immortelle
永久花
今日も、フェンス越しに騒ぐ少女が見つめる。
「哲〜!!頑張って!」
次の瞬間、腕を振ると同時に白球が空高く飛んでいった。ホームラン、ただの練習なのについ本気を出してしまった。
「ナイバッチ!」
だって遊夜に応援されて、手を抜く訳にはいかないだろう?
「お疲れ様〜やっぱり凄いね哲ってば」
「いや、遊夜の声援があったからだ」
練習が終わり、外は真っ暗。着替え終えて制服姿で更衣室から出てきた俺を笑顔で迎えた。彼女の遊夜は毎日練習を見に来て、俺が送っていくのが日課だった。
「あ、そうだまたお菓子作ってきたの」
思いついたように言って、遊夜は鞄を探り出した。そして出てきたのは小さいタッパー。
「今日は紅茶のシフォンケーキでっす」
「さすがだな、」
遊夜は練習終わりにいつも手作りのお菓子を差し入れてくれる。素人が作ったとは思えないほどその味は絶品で、バリエーションも豊富だ。
「毎日悪い」
「ううん、あたしお菓子作り好きだもん」
「楽しいのか?」
「むっちゃくちゃ!!」
パッと顔を明るくして、嬉しそうに話し出す。その姿を、その笑顔をとても愛しく感じた。パクッと一口食べてみたケーキは、店で買ったんじゃないかと錯覚するほどにおいしかった。
「あー哲、いいもん持ってんじゃん」
「分けろオラ!」
和やかな雰囲気にいきなり割って入ってきたのは、制服に着替えた亮介と純。遊夜に差し入れされると毎回お菓子を奪いにやってくる。
「嫌だ」
「あん!?」
「もーらい」
とられまいとケーキを背後に隠すと、いつのまにやら後ろに立っていた亮介にヒョイと奪われた。取り返す暇もなくケーキは亮介の口に消える。
「毎度ながら美味いね」
「ありがと、小湊君」
俺と純を差し置いて、亮介と遊夜は話し出した。ケーキをとられた上に遊夜までとられた。む、何故だろう。心臓のあたりが痛いぞ。
「胸焼けか?」
「な訳ねーだろボケ」
一緒に放置された純に頭を小突かれた。少しだけ痛かった。
「遊夜はパティシエになるの?」
「うん、留学、したい」
「そっか、頑張ってね」
「オラオラ、哲の相手もしてやれやコラ!」
純が2人の間に割り込むと、遊夜はハッとしたように俺を見た。
「ご、ごめん哲!」
「別にかまわないが」
「怒んないで〜」
「…帰るぞ」
少し不機嫌な声で言い残し、先に歩き出す。遊夜は亮介と純に挨拶をしてから、急いで俺の元へ走ってきた。
「哲?ごめんね…」
あまりにも遊夜がしょぼんとしているから、自然と頬が緩んだ。ヒョコヒョコとついてくる姿が愛しかった。
「俺こそ、すまない」
振り向いて微笑み、遊夜の手を握る。すると遊夜も笑った。
「哲だーいすきっ」
あぁ、幸せだ。ずっと一緒にいたい、こんな時間が終わらなければいい。遊夜が隣にいてくれれば何だって出来る。
「遊夜」
「ん?」
「ずっと傍にいてくれ」
柄でもない事を言うのは恥ずかしい。赤くなった顔を隠して、繋いだ手を強く握りしめて呟く。
「…もちろんだよ」
遊夜はにっこりと笑った、ように見えた。けど引っかかった。その笑顔はどこか寂し気で、無理をしているように俺には見えてしまった。
「…どうかし」
「ねぇ哲!!」
「な、なんだ」
俺の言葉は遮られ、遊夜は空を見上げながら大きい声で問いかける。
「あたしのお菓子ってさ、おいしい?」
泣きそうな、遊夜の顔。無理矢理口角を上げているのがバレバレだ。
「…あぁ、美味いぞ」
もの凄くな、と付け足すと、遊夜は満足そうにニッと笑った。
「そっか!」
気付いたら遊夜の家の前。話していると帰り道はあっと言う間だ。
「おやすみ、遊夜」
「…哲」
いつも通りの挨拶をして帰ろうとしたら、遊夜に手招きされ、疑問を抱きながら駆け寄る。
「…好きだよ」
ちゅ、というリップ音が街に響く。遊夜からキスするなんて珍しい、そのときはそうとしか思わなかった。
「俺もだ」
この幸せが続くと信じていたから。
「…じゃあね」
「あぁ、また明日」
遊夜は玄関の扉をあけて、振り向いた。
「さよなら」
次の日、当たり前のように朝練を終えて教室へ行くと、遊夜の姿が見当たらなかった。遅刻か?寝坊か?珍しい。キョロキョロと辺りを見回していると担任が来た。
いつもと同じ光景。違うのは君がいないだけ。いつもと同じような口調で、担任は言った。
「椎名遊夜は、学校を辞めた」
いつもは聞き流している長い話。なのに今日の話のその部分だけがやたら大きく聞こえた。
ガターン、と思い切り立ち上がる。椅子が後ろに倒れた。教室中の視線が自分に集まる。けどそんな事はもうどうでもよかった。
「な…何でですか」
「…長期留学だ、帰ってくるのがいつかは自分でも分からないらしい」
留学?じゃあ遊夜はもう日本にはいないのか?もう俺の隣にはいてくれないのか?昨日はあんなに近くにいたのにか?何で俺に何も言ってくれなかったんだ?
俺は一生遊夜しか愛せないと思ったのに。
「…遊夜!!!」
教室を飛び出す。どこに行くかは分からない、ただじっとしていられない。遊夜に会いたい、遊夜、遊夜。今すぐ顔が見たい。辛い、辛い、辛い。
「…っくそ」
だからか?遊夜。俺が悲しむから言わなかったのか?遊夜の前で泣くかもしれないからか?
行く決心が鈍ると思ったのか?俺の悲しむ姿を見たくなかったのか?
今なら全て分かる。寂しそうな笑顔の理由も、珍しい行動の意味も。
遊夜、ずるいじゃないか。自分だけ最後の挨拶を俺にして逃げるなんて。いや、最後じゃない、最後になんてしない。
「遊夜、『さよなら』なんかじゃない」
遊夜、遊夜、遊夜。いつまた会えるかわからないけど。
「またな」
いつかどこかで再び巡り会おう。その時まで俺はきっと、ずっとお前を愛しているから。
immortelle
永久花
(すみません、プロ野球選手のかたですよね?)
(え?はい、俺ですが)
(…哲、覚えてる?)
(…っ遊夜!!)
顔は大人びても、この気持ちは変わらない。
確かに恋だった