目を開いた瞬間に感じたのは激痛。胃からせりあがる吐き気を押さえながら起き上がると頭がくらくらした。 ……なんか、デシャヴを感じるんですが。
「漸く起きたか。全く、この我が帰ったというのに目を覚まさぬとは何事か!」
ソファーに寝かされていた身体には薄い毛布。目の前には腕組みをして不機嫌そうにわたしを睨む英雄王。
「………おかえりギル」
「その台詞はあと3時間前に言うべきであったな」
「えーと…ごめん」
ぷんすかと怒りながらソファーの空いたスペースに腰掛けるギルガメッシュ。もしかしてわたしが寝てる間、ずっと立ってたのか?そんな馬鹿な。この王様に限ってそんなことはない。
「………う、」
身体を動かすと再び吐き気が。バーサーカーの蹴りが予想外に効いているらしい。内臓が痛い。
「なんだ、二日酔いか?情けない」
「ちがいますー言峰の所為ですー」
「綺礼?あやつがどうかしたのか?」
「………」
もうこの際いちから全部説明しようかと思ったけれど、そんなことをしてもこの王様がわたしに味方してくれるかわからないし、なによりバーサーカーの生命が危ない。やめておこう。説明するの面倒くさいし。
「…どうもしないよ。気にしないで」
深い溜め息を吐き出してソファーに深く腰掛ける。まあ、黙ってれば痛みも治まるでしょう。
「…む。なんだ、その含みのある言い方は。我に隠し事をするなど、女神のくせに生意気な」
「だからなんでもないってばー」
ひらひらと手を振って痛みを無視する。痛くない痛くない。暗示で誤魔化そう。
「……そういえば、言峰は?」
「あやつならそろそろ戻って来る筈だ」
「そっか」
帰ってきた言峰に蹴りの一発でもかましてやりたいがたぶん返り討ちにあう。確実に。 ギルガメッシュは昨夜のようにワインを飲んでいる。わたしはテーブルに放置されたままのコップに残った温い水を飲み干した。
「酒は飲まぬのか?」
「……なんか昨日の記憶ちょいちょい飛んだからパス」
「ほう?ならば、昨夜この我の膝枕で眠った行幸も忘れたと申すか」
「……………へ?」
なんか聞き慣れない、というか聞いちゃいけない単語が聞こえて素っ頓狂な声が出た。コップが手から滑り落ちて床に転がる。割れなくて良かった。 じゃなくて。
「は、はあ?膝枕?」
「………どうやら本当に覚えていないらしいな。この不忠者めが。王の膝を借りておいてその態度…赦されることではないぞ、楪」
「えっ、いや、まじですか?わたしが?英雄王の膝枕で?」
「我が虚言を語ると申すか」
まずい、わたしが何かを言う度にギルガメッシュの怒りボルテージが上がっていく気がする。というか上がってる。でも覚えてないぞ膝枕なんて…。 (………あれ。待てよ) なんか、わたし…英雄王に頭撫でられてなかったか?彼の手のひらが温かかったことは覚えてるぞ…?
「………つかぬことをお訊きしますが」
「…なんだ」
「……ギルガメッシュさん、もしかして…膝枕したわたしの頭を撫でてましたか…?」
「無論だ。そもそも、あれはおまえがして欲しいと懇願して来たのだぞ?」
「ええええ!」
信じられない。わたしそんな大胆なこと言いましたっけ!?いや、ていうかですね、何故に王様はそれを断らなかったのですか!
