「………なんだ、それは」


アインツベルンとの密会が終わり、残っていた簡単な仕事を片付けてから自室に戻った綺礼は目の前に広がる光景に対してそんな台詞しか浮かばなかった。


「漸く戻ったか、綺礼」

「…ギルガメッシュ。おまえは時臣師について行ったのでは」

「館までは送り届けたが、中に籠もってしまえばいつもと変わらんだろう」

「…………」


己のマスターに対する感情としては些か淡白過ぎるが、ギルガメッシュという存在はもとよりそのような感性の持ち主である。これ以上問い詰めても無駄であると判断した綺礼は言葉を飲み込み、眼前に広がる現状と対峙した。


「……それで、一体なにをしているのだ、ギルガメッシュ」

「おいおい、無粋な問い掛けをするでないぞ綺礼。見ての通りだが?」


この状況がさも当り前のように振る舞うギルガメッシュ。いつもなら流している言葉だが、今日はひとつイレギュラーが存在する。その意味を問わねばならない。


「私が言っているのは、おまえの膝を枕にして寝ているその小娘のことだ。何故その娘が此処に居る」

「なに、喉が渇いたというのでな。特別にこの酒を飲ませてやったまでのこと。所有物を管理するのも王の仕事だ」

「………」


そう言いながら、いとおしむように少女の頭を撫でる英雄王はやけに上機嫌だった。


「…先ほど手を咬まれたばかりだというのに、随分と可愛がるのだな」

「神性が少ないとは云え、女神の名がついているのだぞ?多少の張り合いがないと詰まらぬ。反抗的な神を屈服させるのは実に心地良い」

「相変わらず、おまえは趣味が悪いな」

「それは誉め言葉として受け取っておくぞ」


グラスのなかの液体を飲み込み、英雄王は静かに微笑む。規則正しい寝息を立てる少女は起きる気配がない。


「綺礼。女神という存在は何故、聖杯戦争に存在すると思う」

「…それは私のあずかり知るところではない。資料によれば、彼女の祖母が聖遺物をその身体に埋め込んだが故に力が備わったという。本来ならばその娘は普通の人間だった筈だが」

「聖遺物、か。その祖母とやらは、一体いつ、この娘にそれを埋め込んだのだろうな?」


それこそ綺礼の知るところではない。手触りの良さそうな少女の髪を梳きながら、英雄王は呟く。


「仮に生後に埋め込まれたとしたら……それが此処まで似通うことがあるというのか。どちらにしろ、神々は悪趣味ということか」

「…一体なんの話をしている」

「ふん、こっちの話だ。気にするでない。それで、おまえはどうしたいのだ?綺礼よ」

「…なに?」

「己を見限った主君の身を案じるのは殊勝だが、よもやあの提案を鵜呑みにするつもりか」

「あれは当然の判断だ。そもそも私は、時臣師の道具としての役割を終えている。既にこの冬木に留まる理由等ない」


先程まで行われていた、遠坂とアインツベルンの密談。それはライダーを倒すまでの間、協力関係を築くことを約束したもの。その時、協力をする上であちらから出された条件が、言峰綺礼の国外退去であった。遠坂時臣はそれをすんなりと受け入れ、綺礼もまた、反論することなく条件を呑んだ。彼は明日にでもこの冬木を離れねばならない。


「…本気でそう思っているわけではあるまい?」

「……っ…!」


すべてを見透かすようなギルガメッシュの紅い瞳に、綺礼は後退る。
そう。条件を鵜呑みにしたものの、綺礼は重要なことを一切時臣に伝えずに来たのだ。再び浮き上がった令呪のことも、父から受け継いだ補完令呪の存在も、本当の脅威である衛宮切嗣についても───綺礼はなにも言わないまま、この冬木を離れようとしている。一体自分がなにをしたいのかわからない彼にとって、英雄王の言葉は悪魔の囁きのようだった。


