07
「吉良さん、お風呂先にいただきました」
「そうか。それじゃあ、私も入ろうかな」

 吉良さんはそう言うと、手にしていた何かを引き出しにしまい、その場を後にする。私は生乾きの髪の毛をタオルで拭きながら、テレビのリモコンを操作した。今日は、あまり面白い番組はやっていない。なんとなくサスペンスドラマにチャンネルを合わせると、椅子に座りながらボーッと画面を見つめる。刑事が慌てふためきながら、新たに起こった殺人事件の現場へと向かうシーンだった。

(吉良さんなら、もっと上手くやるのに)

 キラークイーンの能力で・・・・・・と思った途端、なぜだかドラマへの興味が無くなったので、私はテレビを消した。喉が渇いていたので、食器棚からコップを取り出し、冷やしていたお茶を注ぐ。キンキンに冷えた液体は、ゴキュン、という軽快な音を立てて私の喉を潤していった。
 飲み終わったコップを洗いながら、私はあの引き出しの中身の事をぼんやりと考える。もちろん、そこに何がしまわれているかは理解している。吉良さんが大事にしている"彼女"。私は少し、その存在に嫉妬してしまっている。何も語らず腐っていき、ただ愛でられるだけの存在。

 吉良さんは、私の手を可愛がってくれている・・・・・・と思う。思いたい。丁寧にマッサージをしてくれているし  そもそも私自身を助け出してくれた恩人だ。私が彼に、これ以上望むことは無いはずだ。
 だが人間とは欲深いもので、満たされていると分かっていても先を求めてしまう。私は、吉良さんが彼女とどんなことをしているか知らない訳ではない。全て知っている訳でもないが、ある程度は想像がつく。
 気付くと、私は引き出しに手をかけていた。迷わず引くと、ギギ、という鈍い音と共に"彼女"が現れた。いけないとは分かっていても、それを手に取らずにはいられなかった。

 その手を、私はとても美しいと思った。赤く塗られた爪は、親指から小指まで・・・・・・どの爪も寸分の狂いも無く綺麗に切り揃えられていたし、いくつかはめられていた指輪も、爪の美しさや指の細さを際立たせていた。手首の断面でさえ美しいと思ってしまう、そんなものがこの手にはあった。
 その時、後ろでガタンと音がする。吉良さんがやってきた音だ。慌てて彼女を引き出しに戻そうとしたが、時既に遅し。吉良さんは、私が手にしているものをじっと見つめて、こう言った。

「駄目じゃあないか、名前」
「あの・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」

 吉良さんの視線は、彼女から動かない。私から優しく取り上げると、傍らに置く。そして吉良さんは、手を洗ってきなさい、と言った。
 大人しくキッチンで手を洗ってくると、吉良さんは私の手を引き、彼女の前に座らせられる。吉良さんに抱えられる形で、だ。背中越しに、吉良さんの体温や心臓の鼓動が伝わってくる。
 吉良さんはそのまま、日課としている私の手のケアを始めてしまった。いつもと違うのは、目の前に彼女がいることだけ。そして、いつもより吉良さんの口数が少ないくらいだ。

「あの、吉良さん」
「名前、私は別に怒ってなどいないよ」
「でも私は、勝手に"彼女"を・・・・・・」
「いや。彼女にも、名前のことを紹介したいと思っていた所なんだ」

 前はそれができなかったからね、と吉良さんは言うと、私の手にハンドクリームを塗る。それからの吉良さんは、普段の様子とはうって変わり、とめどなく話し始めた。もちろん"彼女"に、だ。
 ここがどこか、自分の仕事について、彼女のどんな所が好きか、私のこと、次に買う(身につけて欲しい)アクセサリーの話などなど。

「ん?そうか、それは僕からも謝っておくよ。名前も、悪気があった訳じゃあない」

 吉良さんが勝手に話しているので、私はされるがまま(会話に入るなんてもっての他だろう)マッサージをされているわけだが、どうやらまた私の話に移ったらしい。ちら、と視線を横に向けると、前髪を下ろした吉良さんの顔がある。その目は私の手元に向いたまま動かない。

「いくら君でも、それはいただけないな。今は、名前との時間なんだ」

 そこで、ばっちりと視線が合った。吉良さんは少しだけ目元を綻ばせると、また彼女との会話に興じていった。君を蔑ろにしている訳ではない、ただ、今は名前との時間を大切に過ごしたいんだ  そんな台詞がすぐ耳元で聞こえているような気がするが、私の脳は既に考えることを放棄してしまったようだ。吉良さんは大人だなあ。
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テーマ「人外ファンタジー」
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