「王たる我が所有物を愛でるのは至極当然のことであろうが。それを覚えていない等と…楪、おまえという奴は…」
「はっ、はい。すいませんごめんなさい!でも英雄王の手が温かくて気持ち良かったのは覚えてます!」
「………ほう。なれば、更に極上の快楽を教え込んでやろう」
「え───」
ぐんっと身体が引っ張られる。同時に神経に走る痛み。ギルガメッシュはバーサーカーの攻撃を受け続けて裂傷になった場所を強く握っていた。
「いっ、は、はなして!」
「ふん。大方綺礼あたりがおまえの苦悶の表情見たさに傷つけたのだろう」
「う……」
ば、ばれてる…。気まずくなって目を反らしたら、片手で顎を掴まれた。そのまま無理矢理ギルガメッシュの方を向かされる。腕を握る力が更に強くなって顔を顰めると彼は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「痛いか?苦しいか?…ならば泣いて乞うてみよ。この手を離して欲しい、とな」
「だ、誰がそんなこと…っう、あ!」
ぎちり、と握られた場所が音を立てた。もはや痛みは肉を通り越して骨にまで届いている。泣きそうなのを必死におさえながら英雄王を睨み付ける。
「……何故泣かぬ。おまえは雑兵とはいえ、愛する者を失い、いま以上の痛みを感じている筈。なのに、楪。おまえは何故涙のひとつも見せぬのだ」
「……っ、言峰と、おんなじこと…言うんだね…」
「………」
マスターとサーヴァントは意外と似た者同士なのかもしれない。何だかんだ言って、ディルムッドとケイネスさんもある意味似てたからなぁ。
「わたしが泣かないのは、そうする必要がないからだよ。いまは泣くよりもやることがある」
「ほう」
「わたしは……ディルムッドを守れなかった。だから、せめて…最期の祈りくらいは叶えてあげたい。それを叶えるまで、わたしには泣いている暇なんてない」
わたしを守ってくれたひとのために。その願いを、祈りを、叶えよう。手の中の温もりが消えていくのを感じながら、そう決めたんだ。
「して、その祈りと云うのは何だ?おまえの痛みや悲しみを捨ててまで必死に守っている誇りとやらの中身は」
「………この呪われた聖杯戦争を、終わらせる」
たったそれだけのこと。 だけどなによりも大切な祈り。
「……なんだと?」
「聖杯戦争が在る限り、救われない魂がある。だから、それを救うためにわたしは聖杯戦争を終わらせる」
聖杯に呪いあれ、と叫んだ彼の声を覚えている。 万能の願望機など所詮はひとの本性を剥き出しにする呪いの器。 聖杯によって殺された魂は、聖杯が消えない限り救われない。 だから、わたしは───。
「…っ、は。ははははははははははは!!」
わたしの言葉を聞いた英雄王は、あらんかぎりの声を出して哄笑した。
「っ、なんで笑うの!」
「っくく…!戦いを終わらせるばかりでなく…聖杯によって殺された魂を救う、だと?ふ、ははは!楪、おまえは本当に面白いな!」
「わたしはふざけてるわけじゃ…!」
反論するわたしの顎を引き寄せ、間近でギルガメッシュは嗤う。魔物のような紅い瞳を歪ませる。
「どうやら自分の役割を勘違いしているようだな。どれ、ひとつ教えてやろう。おまえはアテナ。つまり戦の女神だ。戦神(アテナ)はただ、戦いに導き…強者に勝利を与えるだけだ」
「────っ!」
突き付けられる言葉に目を見開く。 ちがう。 ちがう、と言いたい。
「おまえの力では誰も救えない。強者に勝利を与えることしか出来ない」
「ち、ちが…」
「違わないさ。戦いを先導するおまえの傍には、いつも弱者の屍が転がっていよう。いつかの地獄のように」
「────あ、」
すうっと背筋が冷えてゆく。 替わりに左肩が熱を持つ。 どくん。 どくん。 心臓が早鐘を打つ。
身体のなかから声が響く。 ノイズ混じりの不協和音。 それをBGMにして見える光景は、屍の山。 虚ろに淀んだ瞳。嘆きを叫んだままの口。武器を握ったままの手。千切れた脚。 わたしの周りは、戦いに敗れた者たちの墓場───。
「────ひ、っ」
こわくてかなしくていたくてくるしくて、叫び出しそうになる喉を必死におさえつけた。 いつの間にか視界に映るものは地獄ではなく、知っている世界に戻っている。 恐ろしい声も、聞こえない。
「…どうだ、理解したか?おまえを愛でてやれるのは、強者である我のみだと」
肩で呼吸するわたしの首筋を舐めてギルガメッシュはそう囁いた。いつの間にか顎を掴む手は消えている。ぬるりとした感触が脊髄を痺れさせる。
「我を受け入れろ、楪。さすればおまえは地獄を見ることもなく、最高の快楽を得ることが出来よう」
「……っ、ぁ…」
