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どうか同じ目に遭わないように







 子供の頃のことは実はあまりよく覚えていない。そのかわりに隣に居る彼がよく昔話を聞かせてくれた。彼は何でもかんでも記憶してしまう少し厄介で優れた脳を持つ人間だったので、1oのズレもなく語られる昔話は自分の脳内の僅かな記憶の断片をかちりかちりとパズルのように繋ぎ合わせて最終的には一枚の絵のように完成された思い出話になる。彼の話を辿る時、耳を傾け集中する時、彼の口が形よく微笑む時、幸せな気持ちになった。登場人物が俺と彼だけの、短編ストーリーを幾つも幾つも見ている気がして。それが堪らなく俺の探求心を擽っているような気がして。彼との時間が俺の全てだと、信じて疑わぬ自分が少し怖くてでもとても満たされていた。



 俺と彼との関係はまぁ所謂幼馴染みというやつで。どこへ行くにも何をするにも一緒に居ることが当たり前のようになっていたもんだから、互いに「こいつを差し置いて何かを楽しむことは出来ない」とか決め付けていたかもしれない。実際にはどちらかが欠けたとしても俺たちに変わりない。生きることに俺と彼がお互いを必要とすることなんて、性欲処理の時だけだろう。それも中途半端な愛しか持たない、親友の延長線のような感じのものだけ。虚しくなるだけだから止めようとしたけど、彼が「それでいい」と乾いた喉から絞りだすからそれ以上は言えなかった。無意味に交わされるキスの後味は本当に味がなかった。



 彼との奇妙な関係はそれからまだまだ続いていった。勉強部活に恋愛の相談もするくせに相変わらず尽きない性欲は健在でしかも時折哀しそうにぽつりぽつりと俺の隣で思い出話を語りだす。そうして一通り話し終えると綺麗に笑って俺を抱き締める。もう俺には彼のしたいことがよく分からなくなってしまっていた。ただそれでも何となく彼を傍に置いておきたかった。無味無臭のキスでも喉だけは乾いてしまうのだと、人体機能に思わず舌打ちをしたくなってしまう。


 幸せとは何か。今の状態に俺は違和感を感じているのに何故か満たされている、とも考えていた。彼のことが理解出来ないのに、それでも俺は彼のことが大事で切ないくらいに愛しいと、餓鬼心のくせに直感でそうだと決め付けていた。俺は執着心の薄い子供で、そんな俺がここまで手放したくないと心中躍起になるのだからきっとこれは彼が俺に半端な愛を求める行為と何ら変わりないものだと、知った風な顔で結論を出してしまった。彼は昔と何ら変わりない笑顔で俺を抱き締めていた。



 ある日唐突に、彼は俺に申し訳なさそうに話を切り出した。「もうこんなことやめよう」普段の彼に似つかわしくない、老いた虎のような目付きだった。こんなことって、お前から始めたんじゃないか。それでいいって言ったのはお前じゃないか。俺は彼を責め立てた。「だからもう、お前の負担になりたくない」そう言って服を正し始める彼のシャツを俺は必死に掴んでいた。彼の愛が、俺の負担になったことなど一度もないのに、彼は罪悪感を抱きながら幼馴染みと行為に耽っていたってことなのか。俺にはあの時の彼の気持ちなど理解出来なかった。彼の哀しそうな顔も、その後の微笑みも、俺に分かることなど何一つなかったのだ。俺はただ、彼との時間が好きなだけだった。サッカーする時も、ベッドで眠る時も、隣で話を聞く時も、傍らに居るのが彼だったから、それが心地よかったから、だから俺は、俺は。



 彼が丁寧に俺の手を解く。シャツには小さな皺が幾重にも刻まれている。彼を欲した跡がいくつもいくつも重なって、気持ちの分だけ出来た執着心の結末がこれ。いとおしそうに皺を伸ばして、しかしそれでも彼は止まらない。これで彼と俺は終わってしまうのかと思うと、意外と呆気ないものだと感じる。塩気のないパスタみたいな、彼とのキスのような。結局俺は彼の気持ちの一つも聞けないまま、彼の仮初めの親友を演じ続けなくてはならないのだろうか。


「……昔、」


 突然の彼の昔話。表情はこちらからは窺えない。俺の戸惑いなどお構い無しに彼は淡々と話し続ける。


「お前が、俺と結婚してくれるって言った時があった。正直、本気だったかは分からない。子供が何気なく言う純粋な本気かもしれないし冗談で吐いた嘘かもしれない」

「……ぁ」

「でも、嬉しかった。答えは口で出さなかったけど、本当に心底嬉しかった。お前と結婚出来たらとか、ずっと一緒に居れたらとか、そればっかり考えて、気付いたら現実を知ってて気付いたらお前に関係を求めてた」

「……」

「少しでよかった。この時間が、少しの間の夢でよかった。気が付けば忘れるような、そんな僅かな…ささやかなものでよかった、のに。お前はおかしいって言ってくれたのに、俺は、ずっとずっと、お前を苦しめてた。なんにも知らずに、お前を」

「やめろよ、やめろよ…」


 ああ俺たちってなんて馬鹿なんだろう。変なところでシンクロしてしまうんだろう。俺はお前の望む俺になりたかったのに、彼は俺の努力も怠惰も全部打ち壊してくれた。こんなの、酷すぎるじゃないか。なぁ。彼の愛は俺に届かなくて俺の気持ちは彼に届かないなんて。あの愛のないキスが、ひどく懐かしく感じた。あれは彼の愛情だったかもしれないと、ぽつり雨のように頭の中で降ってくる。


「もう一回だけ、」

「……」

「キス、してくれよ」

「むりだよ」


 シャツのボタンを閉め終わった彼が昔と変わらぬ綺麗な笑顔を俺に向けていた。この日生まれて初めて俺は彼を抱き締めた。






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