣を振り上げた。 もう英雄王は目の前である。
「はああッ!!」
渾身の一振り。 それを避けようともせずに、ギルガメッシュはゆっくりと手を振り上げる。
「───天の鎖(エルキドゥ)」
何処か懐かしい響きが鼓膜を震わせる。 刃がその肌に触れる直前に、ここではない場所から飛び出した鎖が征服王を捕えていた。 一瞬で時が止まる。 そして英雄王の剣が、征服王の胸を貫いた。
「…全く……貴様…次から次へと珍妙なモノを……」
紅い液体を吐き出しながら征服王は苦笑した。 英雄王は落ち着いた声音で問う。
「夢より醒めたか?征服王」
「…ああ、うん。そうさなぁ…」
彼は、何処か夢見るように呟く。 貫かれたままの背中しか見えなくても、彼がいま笑っているのは何となくわかった。
「此度の遠征もまた……存分に、心躍ったのう…」
段々と小さくなっていく声を聞いて、ギルガメッシュは頷く。
「また幾度なりとも挑むが良いぞ、征服王。時空の果てまで、この世界は余さず我の庭だ。故に我が保証する。 ───世界は決して、そなたを飽きさせることはない」
それは、皮肉も慢心もない英雄王の賛美。 この世界を所有する王の言葉に、果てを目指した男は笑う。
「ほぉ……そりゃあ、いいなあ…」
愉しそうに呟く言葉と共に、最期までその豪放磊落さを失うことのなかった征服王が───消滅した。
「……………」
きらめく粒子は夜風に吹かれ儚く散っていく。 遺されたものは、光と影。
「───あ、」
甲高い金属音を立てながら、ギルガメッシュがこちらに近づいてきていた。 ウェイバーは彼を見つめたまま動かない。否、動けない。
「小僧。お前がライダーのマスターか?」
遂にウェイバーの目前に立ちはだかった英雄王に、少年はぎこちなくかぶりを振る。
「…違う。僕は……あの人の、臣下だ」
掠れた声は怯えに染まってはいたが、決して揺らがぬ強さを持っていた。 英雄王は紅蓮の双眸を細め、ウェイバーを眺めながら紡ぐ。
「ほう、そうか。…だが小僧、お前が真に忠臣で在るならば、亡き王の仇を討つ義務がある筈だが?」
黄金の英霊の言葉に、ウェイバーは確かに答える。
「…おまえに挑めば、僕は死ぬ」
「当然だな」
「それは出来ない。僕は───『生きろ』と命じられた」
少年の脚は震えていた。身体はとうに言うことを聞かぬ程に怯えているにも関わらず、王の命を必死に守ろうと、目の前のサーヴァントを見据えている。 ウェイバーはいつ殺されてもおかしくない。ギルガメッシュがそんなことをする前に彼を庇いたかったが、それはわたしの役目ではない。だから、息を殺してその光景を見つめた。
「忠道、大儀である。ゆめその在り方を損なうな」
音もなく頷いて、英雄王は殺気を解いた。 ウェイバーは動かない。恐らく状況処理が追いついていないのだろう。 ギルガメッシュは彼から視線を外し、隣のわたしへと近づいてくる。何も言わずにパーカーのフードを掴み、歩き出す。
「ちょ、ちょっと!」
「なんだ。まだ何か文句があるのか」
「そりゃあるよ!いま此処じゃ言いきれないくらいに!」
有無を言わさず歩を進める王様。嗚呼わたしの言い分なんてあったもんじゃない。一度だけ振り返って、立ちすくむ少年の名を呼ぶ。
「ウェイバー、ありがとう」
わたしの言葉に彼は数秒黙り込んでから、優しく微笑んだ。
「…ああ。行ってこいよ、楪」
「うん。行ってきます」
もう、それだけで充分だった。 前を向く。もう振り返りはしない。目の前には眼も眩むような黄金。 カチャリカチャリと音を奏でる鎧に包まれた背中に言葉を投げる。
「…ねえ、」
「………」
「ねえ、ギル」
「…なんだ、喧しい」
漸くこちらを見た英雄王の顔はとても不機嫌そうだった。気にせずに続ける。
「なんでわたしを連れてくの?」
「おまえは我の所有物だろう。今更問うことでもあるまい」
「…だって、わたしは」
聖杯戦争を終わらせるために、戦場へ出て来たのに。 この王様は、聖杯が自分の物だと言って憚らない。わたしはそれを壊すと公言した。なのにどうして。
「確かにおまえの祈りとやらは我と敵対するものであるが───しかし、興味が湧いたのだ」
「…興味?」
「言峰が己が欲望を受け入れ、自身の為だけに闘いを行うと決めたように───楪。おまえも求めるところを為せば、愉悦のなんたるかを理解できるのではないか、とな」
「え……」
意味がわからずに眉を寄せたらくすくすと笑われた。
「出来るものならばやってみよ。聖杯を壊せ。そして己が望みを遂げるが良い、楪」
「な……そ、そんな、自分を殺せって言ってるようなもんじゃ…」
「たわけ。おまえ如きに殺される我ではないわ。先ほどの闘いでおまえは一体どこを見ていた」
「う…」
た、たしかに。さっき征服王を倒したのは他でもない、目の前に居るこのひとなのだ。
「それでも尚、その愚かな祈りを叶えたいのなら───この我を倒し、聖杯戦争を終わらせるが良い。そして、その祈りとやらの果てを見せてみよ」
「───ッ!」
自分を倒せるなら、あとは自由にしろ、と。 人類最古の王様は見惚れてしまいそうな程うつくしい笑顔でそう言った。
「但し、それは我以外のサーヴァントが消えてからだ。残った邪魔者は我が駆逐する。それまで暫し待て」
「…………」
「良いな、楪」
気づけば、フードではなく腕を掴まれていた。 呆けたままではあったが、しっかりと頷く。
「なれば、着いて来い。もうすぐ終焉の舞台へ辿りつく。おまえが望んだ終わりが実現するやもしれぬ場所だ」
彼は、ギルガメッシュは。 自分に刃を向けるとわかっているわたしを見て微笑む。 それは到底理解できない感情。 けれど、そんな異常さに救われているわたしに。 彼の歪さを否定する術など───存在し得なかった。
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