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自己解釈と設定あり


 マリオスの朝は早い。元々自主訓練のために早起きすることは常だったが、今はそれよりもほんの数十分早く目覚めるようにしている。訓練といっても候補生の肩書きのマリオスができること、行ける範囲は厳しく定められており、それを遵守しなければならない。昔は生ぬるい訓練に飽きてよくその領域を抜け出し、一人で淡々とハードなメニューをこなしていたことを思い出す。今となってはそれが自分の転機であったのだと、幼いながらにマリオスは感慨深く思う。水面にたゆたったまま、足のつけ所の見つからなかった自分に声をかけてくれた彼が居なければ、きっとマリオスの人生と能力は変わらず、燻ったままだったかもしれないのだから。

 少しだぼつく制服を着込んで、ささっと髪を手櫛で整えたマリオスは自室を後にした。小さいながらも宛てがわれた一部屋。普通の候補生のままだったら、こんな待遇を受けることもなかっただろう。

「あ、マリオスくん。おはようございます」
「おはよう……ございます」

 艦内の通路ですれ違った、柔和な笑みを浮かべて会釈したコーラリアに、ぎこちない敬語と共に頭を下げる。今まで自分を疎むか叱るかばかりだった上官や兵を相手にしていたせいか、彼女のように隔てなく笑顔で接してくる蒼嵐隊の面々には、まだどうにも慣れない。それをわかっているように、コーラリアは何も言わず、挨拶を返されたことにゆったりと微笑み通り過ぎていった。
 その後もスピロスやヘルメス、ザハリアスたちと鉢合わせたが、みな一様に「おはよう」の挨拶を交わすのみで、特にその場に引き留められることも態度が不遜だと怒られることもない。ただその代わり、皆ぐしゃぐしゃと頭を撫で回していったりするものだから、整えた髪がすっかり膨らんでしまっていた。嫌なわけではないのでされるがままだが、やはり慣れない。でも、何だかんだといってこの距離間が嫌いでない自分が居るのは、きっと『蒼嵐』の名を賜っているからなのだろう。





 朝の訓練に向かう前、『蒼嵐艦隊』に配属されてからのマリオスには日課がある。最早名物のようなラスカル・スイーパーとテータの口喧嘩を迂回して回避しつつ、独自のルートで専用艦の奥へと向かう。
 扉のない、特殊な澄んだ水を以って形作られている内部が丸見えの神殿のような間は、この艦の最深部といっても過言ではない。見る者を圧倒し、同時に無にする不思議な効力を持つ不定形な水の珠が、踊るように、或いは守るように幾つも浮かぶ。その中央にて鎮座する蒼と紫のティアードラゴンは、臆することなく入り口に立つマリオスを片目で認識すると、ふっと纏う空気を柔らかいものにした。

「マリオスよ、また来たのか。毎朝毎朝、ぬしも飽きぬな」
「メイルストローム様、おはようございます」
「うむ」

 きっちりと腰を折って挨拶するマリオスは、先までのぎこちなさを感じさせない清廉された――しかしゆったりとした服のせいでかわいらしい――完璧さを見せている。これがいち士官候補生であるならば全体の手本として大いに注目を浴びることになったのだろうが、生憎と彼がこうまでするのは同じ『蒼嵐艦隊』の中でも、とりわけ総大将であるメイルストロームのみにである。

「今日も鍛練か」
「はい」
「少しばかり時刻が早い気もするが……昔はあれ程に暴れ回っていたぬしには、定められた量では物足りぬのだろうな」
「…………いえ」
「そうか、そうか」

 どう返そうか悩み、僅かな不満をすぐに引っ込めたマリオスだったが、大将には丸分かりのようで、愉快そうな声音と共にくつくつと太い喉を震わせていた。

「その向上心を忘れてはならぬぞ。弛まぬそれはぬしの利点だ」
「いつか、貴方と並ぶためですから」
「ほう、まだ候補生というに、随分と大きく出るものだな」
「……すみません」
「よい、よい。若きうちは、年嵩の者への放言も花よ」

 豪語してみせるものの萎縮するマリオスに、それすら面白いと言わんばかりにメイルストロームは笑う。そこには戦線に立つ勇ましい大将のは姿はなく、精進する兵を愛でるただの上官があった。
 こうして啖呵を切ってみせる兵はどの代にも少なからず存在しており、それが本人の士気になるならばと、メイルストロームは敢えてその挑戦を受けてやる。彼の目にはかつてのような強者の驕りなどなく、純粋な期待だけが宿っている。いつかその期待通りに、いや、それ以上に輝く兵たちが率いる蒼嵐艦隊が在ることを信じて。

「しかし、我と肩を並べたいとはのぅ……ならばマリオスよ、日々を糧に成長するがよい」
「アクアロイドは成長なんてしませんよ?」
「ぬしにもいずれ理解るときが来る。そしてそのときまでにぬしが得た全てが、ぬしを形作り、そしてその有り様が次の世代に受け継がれてゆくのだ」

 そこまで言って、またメイルストロームは微笑む。海に身体を委ねたときのような妙な安心感にマリオスがほう、と感嘆を吐くと、メイルストロームの剛腕が持ち上げられ、扉を示した。もうそんな時間だろうか。此処に居る時間は、長いようで短い。しかしもう少し居たいなどと後ろ髪を引かれる気持ちにはならないのだから、マリオスは自分のことなのにわけがわからなくなる。

 促されるまま、失礼しますと頭を下げて去っていく、今は小さな、やがて多くを背負うことになるだろう背中を見つめ、蒼嵐の大将は呟く。

「ぬしが此処で生きたすべてに、無駄など有りはせぬ」



BRメイルSP来てくれ祈願
151105
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