「どうしたの?」
雨宮の見舞いに行ったら、会って早々に言われた。アイツはベッドに上半身を起こした体勢のまま、隣の椅子に座った俺を見る。
「何がだ」
「雰囲気がいつもと違うから。何かあったのかなって」
ベッドの上でまっすぐ視線を投げかけてくる雨宮に、内心冷や汗をかく。何もなかった、と言えば確かに嘘になる。だがこれは俺の問題であり人に話すほどのことでもない。
「別に、なんでもない」
そう言った瞬間、息が喉に詰まった。一瞬の辛さと、後を引く息苦しさ。今も尚まっすぐに俺を見つめる雨宮の視線から逃げるように顔を背ける。
「…なんでも、ない」
自分に言い聞かせるようにもう一度、ゆっくり言った。雨宮は何も言わない。お互いが沈黙し、おかしな雰囲気が流れる。静かな空気が耐えられず土産の袋に手を伸ばした。
「剣城」
雨宮の日に焼けていない白い手が、そっと俺の手に重ねた。アイツの手は温かい。
「剣城、苦しいの?」
「…」
「剣城」
温かい手が、緊張で冷えきった俺の手を二度三度とゆっくり撫でた。優しい手つきだった。
雨宮は俺の瞳をひたすら見つめる。蒼い色の静かな瞳が、責めるでも追求するでもなくそこにあった。
「…雨宮、俺は」
話そうと唇を開いた。でもいざ話そうとしたら何かが喉に詰まって声が出ない。ただ口をパクパクさせるしか出来ない俺を、雨宮は黙って見つめていた。
「あ、雨…みや。お、れは」
「…」
何も言わずに見つめていた雨宮は、そっと俺の手を握ると反対の手で俺の頭を撫でた。優しく、少しだけ控えめに撫でるアイツの手を感じる。
「ごめんね、無理させるつもりはなかったんだ」
「…」
「…本当にごめん。今のは辛いなら吐き出した方がいいかと思って」
「吐き、出す…?」
雨宮の言葉には、到底理解が及ばなかった。吐き出すなんて方法は考えていない。俺なんかの戯れ言を吐き出しても、周りを不快にしかしないし、兄さんにも心配かけたくない。そもそもそういう方法を俺は知らないから。
「吐き出すなんて、出来ねぇ」
絞り出した声は、情けなくも震えていた。それでも雨宮は笑いもせずに俺を見つめる。
「怖いの?」
冷静な、静かな声が部屋に響いた。撫でる手はまだ温かい。
「…剣城、」
雨宮が一瞬手を離した。温かい手が離れひんやりとした寒さが訪れて、またすぐにバサリと頭にシーツが被せられる。俺に被せられたシーツの中に雨宮も入ってきた。先ほどよりもグッと顔を近づけて、アイツは小さく微笑んだ。
「これなら、僕と剣城だけだ」
そう言って、アイツはもう一度俺の手を握り直した。今度は両手でしっかりと。
「別に僕にだけ話してとは言わない。話したくないなら話さないでいい」
雨宮はシーツの中で握った俺の手をアイツの胸元まで持っていった。祈るような姿勢だ。
「だから、せめて今は忘れて。辛いこと、悲しいこと、苦しいこと。今はそれから逃げて。ここは剣城の逃げ場所だから」
シーツの中は、俺と雨宮の世界だった。小さな狭い世界。
唯一の俺の逃げ場所
「…」
俺の目から、冷たい涙が流れていた。ボタボタと落ちる雨は床を濡らしていく。雨宮は何も言わず、何もせず、ただそこにいた。一緒にいた。アイツの蒼い瞳に写った俺は、どれほど間抜けだろう。
それでも、胸の内を占めていた不安とか不満とか恐れとか、そういうぐちゃぐちゃしたものが少しずつ溶けていくのを感じた。
「雨宮、」
「うん」
すがるように名を呼んだ俺に、雨宮は短い返事で答える。
「…そばに、いてくれ」
「…僕はずっと、剣城の隣にいるよ」
柔らかく微笑んだ雨宮がどうしようもなく好きで好きで止まらなくて、涙がさらに流れ落ちた。
君の逃げ場所はここにある
−−−−−−−−−−
見ているかわからないけど、大切で大好きなあむちゃんへ