高校を卒業してからしばらく経った。雨宮はぼんやり窓の外を眺めている。馴れ親しんだ病室から一時的に離れている彼は、今は恋人の喜多が一人暮らしをしているアパートに住んでいた。初めは彼の物ばかりだった部屋に、雨宮の物が少しずつ増えていく。外は真っ暗な夜空の中で微かに浮かぶ雲と、絶え間なく吹き続ける風のせいでひどく寒々しい。木々の葉はひらひらと舞い落ち、どこか別の場所へ飛んでいった。しかし雨宮の心は晴れ晴れとしていた。
「あーめみやぁ〜」
「えっ…えぇ?」
雨宮が一人感傷的になっていた折、突然部屋のドアが開いたと思ったら何故か顔の赤い喜多が、珍しくヘラリと笑いながら部屋に入ってくる。
「ど、どうしたの喜多くん?なんか顔赤いよ?」
「あめみやぁ!」
「わぁ!?」
心配する雨宮に構わず、呂律の怪しい喜多は嬉しそうに笑いそのまま抱きついた。驚いた雨宮は、自分に抱きつく彼から酒の匂いがすることに気づく。
「喜多くん、もしかしてお酒飲んだ?」
「あー?んなこたねぇーよ」
質問にそう答えすりすりと首筋に顔を擦り寄せて、うわ言のようにずっと「あめみやぁ〜」と呼ぶ喜多に、雨宮は小さくため息にも似た息を吐いた。
「珍しいね、喜多くんがそんなに酔うなんて」
抱きつく彼の頭を撫でながら、雨宮は何とはなしに話す。確かに珍しいことだった。大学生になったとはいえ、喜多は酒を飲むときはいつも量やアルコール度数に注意を払って飲んでいたから、べろんべろんに酔うということはなかった。なのに、今日はこんなになるまで飲んだのだ。なにかあったのだろうか。
「喜多くん、なにかあったの?」
「なぁんもねぇよ〜」
「何もなくないでしょ」
「ははっ」
カラカラと楽しそうに笑う喜多の表情は、初めて会った時のように少し幼い、あどけない笑顔だった。
(懐かしいなぁ、こんなに笑う喜多くん)
ふと昔を振り返った瞬間、とろんと熱に浮かされた瞳が雨宮を捉えた。サファイアに輝く熱情の光に見据えられ、ドキリと心臓が跳ねる。
「た、いよう」
以前より低くなった声で名を呟き、雨宮をじっと見つめながら少しずつ距離を詰めてくる。ゆっくりと迫る喜多に、雨宮は逃げることも許されずただ視線を泳がすことしか出来なかった。
「太…陽」
「き、喜多くん」
迫ってくる端麗な顔に、彼が何をしたいのかを理解してしまった雨宮は、ほんのり頬を色づかせて目を閉じる。
と、
「ん」
ちゅっ、という小さな可愛らしいリップ音と共に、喜多の口づけは雨宮の閉じられた瞼に落とされた。
「…えっ?」
予想外のことに雨宮が声を洩らすと、喜多は満足そうに笑みを浮かべた。
「太陽は、俺のたいようだ」
眩しそうに目を細めて自分を見つめる喜多に、雨宮はじわりじわりと顔に熱が集まっていくのがわかった。いつもと雰囲気の違う喜多に振り回されている。
(ねえ、どうしてそんなに)
「太陽、」
(どうしてそんな、優しい顔をしているの)
火照った顔を冷まそうと視線を喜多から外した瞬間、彼の体がグラリと雨宮の方に倒れてきた。
「っ!」
床に落ちるギリギリで彼の肩を支え、とりあえず自分の膝へ彼の頭を乗せる。膝枕のまま喜多の顔を覗き込むと、彼は小さな寝息をたてていた。
「…もう…」
クスッとやんわり微笑んだ雨宮は、喜多の髪を優しく撫でる。ふわふわとした手触りが気持ちいい。撫でながら、ふと先ほどのキスを思い出す。瞼に落とされた優しいキス。そぅっと目を閉じて、想う。
優しいキス。微笑んだ彼の表情。見つめる視線の温かさ。
なんて愛しいんだろう。
(きっと、幸せなことなんだろうな)
撫でる手を止め、まっすぐに喜多を見つめる。気持ちよさそうに眠る彼の額に軽いキスを送った。
「大好きだよ、喜多くん」
静かな部屋に、穏やかな時間が流れ始める。それが終わりを迎えるのは、膝の上で彼が目を覚ました時。
キスの贈り物
(そのキスは、憧憬の証)
−−−−−−−−−−
喜雨好きだ