そろそろかなぁ。
遅い夕飯を食べ終えてから呟く。ちなみに今日の献立は余った材料で作った親子丼。中々美味く出来たのでウェイバーにも食べさせたかったが、彼が日本食を好むかわからなかったのでお弁当を作るのはやめた。征服王あたりなら喜んで食べそうだけど。


「…よし、行くか」


身だしなみを整えて栄養ドリンクを一本飲み干す。ウェイバーに治して貰った傷は順調に痛みが和らいでいる。言峰と英雄王に散々傷めつけられた身体もいまはかなり調子が良い。いつになく軽やかな足取りで家を出て、ウェイバーに視せてもらった道のりを歩く。外はすっかり静まりかえっていて深い夜が始まっているのは一目瞭然。これなら間に合うはずだ。


「ウェイバーのことだから、いつ着いても遅いとか言いそうだなぁ」


苦笑しながら緑地公園へ足を踏み入れた。雑木林は静謐を守っていて、落ち葉を踏む足音がやたらと響く。さくさく、さくさく。あ、焼き芋したいな。ウェイバー誘ってみようかな。なんて考えながら歩いていたら、目前に真っ赤な大きいものが見えた。…なんだあれ。


「…ん?おぉ、女神か!よく来たのう」

「あ、こんばんは」


それは征服王の赤い外套に包まれた背中でした。近づいていくと、実体化した彼の隣で寝袋に入って寝息を立てるウェイバーが居た。


「悪いが、まだ坊主は寝ておる。魔力が回復しきっておらぬゆえ、無礼を赦してやってくれ」

「あ、はい。大丈夫です」


てっきりウェイバーに小言を言われると思って来たので、正直拍子抜けした。でもまあ、魔力の回復中なら仕方ない。わたしは断熱シートの空いたスペースに座って空を眺める。征服王は熱心になにかを読んでいた。


