滲む世界のむこう側

「泣きすぎじゃないですか…?」
「っ…るさいなぁ…っ、ううぁぁ、」

カラオケボックスの中、異性と二人きり。それだけ聞くとなんとなくあまい状況のように思えるかもしれないけれど、私はたぶんいま涙で顔がぐちゃぐちゃのはずで、だからとてもそうとは言い難い。
久しぶりに会った後輩の、態度とともにひとまわり大きくなった体に支えられるようにして、私はただ泣くことしか出来なかった。



昨日、付き合っていた先輩と別れた。
高校が違うためか、向こうに打ちこむべき部活があったためか会う回数は徐々に減り、気づけばはじめの頃の幸せな気持ちなどなくなってしまっていた。好きだけれど正直つらいし悲しいしで、このままじゃダメだと思った。
そこで先日思い切って先輩の学校を訪れてみればその傍らには知らない女の子がいて。もともとものすごくモテる人だからそこまではまだわかる、取り巻きのような女子達を私は何度も目にしている。…でも違ったのだ。まるで恋人同士であるかのように寄り添う二人の後ろ姿をちょうど目にしてしまい、それで私はこうして別れを選んだ。

あの、というどこか戸惑ったような声が、隣から聞こえた。

「先輩が、決めたんすよね?」
「う、うん、…っ、」
「なのにそんなに泣くなんて、もしかして先輩馬鹿なんですか。イタッ」
「ひっく、か、影山くんにだけは、い、言われたくない」

憎まれ口を叩き、私の一撃をうけながらもそばでじっとしていてくれる。優しい言葉なんてひとつもかけてきやしない、それなのにどうしようもなくあたたかい隣の体温が心地よい。この後輩がいなかったら、今頃私はどうなっていただろう?先程貸してもらった、もうすっかり濡れてしまっているタオルにまた顔を埋めた。

中学の頃からすごく私に懐いてくれていた影山くん。歳は私の一つ下。私が高校に入ってから、たまにメールのやり取りはしていたけれど、長いこと会っていなかった。それなのに昨日恋人に別れを告げた後、どうしようもない喪失感に包まれた私は、気づけば[別れた]という三文字のみのメールを影山くんに送ってしまっていた。しばらくして我に返って、ごめん気にしないでと加えてメールを送ろうとしたところちょうどそこで、明日放課後暇ですか、と返信が来た。どうやら影山くんはとっくに春休みに入っているらしい。久々に後輩の顔を見たい気持ちがあったし、正直いまは誰かのそばにいたかったから、その後の[ちょっと会えませんか]という影山くんの誘いを受けた。

ちょっとだけ頭を動かせば、滲む視界の中には、いつのまにか頼もしくなった影山くんの横顔が入り込んでくる。…もうすぐ高校生なのだ、この後輩は。そう思うとなんだか嬉しいような寂しいような。
そこで、私が泣いているからか、気まずそうにさりげなく右へ左へ視線を動かしている影山くんの様子に気づいて、私はすこしだけ笑った。


ーーここへ入る直前の、影山くんとの会話を思い出した。

なんでカラオケ?と尋ねた私に影山くんは、なんとなくです。とそっけなく答えずいずい進んでいってしまった。に、似合わない、と思いつつもついてゆき部屋に入れば、こちらを一切見ようとしない影山くんの口から、「ここなら泣いても大丈夫すよ」の一言。あまりにも真っ直ぐに耳に飛び込んできたその言葉、気がつけば零れ落ちていた涙に影山くんはびっくりしていたけれど、一番びっくりしたのは私だった。別れたそのときから、絶対絶対泣くものかと思っていた。それなのにどうして。…慌てたようにタオルを差し出してから、影山くんは向かい合うのではなく隣にすわった。理由をきけば、「泣き顔見る趣味ないです」との事。
器用なのか不器用なのかよくわからない言動に多少戸惑いはしたけれど、影山くんのおかげで思いきり泣くことが出来たから、いまほんのすこし気持ちが軽い。きりきりと締め付けるような痛みは依然として在るけれど。

「相沢先輩」

溢れていた涙が徐々に落ち着いてきたとき、影山くんが、迷うように私の名前を呼んだ。

「なに?」
「あの…俺、受験終わりました。で、卒業もしたし」
「ん?うん、そうだね」
「高校は烏野です」
「え?!」

ばっと隣を見て、私それ聞いてないよ?!と言えば真顔で、まあ言ってませんしね、と返された。冷静そのものの返事にぐっと言葉を詰まらせていると、影山くんはそのままの調子で続けた。

「それでその。…だ、だから、あの人のかわりとはいかないし、先輩のそばにいるくらいなら、なんですけど…
出来ますから」
「…………、」
「いやあの、いくらでも頼ってもらっていいっていうことです。そんだけです」

そのときの影山くんの顔は、見たことのない、男の子の顔をしていた。まばたきを数回繰り返す。いつのまにか私は影山くんを凝視してしまっていたようで、なにやら焦った様子で影山くんは立ち上がった。
あわてて私もそれに倣う。

「…ありがとう」

自然と零れたその言葉に、部屋の扉を開こうとしていた影山くんはびくっと肩を揺らしたあと、ちらりとこちらを振り向きちゃんと頷いてくれた。




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