「いま尚、聖杯はおまえを招いている。そしておまえ自身もまた、尚戦い続けることを望んでいる」


自分でも理解できぬ深層を言い当てる王の前で、もはや誤魔化しは効かない。


「……物心ついて以来、私はただ一つの探索に生きてきた。ただひたすらに時を費やし、痛みに耐え、そのすべてが徒労に終わった。…なのにいま、私はかつてないほどに、答えを間近に感じている。きっと…私が問い質してきたものの答えは───この冬木での戦いの果てにある」


口からこぼれ落ちる言葉はすべて真実。それを聞いた王は更に追い討ちをかける。


「そこまで自省しておきながら、一体なにをまだ迷う?」

「………予感がある。すべての答えを知ったとき、この私は破滅することになるのだと…。ならばいっそ、すべてに背を向けて去るのが賢明ではないのか」

「下らぬことを考えるなよ、言峰」


いまの自分が消えることを恐れおののく綺礼を、ギルガメッシュは一喝する。


「そんなにも簡単に生き方を変えられるのならば…今日のように、悩むおまえが出来上がるわけがない。常に問い掛けながら生きてきたおまえは、最期まで問い掛けながら死んで逝くのだ。答えを得ぬままでは───安息もないぞ」


艶めかしい舌を見せながら、ギルガメッシュは愉快そうに笑みを浮かべる。


「寧ろ祝うべきであろう?永きに渡るおまえの巡礼が、遂に目的地に至るのだ!」

「……おまえは祝福するのか、アーチャー」

「応とも!言った筈だ。人の業こそ、最高の娯楽だと。おまえが持って生まれた自らの業と対面する瞬間を、我は心待ちにしているのだ」


正に悪魔の甘言。紅い眼光を煌めかせる英霊に、綺礼は精一杯の抵抗をする。


「そうやって愉悦を貪ることのみに執心して生きるというのは、さぞ痛快なのだろうな」

「羨むぐらいなら、おまえもまたそう生きてみれば良い。愉悦の何たるかを理解出来れば、破滅など恐れるまでもなくなるぞ?」


その時、部屋にある電話がけたたましく鳴り響いた。受話器を取る綺礼の背中を眺めながら、ギルガメッシュは少女の頭を撫でる。


「…ん……ギル…」

「起きたか、小娘」

「………もう朝?」

「いや、朝ではない。おまえはもう少し寝ておけ、楪。どうせまだ酒が抜けきっておらぬだろう」

「うー…」


力なく頷いて、少女は再び目を閉じた。数秒もしないうちに寝息が聞こえ始める。それと同時に受話器を置いた綺礼が部屋にある机に向かう。そのまま椅子に座った男に、ギルガメッシュは問い掛ける。


「なんだ、いまのは」

「…父の配下だった聖堂教会の工作員からの連絡だ。いまではすべての連絡が、私に宛てて寄越される」

「なにか、余程心が浮き立つような報せでも受けたのか?」


無表情の綺礼を見て王は言う。その心眼に感服しながら彼は頷いた。


「そうかもな。確かに決め手にもなり得る情報ではあった。…先の会見の後で、アインツベルンの連中を尾行させた。生前の父の指示だと言ったら、疑いもせずに果たしてくれたよ。お陰で、いま連中が隠れ潜んでいる拠点の調べがついた」


さらりと言い放つ綺礼に、ギルガメッシュは耐え切れずに笑いだした。


「っ、ハハハハ!なんだ言峰…おまえという奴は…!もとより続ける覚悟なのではないか!」


抱腹絶倒の勢いで哄笑する英雄王に、悪怯れもせずに綺礼は返す。


「迷いはしたさ。止める手もあった。だが結局のところ……英雄王。おまえの言う通り、私という人間はただ問い続けることの他に処方を知らない。これより先は、大義もなければ名目もない。正真正銘、私ただ独りの戦いだ」


覚悟を決めた綺礼を見やりながら、ギルガメッシュは尚も嗤う。


「しかしな、言峰。早速だが、ゆゆしい問題があるぞ?おまえが自らの意志で聖杯戦争に参ずるならば、いよいよ遠坂時臣は敵であろう?つまり、いまおまえは何の備えもないままに、敵対するサーヴァントと同室しているのだ。これは大層な窮地ではないか?」