「……のう、女神」

「はい」


暫く沈黙が続いた後、不意に征服王が口を開いた。


「つかぬことを尋ねても良いか?」

「…いいですけど」


征服王の方を見やる。彼は数秒難しい顔をしてから言葉を発した。


「…ランサーは、やられたのであろう?」

「───っ!」


まさかそんな問い掛けが来るとは思っていなかった。無意識に息をのむ。


「坊主に気を使って嘘を吐いたのはわかっておる。それを責めるつもりもない」

「……貴方は、気付いていたんですね」

「…何となーく、な。今朝がたお主に会ったとき、ランサーの魔力が微塵も感じられなかった。以前、迷子になっていた時はもっとあやつの魔力の残滓を纏って居たのでなぁ…」

「………そう、ですか」


人間の眼は誤魔化せても、サーヴァントの眼は誤魔化せない。同じモノだからこそわかることがある。それを偽ることなんて出来ない。


「…しかも、ランサーが消えたのは昨日今日の話ではあるまい」

「……はい。ランサーは…ディルムッドは…数日前に…」

「そうかぁ…さぞ無念であったろうに…」

「……はい」


思い出しては後悔する、あの忌まわしき朝日。
わたしは初めて、聖杯を憎んだ。


「…もしや、坊主の師とやらもやられたのか?」

「………」


静かに頷くと、征服王は嘆息して頭を掻いた。渋い表情は威圧感がある。


「……お主、今まで何処に居った?」

「…っ、それは……」

「言えぬのなら当ててやろう。あの金ぴかの処だろう?」

「…………」


もはやこの英霊に隠し事は出来ない。そう確信したわたしは頷いた。


「やはりな。ランサーの魔力が消えた替わりに、お主にはあの金ぴかの魔力が残っておったわい」

「……騙そうとしたわけじゃないんです。ただ、言えなかっただけで」

「わかっておる。どうせあの金ぴかが勝手に連れ去ったのであろう?お主も災難であったなぁ」


わはは、と笑いながら征服王はわたしを見た。


「勝利の女神が味方するのは『勝利』であって、個人ではない」

「………」

「それで良いのだぞ、女神よ。お主は自分にとっての『勝利』を信じて進んで行けば良い」

「………でも、わたしは勝利を与えるだけで誰も救えない。ただ周りを戦いに巻き込む存在です」

「そんなことはあるまい!」


俯くわたしに征服王は自信を持って語り掛ける。


「お主が居ることで救われる奴は必ず存在する。例えば、そう───ランサーとかな」

「え───」

「あやつはお主と共に在るときが一番輝いて居た。あれは確実に救われておったぞ」


その言葉で思い出す。
あなたと出会えて良かった、と。
泣きそうな顔でわたしを信じてくれた。
笑顔でわたしの未来を願ってくれた。
大切な存在のことを。


「………っ……!」


じわり、と視界が滲んだ。
ああ、泣かないって決めてたのに。わたしのばか。こんなんじゃディルムッドに笑われてしまう。


「だから──そう悲観するでない。お主は、無力な女神などではないのだから」


そう言って、征服王はわたしの頭をわしゃりと撫でた。
鼻を啜りながら、わたしは深く頷いた。


「………ん、」


もぞり。足元にあったウェイバーの寝袋が蠢く。ゆっくりと彼の瞼が持ち上がった。


「……楪…もう来てたのかよ…」

「う、うん。ごめんね、起こすつもりはなかったんだけど」

「いや……大丈夫」


慌てて目尻を擦りながら紡ぐ。寝ぼけまなこのウェイバーはふわあと欠伸をひとつ。


「ん?おぉ。目が覚めたか、坊主」

「…夜になったら起こせって言っておいたのに、何やってたんだよ、おまえ」


恨みがましくサーヴァントを睨む寝起きのウェイバーに、征服王は手にした本を見せながら苦笑した。


「ああ、すまんすまん。つい夢中になってしまってなぁ。だがまぁ、夜も更けるにはまだ遠い。今夜はいつもほど焦らず落ち着いて構えていた方が良い気がしてなぁ」

「何でさ」

「……うむ。まあ、何となく…な。別段、根拠があるわけでもないが…今夜あたりに決着がつきそうなが予感がするのだ」


事も無げに、征服王はそんな直感を口にした。しん、と静寂が訪れる。
今夜中に決着がつく───。
それは、聖杯戦争が終わるということ。
でもそれは本当の終わりではない。
だから、わたしが。
ディルムッドの祈りを───。


「───っ、なに…?」


ぞくり。
妙な感覚がした。
身震いして視線を動かすと、ウェイバーも同じような顔をしている。慌てて雑木林のなかを駆けていく彼の背中を追う。目に入ってきたのは、見慣れぬ信号弾のようなものだった。


「…なにあれ」

「魔術信号弾だよ。色違いの光で、4と7……『達成』と『勝利』だよな。あんな狼煙を上げるってことは…まさかあれ、聖杯戦争が決着したって意味なのか?」


ウェイバーの言葉に耳を疑う。聖杯戦争が決着した?そんな馬鹿な!


「何だそりゃあ。余を差し置いて一体誰が勝ちを攫って行ったというのだ?」


それはその場に居たすべての者が抱いた疑問。ウェイバーは眉を寄せながら呟く。


「…そもそも、あれ冬木教会の方角とは全然違うよな。おかしいよ。聖堂教会の連中が上げた狼煙じゃないのかも」

「ああ、なんだ。そういうことなら納得だ」


ウェイバーの言葉に征服王は頷いた。


「な、何だよ」

「要するに、誰か気の早い奴が勝手に勝鬨を吠えとるわけだ。文句があるなら此処に来い、という…あれは挑発であろうよ。つまりは、決戦の場所を定めて誘いをかけとるってことだ」


…うわ。なんか、そういうことしそうな人物に心当たりが…。


「良い良い。あたら捜し回る手間が省けたというものだ。あんな挑発を受けて黙っていられるサーヴァントがおるはずもない。生き残ってる連中はすべてあの狼煙の場所に集結することだろう」


やはり今夜が決戦の時だ、と征服王が遠方を見据えて紡ぐ。その横顔に燃える闘志は酷く眩しい。


「…そうか。これが…最後なんだな」

「応ともさ。さあ、目指す戦場が決まったとあれば、余もまたライダーのクラスに恥じぬ形で馳せ参じなくてはなるまいて!」


歓喜の表情で征服王は剣を振り上げ、己の愛馬を召喚した。巨大な馬は主が跨ると嬉しそうに鳴く。


「さぁ坊主、女神。戦車の御者台よりはちょいと荒れる乗り心地だが、まぁそこは肚を括って耐えることだ。ほれ、乗るがいい」


自分の身体を後ろにずらして、征服王はわたしとウェイバーの座る場所を作ってくれた。しかし、わたしの隣に佇むウェイバーは静かに首を横に振る。


「…ウェイバー?」


真意が解らずに名前を呼ぶと、彼は苦笑と共にこちらを見やった。
(……あ、)
その表情には見覚えがあった。
未遠川での戦いの際、自ら宝具を手折ることを決めたディルムッドが見せたものと酷似した表情。
だから、ウェイバーが決意を固めたことを悟ってわたしは頷いた。
彼は優しい瞳でこちらに瞬きをしてから右手を掲げる。


