空っぽでした
「遊夜ちゃーん!」
うわ。また来た。
「…成宮先輩」
「だーから鳴って呼んでって言ってんじゃん」
「むりです」
何でーとか言って頬を膨らますのは、我が校の野球部二年生エース成宮鳴だ。あたしは一年でマネージャーをやっているが、成宮先輩はことごとくあたしに絡んでくる。
鳴だなんて呼んだら、ファンのみんなに殺されちゃいますからね。なんて言ってあげない。
「一也のことは下の名前で呼ぶくせに」
「幼なじみですから」
「納得いかない!」
青道高校野球部二年の御幸一也とあたしは幼なじみであり、元彼氏彼女。なんて言っても中学生の時の話だから随分と昔だ。一也はモテモテだから、あたしは女の子達の恨みを買いたくなくて青道高校に行かなかった。それでも一也が大好きな野球に関わりたくてマネージャーになったんだ。
「それより成宮先輩、練習戻って下さい」
「雅さんにドリンク貰って来いって言われたの」
「はい。」
あくまで戻ろうとしない成宮先輩に、ポンとドリンクを渡す。すると次の言い訳を考え始めた。おいおい…仮にもエースなんだから、早く練習に行ってほしいんですが。
「もぉー先輩、いい加減にしてくださ…」
「ねー遊夜ちゃん」
あたしの言葉を遮って、急に真剣な顔をする成宮先輩。どきりとした。同じくらいの身長で顔の距離が近いからか。
「一也のこと、まだ好きなの?」
「えっ…」
まだ好き?あたしが一也を?だって別れたのはもう二年くらい前だよ?
「何で遊夜ちゃんは野球部に入ったの?」
あたしと一也が別れた理由だから知りたかった。野球を何より優先した一也が不満で、あたし達はすれ違ったんだ。
「…遊夜ちゃん」
「かず、や…」
気付いたら涙がこぼれてた。ばかみたい、今あたしの目の前にいるのは一也じゃなくて成宮先輩なのに。泣いたって意味なんか無いのに。
成宮先輩はぎゅっとあたしを抱きしめた。その腕の中から抜け出そうとできなかった。
「俺は遊夜ちゃんが好きだよ」
「成宮…先輩?」
「だから笑ってよ」
抱きしめる力が強くなる。ねぇ、笑ってなんか言って先輩は今ちゃんと笑えてるんですか?
「…先輩、あたし」
空っぽでした。そう言うと成宮先輩はあたしから体を離して、びっくりしたような顔であたしの顔を見つめた。
「最初は一也が好きだから野球部に入りました。野球自体は何も思ってなかったんです、それなのにあたしは、野球が好きな皆さんと一緒に毎日過ごしてたんです」
バカだったよ。本当にあたしはバカだった。野球をこしていつも一也を見てた、野球より一也が好きだった。けどね、
「今は…違います。好きなんです。一也が、じゃなくて、野球が」
一生懸命練習してる野球部のみんなを見て、本当に素敵だと思った。野球を愛してるみんなを見て、野球を好きになった。楽しそうにピッチングしてる成宮先輩を見たら、自然に笑顔になれた。
「一也は好きですよ?けど野球の方がもっともーっと!!好きです!」
ニコッと笑ったら、ポカンとしてた成宮先輩はやっと微笑んでくれた。
「俺も野球好き!」
知ってるよ。そんなこととっくに知ってる。
「でも遊夜ちゃんも同じくらいだーいすき」
「え」
そういえばさっきも、好きって言われたような。なんて冷静になった時には、もう既に成宮先輩の腕の中だった。
「あれ?さっきは抵抗しなかったのに」
ぐぐぐ、と手に力をいれて先輩と自分の体を離そうとする。だってさっきは混乱してたから!今の状況とは違うの!
「まあそんな弱い力、抵抗って言わないか」
「…先輩、離して」
「わ、初めてタメ語だ」
ケラケラ笑う成宮先輩。けどあたしは実はもう限界で、顔が真っ赤に染まっている事が自分でも分かってた。
「遊夜ちゃん可愛い」
ずるい。あたしの体温はだんだん上がってく。恥ずかしい、けど心地良い。離れたくない、離さないで。
「…鳴」
「なっ…!」
下の名前で呼んでみると、成宮先輩は焦ってあたしを抱きしめてる腕の力を弱めた。その一瞬に見えた成宮先輩の顔は真っ赤で、あたしは凄く愛おしく感じてしまって、
ちゅっ
触れるだけのキスを、成宮先輩に送った。
同じくらい赤くなった顔の口角を上げて笑ってみせると、成宮先輩は悔しそうに言った。
「誘ったのは遊夜ちゃんだからね?」
さっきあたしがしたのよりも、もっと深いキスが送られる。あ、これって大人のキスだよね。成宮先輩あんな顔してこんなんできるんだ。
「…っ」
お互いの唇をむさぼるように求め合う。時折離れると、どちらかのものかも分からない唾液がつたる。それでもまだ重なっていたくて、何度も何度も舌を絡ませた。しかし途端にあたしはギョッとした。Tシャツの裾から成宮先輩の手が入ってきたから。
「…バカー!!!!」
無意識に叫んで先輩の頭を思いっきり殴った。仮にも部活中にエロいことしようとしないでよ、この発情期!
「あ、雅さん」
「鳴!!お前、練習は!」
「遊夜ちゃん〜」
「行ってらっしゃい」
口を拭い、乱れた服を直してから雅さんに引きずられていく成宮先輩に手をふった。
「…必ず、甲子園に連れてってくださいね」
一也に負けないで。あたしは小さく呟いた。
(練習中に椎名に変な事すんじゃねえ!)
(雅さん見てたんだ)
(見えたんだよ!)
(大丈夫、次は俺の部屋でヤるからっ)
(椎名を汚すなバカ!)
確かに恋だった