艶めかしい舌が鎖骨の窪みを舐めあげる。擽ったさに身をよじると、今度は首筋にかぷりと噛み付かれた。緩くたてられた歯が甘く神経を蝕んでゆく。 (このまま、委ねてしまえば) きっとわたしはもうなにも考えなくて済む。こんな戦いに巻き込まれることもなく、ただのうのうと生きていくだけで良くなる。それはとても魅力的な未来だ。 (……でも、) 本当に、それでいいのか。 わたしにはそれを投げうってまで、遣り遂げたいことがあったのではないのか。 ギルガメッシュの手が衣服の下に入り、わたしの素肌を撫で回す。背中に侵入した手が、下着のホックに触れる。 (──ディルムッド) 涙が一粒、頬を流れた。
「……それでも、わたしは聖杯戦争を終わらせる」
ギルガメッシュの手が止まった。 首筋に埋めていた顔を上げ、英雄王は苦笑しながら紡ぐ。
「心配せずとも、聖杯戦争は終わる。我と綺礼の手によってな」
「…違う、それは終わりじゃない。わたしは、敗者も勝者も出さないまま、この戦いを終わらせるって言ってるんだよ。聖杯は誰にも使わせない。あれは、この世にあってはいけないものなんだ」
過去の英雄をサーヴァントとして呼び出し、勝ち取った者の願いを何でも叶える願望機。 そんな都合の良いものが存在するわけがない。 そもそも、欲を欲で洗うような泥沼の戦いを繰り返してそんなきれいなものを手に入れられるなんて、おかしい。 聖杯にはきっと裏がある。 相当えげつないものが隠されている。
「しかし、終わらせるといっても、既に始まってしまったものは止まらぬぞ」
「……だから、わたしはこの戦いに最後まで関わる。わたしには戦う術なんてないから、聖杯を自ら取ることが出来ない。でも…誰かが聖杯をとった後に壊すことは出来る」
「……勝者から賞品を取り上げるつもりか」
「言ったでしょ。敗者も勝者も出さないまま、戦いを終わらせるって」
「……何故そこまでする。おまえは何も得られぬぞ」
「わかってる。でも…わたしは、わたしを信じてくれたひとのために動くだけ。見返りなんて要らない」
「…それは我に対する宣戦布告か?女神よ」
「……かもしれない」
呟いた瞬間、ソファーから蹴り落とされた。腰を強打して呻くわたしに突き付けられる一本の剣。
「ならば去ね。我が陣地に敵は要らぬ」
冷たい眼で、冷たい声で、英雄王はわたしを拒絶した。 (…ああ、やっぱり) こうなってしまうんだね。
「…うん。今までありがとう」
むしろ今までが奇跡のようなものだったのだ。 だからこれはきっと、魔法が解けただけ。 立ち上がって扉へ向かう。背後に聳える殺気は何も言わない。
「…さようなら、ギルガメッシュ。言峰のことは大っ嫌いだけど…貴方のことは割と嫌いじゃなかったよ」
精一杯、それだけを言葉にして。 わたしは部屋を後にした。
「───それはこちらの台詞だ、愚か者め」
そんな英雄王の言葉を知ることもなく。 わたしは教会を出て、丘を下った。外人墓地を抜けて新都方面へ。 静かすぎる夜。人ひとり居ない道路。星空は寡黙にわたしを見下ろしている。
「………また、ひとりぼっちになっちゃったなぁ」
大橋まで来た。 歩道を踏みしめながら呟いた言葉はやけに大きく響く。車通りのない道路は死んでるみたいだ。数日前、キャスターが荒らした河も今ではあれが夢だったかのように静謐さを保っている。
「……夢だったのかなぁ」
聖杯戦争に巻き込まれたことも、わたしが女神だということも、今まで見てきた戦いも。 ディルムッドの笑顔も。 ギルガメッシュのわかりにくい優しさも。
「……ううん、違う」
夢なんかじゃない。あれは確かに現実で、わたしは見てきたものすべてを絶対に忘れない自信がある。 だからこそ、この信念を貫き通したいんだ。 見上げた空は薄く白んできていた。もうすぐ夜が明ける。冷たい朝の空気を吸い込んで、自宅へ急ごうと交差点を渡ろうとしたら───。
車に轢かれそうになった。
「っわあ!」
まさかこの時間に車が走ってるとは思わず、何の確認もせずに飛び出してしまった…!びっくりしたあ!死ぬかと思った!正直バーサーカーの時よりドキドキしてる…! わたしを轢きそうになって急ブレーキをかけた車から、誰かが出てくる。しりもちをついたまま呼吸を整えるわたしに近づいてくる影。
「おっ……おまえ!こんなとこでなにやってんだよ!」
「………は…?」
なんだか聞き覚えのある喚き声。 ゆるりと顔を上げたら、そこには何故か。 こちらを睨んで何か言葉をまくし立てている、ウェイバーが居た。
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