「我がサーヴァントよ、ウェイバー・ベルベットが令呪を以て命ずる」


その決意に、口出しは出来ない。
わたしはただその凛とした横顔を眺めるだけ。


「ライダーよ。必ずや、最後までおまえが勝ち抜け!」


ひとつめの令呪が消えた。
赤いひかりが続けざまに放たれる。


「重ねて令呪を以て命ずる。ライダーよ、必ずやおまえが聖杯を掴め!」


矢継ぎ早に魔力を放つ紋様を見つめる征服王は黙ったまま。


「さらに重ねて、令呪で命ずる」


ウェイバーは、マスターとして最後の権限を使って告げる。


「ライダーよ。必ずや世界を掴め。失敗なんて許さない」


ウェイバーは、3つある令呪のすべてを此処で使いきった。
赤いひかりと共に風が吹く。


「…さあ、これで僕はもうおまえのマスターでも何でもない」


刻まれた聖痕が消えた手の甲を見つめながら、ウェイバーは声を絞りだす。


「さあ、もう行けよ。何処へなりとも行っちまえ。おまえなんか、もう…」


擦れた声に征服王はうむ、と頷いた。それから彼はまるで何でもなかったように、俯いて震えるウェイバーの首根っこを掴み、その軽そうな身体をひょいと持ち上げて愛馬の背中に乗せた。
一瞬の出来事に頭がついていかなかったのは、わたしもウェイバーもおなじ。


「勿論すぐにでも征かせてもらうが………あれだけ口喧しく命じた以上は、勿論貴様も見届ける覚悟であろう?すべての命令が遂げられるまでを」

「……ば……ば、馬鹿ばか馬鹿ッ!あ、あのなあ!おいこらっ!」


喚きたてるウェイバーを馬も笑う。わたしはまさかの展開に目が点である。


「令呪ないんだぞ!マスター辞めたんだぞ!何でまだ僕を連れて行く?!僕は……」

「マスターじゃないにせよ、余の朋友であることに違いはあるまい」


にかり、と邪気のない笑顔で征服王はそう言った。ウェイバーはぽかんと口を開けながら呆けた後───ぼろぼろと、大泣きし始めた。


「…っ、ぼ…僕が……僕なんかで……本当に、良いのか……?おまえなんかの、隣でっ……僕が……」

「あれだけ余と共に戦場に臨んでおきながら今さら何を言うのだ、馬鹿者」


征服王はいつものように笑いながらウェイバーの背中を叩く。


「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか!ならば、朋友だ。胸を張って堂々と余に比類せよ!」


ウェイバーの目が見開かれる。その瞳の奥には、もう寂寞に塗れた決意などはなく───ただ、王の言葉を一身に受け、その覇道を信じる輝きだけが揺らめていた。


「さあ、女神も征こうではないか。お主の求めるものは、あの場所にあるのだろう?」

「…はい。きっと」


伸ばされた手を取る。大きな手のひら。温もりが伝う。わたしはちっぽけな力を使う。


「征服王イスカンダルに、勝利の加護を。
───fiat lux(光あれ)」


先ほどと似た、しかし何処か違う赤いひかりが王を包み込む。
同時にわたしは彼の愛馬に跨った。後ろにはウェイバーが居る。


「ライダーに加護してくれてありがとな、楪」

「うん」


少しぶっきらぼうな、優しさを含んだ声。わたしは笑って頷く。


「さて、女神の力強い加護も得られたことだし…ではまず第一の令呪に答えるとしようか。坊主、刮目して見届けよ!」

「……ああ、やってみせろよ。この僕の目の前で!」


ふたりの叫びを合図に駿馬が走りだす。この夜をかき分け、最後の戦場へと向けて。
髪を揺らす風は何処か生温く、息を吸い込むと微かに硝煙の香りがした。
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