text | ナノ




 春休みも終わりかけの頃のことである。新学期に備えてか前半に比べて客足の減ったキャピタルの自動ドアが珍しく、しかも早い時間に開いた。本も開きかけにうとうとと船を漕いでいたミサキははっと意識を浮上させ、何事もなかったように繕いながらいらっしゃい、と声をかけた。だが相手が見知った仲である櫂だとわかった瞬間、浮かべていた営業スマイルはいつもの仏頂面に戻った。

「客が来たというのにその態度とはな」
「身内に愛想振り撒いてどうすんのさ」

 暴論だな、と櫂は心中毒づきながら適当にパックを選んでレジに突き出す。一瞬迷惑そうに眉を顰めたミサキが見えたのは気のせいではないだろう。慣れた手つきでさっさと会計を済ませたミサキは、また突き返すようにパックを櫂に渡し、途中の読書に戻り始めた。その様子をぼんやりと眺めていた櫂は、ふと彼女の今まで胸元ぐらいにまで伸びていた髪が、顎下辺りで緩く毛先を丸めているのが目に入った。

「髪を切ったのか」
「まぁね、心機一転しようと思って」

 漸く気付いたのかというように、呆れを含んだ声音で返すミサキ。櫂がどれだけ相手を伺わずに事を済ませているのかを再確認する羽目になり、更には普段もそうなのかと邪推してしまう。尤も、櫂の場合は視線を交わしての会話に比重を置かないだけなので、ミサキが考えるほど辺りを見ないわけではない。ただここだけの話、彼女限定で敢えて理由をつけるならば、櫂も立派に思春期真っ盛りというわけである。

「誰かに振られでもしたのか」
「ばっ、違うよ! あたしはねぇ……、っ」

 的外れどころか有り得もしない櫂の言葉に流石のミサキも苛立った声を上げたが、言いかけた台詞の似合わなさと生まれた羞恥心にうっと続きを呑み込んだ。感情的になって要らないことまで出てきそうだと、椅子に戻りながら平然を装い直す。櫂といえば、買い物が済んだのにも関わらずテーブルに着くなり帰るなりもせず、一向に身動ぎをない。座ったミサキをじいっと見下ろすだけの物言わぬ彼に頭を抱え、文句のひとつでもと仕方なく開口しようと。――そんな彼女より先に声を出したのは、櫂の方だった。

「また髪を切らせないようにしないとだな」

 ……何を、言っているんだろうか。まさか先ほどのやり取りを覚えていないわけではあるまい。開いた口が文句ではなく再度の否定を紡ぐために再開される。

「だから、違……」
「好きだ」

 突然の返しにそのまま言葉もろとも空気に踊ることになるなんて考えもしなかったミサキは、瞬間に動きを止めた。わなわな、ぱくぱく。何の為に声をかけようとしたのかさえ忘れる勢いでかぁっ、と顔に集まる血の気に合わせるように、頬が赤みを増してゆく。一方その原因を作った男は、今しがたの発言など微塵も気にした風のない、いつも通りの顔でミサキを見ていた。此処に彼の自称親友が居れば、僅かながらだが彼が動揺していることと若干耳が赤いことに気付いたのだろうが、今は関係のない話だ。

「返事をすぐにとは言わん。考えてくれて構わない」
「……あんたね、タイミングとか、雰囲気とか、そういうの考えなよ」
「面倒だ」

 そう気遣いを残して店を出ていった櫂を引き止めるような真似はしなかった。誰も居なくなった店内でついさっきの出来事を思い出して頭が沸騰しかける。次に美容院に行くのは、果たしていつになるだろうか。



***
精一杯の甘い櫂ミサ(当社比)
櫂くんの突拍子なさ過ぎる発言にミサキさんがわってなってたら可愛い。



君はちっとも優しくなんかないね/青春
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