百年の恋って言うけれど


僕の病室に遊びに来ていた彼女が、何を思ったのか突然

「百年の恋ってよく言うけど、その言葉、私嫌いだな」

ポツリと呟いた。

「…いきなりどうしたの?」

読んでいたサッカー雑誌を閉じて名無しに視線を移すと、彼女は膝の上に置いた自身の手をぼんやり見つめている。

「……何かあった?」

「何もないよ。ただそう思っただけ」

淡々と答えた。僕を見ないまま、窓の外に目を向けて彼女は小さな声で言葉を紡ぎ始める。

「だって、人の命がそう百年まで続くとは思わないし、だいたい百年の感覚も個人で変わるじゃん。ぴったり百年か、それより早いか」

外を見つめる名無しの瞳には、不安定な光が浮かんでいた。

「でも、そういうのって要は気持ちの問題でしょ?それくらいの想いってことじゃない?」

僕が声を挟むと、彼女はゆっくり頭を振る。

「わかってる。でも、百年の恋って言葉で自分の想いと相手を縛り付けてるみたいで、嫌い」

だって、どっちかは必ず先に死ぬもの

呟くように言われた最後の言葉に、彼女の思っていることがわかった。

「名無しは心配性だね」

笑いながら抱きしめると、名無しはゆっくりと僕に頬を擦り寄せてきた。小さな子みたいな仕草に微笑む。

「僕は名無しを置いて死なないよ」

慰めるような、宣言のようなことを言うと、腕の中の彼女の体が少し反応する。

「当たり前でしょ」

即答が返ってきた。驚いて名無しの顔を見ると、彼女も彼女で僕を不思議そうに見つめている。

「私、太陽が先に死ぬなんて考えたことないよ」

あっけらかんと告げる彼女に、肩の力がちょっと抜けた。

そうじゃなくて、と、彼女は俯く。

「私のが太陽より先に生まれたんだもん。私が先に死んじゃったら、残った太陽はどうなるの?」

まっすぐに僕を見る名無しの大きな瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

(…あー…)

正直、この場合の問題を考えたことはなかった。いつも自分が先に寿命が尽きるとしか考えたことなかったから。だから、本当のことを言うと、

「嬉しい、」

言葉が、洩れた。

「えっ…」

名無しがきょとんと目を丸くする。可愛らしい、と、場違いにも思ってしまった。

「僕を腫れ物みたいに扱わないで、それで心配もしてくれて、嬉しいんだ」

自然と笑顔が浮かんで、名無しの頭を一度撫でる。

「ねぇ、名無し。もし仮に名無しが先に死んじゃったら、名無しは先に待っててね」

「待っ、て…るって?」

「次の人生で僕を待ってて」

目を見開いた彼女の、細く柔らかい体を抱きしめた。洗剤の匂いに混じって、花の香りが僕の鼻腔をくすぐる。この香りは、名無し自身の匂い。

「絶対に名無しをみつけるから、だから、」

「…うん」

背中に、温かな温度が伝わる。名無しの手が僕の背中を撫でた。

「私も、太陽をみつける」

彼女は今きっと笑っているだろう。声が、優しいから。

「太陽をみつけて、またこうやって抱きしめるよ」

「…心強いな、名無しは」

「待ってるだけは嫌だもん」

楽しげに微笑んでいるだろう彼女の様子に、小さく息をついた。どうやら彼女を悩ませていた不安は過ぎたよう。
嬉しくて、名無しの頬に掠める程度のキスを贈る。

「…!」

一度きょとんとした彼女は、次の瞬間顔を桜色にした。耳まで染まって可愛いなぁ、なんて思っていたら

「バカ太陽!」

渾身の力を込めて頭を叩かれた。だいぶ痛い。そして追加攻撃が降ってくる。

「ちょっ…!痛い痛い!ごめんって!」

「うるさい!いきなりなんて反則だバカ!」

「い、いきなりじゃなきゃいいの?」

「なっ…!」

あ、名無しの顔がまた赤くなった。握りしめた拳が震えていて、なんと言うか…やばい。

「ごめんなさい冗談です」

「…」

黙りこくった彼女が怖い。頭を下げてきちんと謝ったが、なんの反応もないと、次にどうしたらいいか分からない。

「…太陽」

彼女が呼ぶ。恐る恐る顔を上げると、名無しの整った顔がすぐ近くにあって

(えっ、)

そう思うと同時に、柔らかい感触が唇に触れた。

「…お返し」

顔を火照らせたまま得意顔でこっちを見る名無しに、僕は情けなくも同じように顔を火照らせることになった。

「太陽、顔真っ赤」

クスクスと笑う彼女に、あぁ好きだなぁ…とぼんやり思う。

「ね、きっと僕たちの想いは百年の恋より価値があるよ」

熱が引かないままそれでも笑って告げれば、彼女は一度気恥ずかしそうに視線を逸らし、それからチラリと僕を見ると

「…当たり前でしょ」

くしゃりと微笑んだ。



百年の恋って言うけれど
(百年なんかじゃ、たりないよ)


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