text | ナノ




「…………」

「…………」

「…………」


何だこの沈黙。ゴードンは心中でそう呟いた。
自分の隣にはいつもと変わらず無愛想な表情で立ったままのガンスロッド。そう、それはいい。例えば昼寝をしていようが鍛錬をしていようが、同じロイヤルパラディンの騎士である彼が自分と一緒に居ることに関しては何の問題も無い。

問題があるのは、眼前の「彼女」だった。


「……ガンスちゃん、この子に見覚えある?」

「あったら此処で沈黙などしているわけがないだろう」

「だよねぇ…」


二人の騎士の前にちょこんと立つのは、彼等よりも二、三回り小さな金髪の少女。右目に武骨な眼帯、骸骨をあしらったヘッドドレスにモノトーンと赤をメインに置いた装飾過多基い豪奢な服を纏った、一般的に美少女と称していいほどの見目。ただ美しいと称するには何処か退廃的な、儚いとはまた違う暗さと妖艶さを持った印象を受ける彼女は、(恐らく)見知らぬ土地で見知らぬ騎士に出くわしているというのに、慌てるどころか騒ぎも泣きもしない。
虚ろな赤碧玉色の瞳はじいっと品定めを思わせるような意味合いを孕んでいるかの如く、長髪の真理の騎士と淡泊そうな孤高の騎士を見つめる。


「……」


徐にガンスロッドの空色と彼女の赤碧玉色がかち合った。無言同士故の圧力。この場で一人その重い空気に耐えられないゴードンは、げっそりした様子で二人から目を逸らした。


「…………」

「…………」

「…………キ、」

「(…キ?)」

「ッ、キャアアアアアアアアアアアアアッ!!」


ぽつんと漏らした彼女の言葉を訊き返そうとした瞬間、耳を劈く甲高い声が一斉に辺りに周波を描くように広がった。そのハイトーンボイスを真正面から受けたガンスロッドは片手を耳に当てて塞ぐが一足行動が遅かった。ふらりと足元が覚束無くなる感覚と後ろからゴードンが駆け寄ってくる足音を遠くに聞きながら、ガンスロッドの意識は落ちた。



薄く光を受け入れた瞳が映したのは、先程の金髪の少女が眉を寄せて目尻に涙を溜めている姿だった。
まだぐわぐわと揺れる頭と身体を無理矢理起こして彼女を見やる。いつの間にか木陰に背を預けていたらしく、木々の隙間から漏れる陽光が眩しく感じ目を閉じかける。ふと未だに自分を見つめる隻眼の少女を見やる。あどけない大きな瞳をこれでもかといわんばかりに歪める少女に、これが先に自分を失神するほどの声量を出した娘なのかと疑う。まだ状況の飲み込めきれていない思考では何も考えられず、ぼんやりと先ほど起こった事実と今ある状況を受け入れるしかできなかった。


「…………あ、」


高いソプラノがぽつりと聞こえて咄嗟に耳を塞ごうとするが、彼女はそれ以上の音量の声は出さず叫ぶことは無かった。代わりに目尻に浮かべていた涙をぱたぱたと頬に零し、右手をガンスロッドの兜で隠れた耳辺りにそっと触れさせる。


「……あ、の………ごめ、…な、さぃ……」


語尾が弱々しく消えてまだ耳鳴りのする耳ではよく聞き取れなかったが、それでも今の彼女と聞こえる限りの言葉では謝罪をしているように聞こえた。緩く己を撫でる細い指が治癒をしているように感じる。心なしか気も落ち着き、音もクリアに聞こえるようになってきた。手甲を嵌めた大きな手で彼女の滴を拭うとひくりと華奢な身体が揺れる。装備越しの手にするりと解ける金糸が、今を幻想にしているような感覚。


「お、やっと目ぇ覚めたか」


唐突に振ってきた声に、ガンスロッドも少女も音源を見る。水を汲んだ桶と三人分のカップ、袋詰めにされた何かを持ったゴードンが笑みを浮かべて此方へ歩いて来ていた。どさっと置かれた桶から跳ねる水飛沫が頬を掠めて冷たい。物音に、少女が身体を震わせた。


「ほれ」

「すまない」

「まだぐわんぐわんすっか?」

「……大分、落ち着いてきた方だとは思うが、」

「そっか。無理すんじゃねえぞ」


にっと人懐っこい笑みを浮かべてゴードンは、続けて隣で彼に頬を撫でられている少女に視線を移す。若干、警戒を孕んだ目で。その眼差しの意味を悟ったのか、先よりもびくっと肩を大きく揺らしてガンスロッドの腕に縋るように腕を巻く少女。


