無題 あなたは私の光だ 今までだって一度も誰かをこんなに強く思ったことがない 誰かの傍をこんなに離れがたいと思ったことはない。 「手紙が欲しいんだ」 唐突に、何の脈絡もなく彼は独り言のように呟いた。それに反応して俺が は? と聞き返すと彼は光の射さない目を少しだけ見開いた。俺が居ることを気付いていなかったかのようなわざとらしい、けれども悪気のない行為。 彼が口を開くまで数十秒、俺は押し黙っていた。彼が恥ずかしそうに照れ臭そうに俺と自分の指先を交互に見て、結局最後は自分の前髪を弄りながら視線を上にずらした。 「手紙がな、欲しいんだ」 お前からの。そう付け加えて彼は前髪をくるくると指先に巻き付けた。面倒だな、という想いと。また変なこと言い出した、という想いがぼんやりと俺の頭の中をぐるっとゆっくり回っていた。 「…しょうがないな、どんなのがいいんだよ」 携帯を上着のポケットから取り出してメール作成に取り掛かろうとする。彼が少し焦ったように止めてくる。そうじゃなくて、だな。 「お前の字で、お前が書いた。俺に宛てた手紙が欲しいんだ」 心底めんどくさいと思ってしまった。反射的に嫌だと否定してしまう。首を横に振ると彼はとてもショックだ、と言いたげに眉を下げた。そもそも、なんで。 「いきなり手紙が欲しいだなんて…」 「…親友から貰う手紙が、」 どういうモノなのか、気になって仕方ないから。しょんぼりうなだれて彼がまた小さく呟く。慰めようにも慰められず、かといって彼の気持ちを諦めさせる手腕などなく。こうなってしまうのかと自分の未熟さに呆れながら俺は彼の願いを叶えてやるのだ。 「わかった書くよ、書けばいいんだろ書けば」 ぶっきらぼうに言ったのに、それを聞いた彼はほんわり笑いながらじゃあ、待ってるな。とか可愛いこと言ってスキップしながらその場を立ち去る。結局彼の口車に乗せられた気しかしない。ちくしょう。 さて、了承したものの何を書こうかなんて全く考えていなかったわけだから筆が進まない。 (…後で、ネットから拾って、) 適当に写せば、問題ない。 至極投げやり。期待されるなんて、間違ってる。俺らしくない。親友なんて肩書きにこだわるなんて、絶対、違う。 でも。 『お前の字で お前の気持ちを』 「…(お前に宛てる 俺の気持ち)」 それは目も当てられないようなものかもしれないのに。もしかしたら、暗すぎて見えないかもしれないのに。お前に、俺は、俺が、俺だけの。 広げた便箋に気持ちを入れる。俺の気持ちが、嘘になってしまわないように、あいつに、そのままを伝えるために。 「…はい」 俺が横向きの素っ気ないエアメールのような便箋を差し出すと、彼はそれを大事そうに受け取った。幸せそうに両手で掴んで、胸元まで持っていって、ありがとう、と呟いた。 しばらく眺めた後に噛み締めるように微笑むのでこちらも恥ずかしくなる。 「…霧野、泣いたのか?」 「え 」 「目が 」 腫れている。左手で俺の目尻を優しく擦る彼は心配そうに俺の顔を覗き込む。どうした? なんて困ったように顔を傾けて そんなお前が。 ( お前は ) 「なんでもないよ」 ( 俺の光だ ) 「ただの寝不足だ」 「そうなのか?」 「お前に、手紙。書かされた所為だ」 ( こんな風に ) 「…ごめんな霧野」 「……」 「でも ありがとう。大事にする」 ( 誰かの傍を ) ( 離れがたいと思った。 ) 書いたんだ。お前に対する、俺の気持ちを。書いたんだ。ちゃんと、自分の言葉で。自分の気持ちで。 でもきっと、お前が知ることはない。 「手紙、読んだよ」 俺の気持ちを、お前が知ることはない。 「あれ、何語だ?」 「ああ、あれか」 「読んだっていうか、見たって感じだな」 純粋な気持ちを。言葉を。 「サンスクリット」 俺はそれを 神様の字で塗り潰す。 |