意地の悪い笑顔を浮かべながら嘯く英雄王の言葉に綺礼もわらう。


「そうでもない。命乞いの算段くらいはついている」

「…ほう?」

「時臣師と敵になる以上は、もうこれ以上彼の虚言を庇う必要もない。ギルガメッシュよ、まだおまえも知らぬ聖杯戦争の真実を教えてやろう」

「……なんだと?」


眉を潜める英雄王。綺礼は何の躊躇いもなく続ける。


「この世の内で生じた奇跡が、世界の外にまで通じるわけがない。願望機の争奪などは茶番だ。始まりの御三家が目論んだ聖杯の真意は他にある。そもそもこの冬木の儀式はな、七体の英霊の魂を生贄とすることで、根源へと至る穴を開ける試みだ。奇跡の成就、という約束も、英霊を招き寄せるための餌でしかない。その餌に纏わる噂だけが一人歩きした結果、いまの聖杯戦争という形骸だけが遺った」

「………」

「今回、かつての御三家の悲願を正しく成就しようとしている唯一の魔術師が、遠坂時臣だ。彼は七人のサーヴァントをすべて殺し尽くすことで、大聖杯を起動させる。…七人すべて、だ。わかるな?」


ギルガメッシュを見やる綺礼の瞳には、かつてない程の輝きが灯っている。英雄王は目を細めながら、少女の髪を弄んでいた手を止めた。


「時臣師があれ程令呪の消費を渋っていた理由がそれだ。彼は他のマスター達との闘争に於いて、二画までの令呪しか使えない。最後に残る一画は、すべての戦いが終わった後で…自らのサーヴァントを自決させるために必要だったからだ」

「………時臣が我に示した忠義。あれはすべて嘘偽りだったというのか?」

「彼は確かに、『英雄王ギルガメッシュ』に対しては、掛け値なしの敬意を払っていたのだろう。だがな、アーチャーのサーヴァントであるおまえは別物だ。謂わば英雄王の写し身、彫像や肖像画と同列の存在でしかない。画廊では、一番見栄えのする場所に飾るだろうし、前を通るときは恭しく黙礼もするだろう。そしていざ模様替えの際に置き場がないとなれば───丁重に破棄させて頂く、というわけだ」

「…………」

「結局のところ、時臣師は骨の髄まで魔術師だったというだけのことだ。突き詰めれば、サーヴァントという存在が道具に過ぎないことを、彼は冷静に弁えている。英霊は崇拝しても、その偶像には幻想など抱かない」


真実を知った英雄王は舌打ちをしながらワインを飲み干した。


「時臣め…最後に漸く見所を示したか。あの退屈な男も、これでやっと我を愉しませることが出来そうだ」


グラスを置き、昏く瞳を揺らすギルガメッシュに綺礼は問う。


「さて、どうする英雄王。それでも尚おまえは時臣師に忠義立てして、この私の本意を咎めるか?」

「さぁ……どうしたものかな。如何に不忠者とはいえ、時臣はいまなお我に魔力を貢いでいる。我でも、完全にマスターを見限ったのでは…現界に支障を来すし、な」


優雅な仕草で少女の頬に触れながら、英雄王はにまりと口元を歪める。


「おぉ、そういえば一人…令呪を得たものの、相方がおらず…契約からはぐれたサーヴァントを求めているマスターが居た筈だったな」


魔性の紅瞳が綺礼を突き刺す。その視線を受け止めて彼は自嘲気味に呟く。


「そういえば、そうだったな。だが果たしてその男は、マスターとして英雄王の眼鏡に適うのかどうか」

「問題あるまい。堅物すぎるのが玉に瑕だが…前途はそれなりに有望だ。ゆくゆくは存分に、我を愉しませてくれるかもしれん」


渇いた沈黙の後、浮かび上がる2つの笑い声。空虚な部屋に響き渡る不穏な旋律は、夜の闇を更に深くしていった。

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