「……大丈夫だ、見目は騎士だが中身はハイドック以下の男だ。其処まで警戒しなくとも噛み付いては来ないだろう」

「ちょ、それって褒められてるの貶されてるの?」

「それもわからないらしいからな、怯えなくてもお前を如何こうはできまい」

「ねえ聞いてる!?」


不安げに自分を見つめる少女の頭を撫でながら、ガンスロッド。其処にゴードンを貶す意図が含まれているのは確かである。一人ぎゃいぎゃい騒ぐ長髪を無視して、すっかり自分に懐いてしまったようである金髪の少女に問う。


「…名前と、何処のクランの所属なんだ?」

「…………グラン、ブルー…バンシー……」

「…随分とまあ遠くから来たもんだなぁ」

「此処からグランブルーの領地まで二日は歩くぞ。どうやって此処まで来た」

「……はぐ、れた…」


彼女――バンシー曰く、「此方の領地の近くまで航海をしていた所、誤って振り落とされた」らしく。
随分と目立つ格好をしている彼女が落ちたのに気付かない周りも周りだと思いつつも、境遇は十分同情に値する。その話に少なからず先まで湧いていた警戒が薄れるゴードン。それでもべったりとガンスロッドにくっつく彼女にいい気はしない。それを甘やかすガンスロッドも気に食わない。


「…ガンスったら珍しく優しいのな」

「別に他意があるわけではない。幼子一人をこの場に放っておくのが私の騎士道に反するだけだ」

「なら俺は、そういった迷子を甘やかさないのが騎士道だなー」

「……………」

「…何で俺を「非常な奴だなー」って目で見るんだよ」

「……いつものお前と違って、随分と這入り込んでくるからな」


吊り目の空色を真っ直ぐゴードンに向けるガンスロッド。自分を探るような視線に冷や汗が背を伝う。まるで心臓に剣を突き立てられ命のやり取りをされているようだった。その手の情を込めたものではない眼差しだというのにばくばくと五月蠅い心音はきっと、戦場でのひんやりとした空気を持ち出されているからだと言い聞かせる。
と、不意にガンスロッドは腕を引かれた。彼が見下ろせば、バンシーがきょとんとしたような泣き腫らした目で此方を見ている。


「………喧嘩は、だめ、よ?」


訥、と呟かれた言葉にもう一度長髪と孤高は視線を合わせる。数秒の沈黙の後、はぁと重苦しい溜め息を吐いて折れたのはゴードンだった。


「あーったく、こんな餓鬼に諭されんのも何か癪っつうかよ…」

「…すまないな、見苦しい所を見せた」

「……いいえ。ワタシのところも、イクシード、よく、中で喧嘩、するの……」


どうやら同じグランブルーの仲間のことらしい。それにしても中とは何だろうか。気にはなったが、突っ込んではいけない気がしたのでスルーしておく。
すると今の今まで罰の悪そうな顔をして一歩輪の外に居たゴードンが、水と一緒に持ってきた袋を手にガンスロッドとバンシーの前に座る。べりべりと紙袋を破った中から出てきたのはクッキー。まだ焼き立てらしく、ふわんと甘い砂糖とバターの香りが食欲を擽る。


「食え」

「…、でも……」

「だぁーっ!もう食えっつったら食えっての!遠慮すんな餓鬼のくせに!」

「何だお前、今日はやけに口が悪いな」

「ガンスちゃん五月蠅い!お母さんか!」


自棄酒よろしく乱暴に掬った水を飲み干しながら言い合う二人を交互に見て、くすりと口元が緩むバンシー。そんな二人の間にある形のいいクッキーを一枚手に取り齧る。匂いだけでなく味も美味しかった。いつも食べている食事とはまた違う、上品な味。ぱりん、と一欠片齧る度に広がる甘美な味わいに思わず目元が緩む。あれよあれよという間に、クッキーが袋から胃へと消えていく。


「…そう、笑うのだな」

「…?」

「理由無く沈んだ顔をするのは良いことではない。子供はそうやって笑っていればいい」


未だもそもそとクッキーを咀嚼するバンシーの金糸のような髪を掬いながら頭を撫でるガンスロッド。普段そういった子供扱いをされることの少ない彼女にとって、木陰の下で美味しい菓子を食べている今の状況は絵本で読むような夢物語でしかないものだった。ゆっくりと髪を梳く眼前の騎士の手のぬくもりとそよぐ風に揺れる木々の音に、まどろむ。






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