毎日が記念日だったんだって今更気付いたんだ 旅立ち。その言葉がしっくりくるような晴天。春先にしては風がなくてからりとした空気の中、俺は静かに神童を待っていた。既に卒業式は終わっている。 「…おっせぇの」 多分後輩の女子にでも呼び出されたんだろうな。だって卒業式だもの、憧れの先輩のボタンが欲しいって皆考えることだ。現に俺もさっき知らない女子にボタンをむしり取られたところだ。 神童のことだし。普通にボタン渡しちゃうんだろうな。だってあいつは人がいいから、人を悲しませるのが嫌いだから。 「詰まんねぇ」 学ランの胸に付けたままの花を散らす。卒業式なのに、特に泣いたりはしなかった。思い出深いはずの校舎も、お世話になったグラウンドも、俺の涙腺を刺激しなかった。後輩達は大袈裟にあれやこれや言ってきたが、俺にとってはいつもと変わらぬ、当たり前の一日という感じ。 こんなに冷めてた自覚はなかったけど薄情というわけではないだろう。下手に感情的よりいいじゃないか。 「あ、霧野」 申し訳なさそうに神童が戻ってくる。少しだけ息を切らして、挨拶代わりに上げられた左手が疲れを見せていた。察するに相当しつこかったらしい神童の相手。まあ、それも今日までと思えばいい思い出になるんじゃなかろうか。 俺は高校でもこいつと同じ時間を共有することになる。だから別れの言葉など無いし寂しいだとか嬉しいだとかの感情もない。今更こいつに「よろしく」と言う義理もない。 「ごめんな、待たせて」 「別に、卒業式なんだしいいんじゃないの?」 「俺はよくない」 「お前と接点のない後輩は、今日までしか会えないんだからさ」 俺と違って、とは言わないけれど。じぃっと見つめると神童は照れ臭そうに頬を染めた。「なら仕方ない、か」調子に乗って妥協する神童。現金な奴だよ本当。 「で?」 「…何が?」 「何の用だったの、後輩は」 「…好きでした、って」 「過去形かよ」 「俺は気にしないけど…」 「つまり、諦めましたってことだろ?」 「あと、ボタンくださいって言われた」 やっぱりな。勿論予想通りだよこんなこと。だって神童だもの。身に付けたものとか、欲しいもんな。女子の考えるこった。俺には全く以て理解出来ない範疇の一つだ。 よく見ると神童の学ランのボタンは全て無くなっていた。襟から裾、腕のボタンまでもが。一人だけじゃなかったってわけだな。まあ全部引剥がれなかっただけでもマシかな、こいつの場合。 「で、あげたんだ」 「頼まれたんだ、仕方ない」 「お人好しだよなぁ神童は」 「別に、お前程じゃない」 「俺は違うだろ、お前みたいにボタン渡したりしないし」 「ボタン無くなってる」 「知らない女子に取られたんだよ!」 へぇ、と疑り深い神童を睨み付けて、途方もないもやもやをしまい込む。別に神童が女子にボタンをあげようが、俺のボタンがむしられようが、そんなのどうだっていいことなのに。何に執着してるのか、俺自身が分からない。 「…はあ、帰ろうぜ神童」 「あ、待て霧野」 「今度はなんだ」 「手、出してくれ」 「はー?」 「いいから、早く」 言われるがままに神童の前に手を出す。何か渡したいモノでもあるのか。神童が、俺に。 ポケットから大事そうに取り出した何かを、神童は優しく俺の手に握らせた。独特の形、重さは軽くて神童の熱が伝わる。正しく学ランのボタンだった。 「……え」 「なんとか、死守した」 「え、何、神童の?」 「俺のじゃなきゃ誰のだ」 「…あり、がと?」 「霧野は俺に何かくれないのか?」 何でこいつはボタンを俺に寄越したわけ?記念?友情?告白?感謝?なに、どれ?わかんない。 しかも俺もお前に何かあげないとダメなの?おい我儘か。卒業だからって調子乗ってるだろお前。ふざけるなよ。 「神童、何でボタン…」 「俺の思い出」 「…は」 「入学してから今日までの一日一日を、お前にあげたい」 「…………」 「1000と95日間、俺と居てくれたお前に」 「……しんどう」 「卒業おめでとう、霧野」 涙が出たわけではない。でも、卒業式でも揺れなかった俺の気持ちが神童の言葉によって少し傾いたのは事実だ。神童の熱が籠もったボタンを、そっと握り締める。 「ありがとう」 むず痒そうに頬笑む神童に俺も精一杯微笑む。少し散らしてしまった胸の花を、チャコールグレーの目が捉えられるように目の前でもう一度散らしてやった。 卒業式は終わった。 青い春の学生さん様に提出 |