text | ナノ



三期櫂くん


 酷く濁った海にどぷりと揺蕩っている感覚。動くこともなく、ただただ暗い空を仰ぐばかりでいる。沼のような其処は、浸すように転がった身体をゆっくりじっくり時間をかけて溶かすように、徐々に俺を取り込んでいく。藻掻くことは疾うの昔に諦めてしまった。今更手を伸ばしたところで、誰が俺の手など取るものか。

 あの場所に居続けることは、こんなに難しいことだっただろうか。道を違える程に。本当はもっと簡単な筈だったんだ。
 沈む直前に聞こえた咆哮や泣きそうな声が、心を刺した。


 いつの間にか見えるものも手に在るものも変わっていた。欲しいものを掴んで満足している筈なのに、どこか満たされないまま水面を漂う様は、さながら水葬された亡骸のようで。俺の心は死んでしまったように揺れないのだから、それはそれで間違いないのかもしれない。
 纏わりついた黒と赤は決して心地好いものではなかったが、それに身を投じていれば一切を捨てられた。仲間と呼ばれた者も、俺の本心も、何もかも。すくいあげてもらいたくて伸ばしていた手は、いつしか他人を拒絶していた。それでもいいと思った。どうせ届かないのなら、いっそ。
 背後から俺を見下ろす道化の、にやりと嘲笑ったような口角に、薄ら寒さを感じて身を抱いた。


 委ねた矢先に手を差し出された。必死に波間を掻き分けて俺へと向けられた言葉と手を、自ら全て叩きつけて。もう構わないなどと言った自分は、きっと泣いていた。お前まで此方に来る必要はないのだ、と。それでも、俺は。


 再誕……一度死んだ者が、姿を変えて再びこの世に生まれること。


 嘗ての相棒であり自分を従えてしまえば、今まで感じていた違和感と劣等感は全て安堵へとシフトした。この力を手にするために、そしてそれをぶつけるに相応しい者達のために。もう俺は、戻れないところまで潜ってしまった。深く深く、伸ばした手すら真っ黒な海に隠されるような、底にまで。
 後悔はない。しかし、それでも俺の足跡を振り返れば、それは許されるものではなくて。いきの苦しいこの場所で、俺は全てとのさいごを。


 再生…衰え、または死にかかっていたものが生き返ること。心を改めて正しい生活に入ること。


 ごぽりと肺に入った水が苦しい。だが不思議と嫌な苦しさではない。ずっと沈めるように俺を伸しかかっていた波が、優しく俺を抱き締めていた。覚束なく見ている方が心配になるぐらいのそれが、やがてしっかりと右手を俺に伸ばす。


 逃げていたのは、誰だ。


 空を割って柔らかく洩れ出す、淡いひかり。
 自らが諦めて待つばかりだったその手を取って、漸く、俺はひとに成れた気がした。



***
堕ちるまでと最後の一文が書きたかった。自己満足。
引用/大辞泉


それを願っていたのは、本当はずっと僕だった/絶対
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