06
 名前は今朝、こんな言葉を口にしていた。

「猫を見かけたら、注意してください」

 その猫が、私の目の前にいる。駅前の人混みの中、人間の足に紛れるようにして、のんきに自らの身体を舐め、綺麗にしていた。道行く何人かは猫の存在に気付き、目を向けるが、私のように立ち止まる人はいない。
 名前が今朝言っていたことを思い出した私だが、注意するといっても早々に立ち去るべきか、この猫に対して何かをしなければならないのか分からず、私は鞄の中を探るフリをしながら信号が青から赤に変わるのを待った。
 信号が点滅し始め、周りの人々も急いで横断歩道を渡る。私は未だ鞄の中を探りながら、横断歩道から背を向けた。その時、猫が勢いよく私の横を走り去っていった。直後、叫び声と大きな音が響く。後ろを振り返ると、トラックが横転して横断歩道を塞いでおり、通勤途中の人が何人も血を流して倒れていた。

 この時、私は確信した。名前のスタンド能力は、予知だ。対象の未来を、夢という形で予知するのだ。
 しばらくして、警察と救急車がやってきた。規制テープが貼られ、怪我人は次々と救急車へ運ばれていく。
 事故現場を横目に駅の方向へ向かうと、先ほどの猫が植え込みの所で毛づくろいをしていた。にゃあ、と小さく鳴くと、猫はしなやかな足どりで路地裏へと消えていった。



 その日の夜。夕飯は名前が用意した。鮭の塩焼きと、ご飯、味噌汁、きゅうりの漬け物。漬け物は昨日の残りだ。私は、名前が味噌汁のお椀に手を伸ばすのを眺めながら、こう切り出した。

「名前、頼みがあるんだが……」
「はい、なんでしょう」

 名前は少し緊張しながら、お椀を持ったまま答える。

「そろそろ、彼女と手を切ろうと思っているんだ。そこで、君に手助けをしてもらおうと思ってね」
「手助け、ですか……見張りとかですか?私のスタンド、吉良さんのキラークイーンのように誰かを襲う、みたいなのは苦手のようですし  

 そう言うと、名前は味噌汁の具を口の中へ放り込んだ。まあ、見張りといえば見張りと言えるかな、と返事をしながら、私も漬け物を口の中へ放り込む。

「早ければ、明日にでも新しい彼女と出会いたい……そこで、名前。君に、スタンドの力で見て欲しいんだ」
「明日、彼女と出会えるか、ですか?」
「ああ、そうだ」

 なんだか占い師にでもなったような気分です、と名前は笑いながら言う。私もつられて少し口元をゆるめるが、ふとした疑問が頭に浮かんだ。

「そういえば、名前のスタンドは姿を見せないね」
「声なら、聞いたことがあります。この前、矢が刺さって倒れたときに……夢の中で」
「声、か。どんな声だったんだい?」
「うーん……機械のような、でも人の声も混じっているような……でも、女性のような声だとは思いました」
「声を出せるスタンドもいるのか……私のスタンドは、喋らないからね。まあ、静かで過ごしやすいから良いんだが」

 キラークイーンが喋るとしたら、どんな声なのだろうか?しばらく考えてみたが、どうやっても喋る様子すら想像できないので、やめた。

 夕飯を食べ終えると、二人で食器を片付けてから、それぞれ風呂に入る。今日は私が先、名前がその次だ。風呂の順番は、決まっていない。今回は名前が見たい番組があるというので、私が先に入ることにした。
 名前が風呂から上がってくるまで、"彼女"と語り合う。そしてマニキュアを塗り直し、香水をふりかける。名前が来る前に、この作業を終えなければならない。名前が彼女を見たら、驚いて気絶してしまうかもしれないからだ。いや、見せたことが無いので気絶するかは分からない(むしろ名前は彼女の存在を知っている)が、私なりの気遣いだ。
 後ろの方で、風呂から上がった名前が、私の名前を小さく呼ぶ。私は"彼女"を隠すと、振り返って名前を呼び寄せ、彼女の手にハンドクリームを塗り、マッサージをする。私はこれらの時間がたまらなく愛おしい。

 マッサージが終わると、私はホットミルク、名前にはココアを作る。ココアは、いつも甘めに作っている。そして夕飯の時と同じく、お互いに向かい合って座る。名前の手に視線を移すと、直後に手入れをしていたので、彼女の手は輝いていた。爪の先が、照明の光を受けてキラリと光る。私は満足感と幸福感に包まれながら、ホットミルクを喉へ流し込む。

「今日は早めに休もう。名前、期待しているからね」
「変なプレッシャーかけないでください!今朝のことだって、たまたま夢で見たからよかったものの……まだどうやればいいのかも分からないんですよ」
「フフ、駄目だったら駄目で、明日そう言ってくれればいいよ」
「……なんか、吉良さん機嫌いいですね」
「そうかい?」
「新しい彼女のことを考えているんですか?」
「君の想像に任せるよ」
「はあ」

 名前は、少し気の抜けた返事をした。君の手がまた一段と美しくなったから嬉しいんだよ、と言ったら、どんな反応をするのだろう。もちろん、新しい彼女のことも当たっているけどね。



「吉良さん、おはようございます」
「ああ、おはよう。もうご飯はできているよ」

 平日の朝。名前は制服のボタンをとめながら、慌ただしく座る。いただきます、と軽く手を合わせると、飲み物を一口飲んでからおかずへと箸を伸ばした。

「そういえば、今夜のことですけど」
「どうだった?」

 私もおかずへと箸を伸ばしながら聞く。

「帰宅途中、好みの女性に出会えますよ。とくに何も起こらず、スムーズに新しい彼女を迎え入れてました」
「そうか、ありがとう」
「いいえ。少しでも、吉良さんのお役に立てたなら良いんです」

 そう朗らかに笑う名前は、心からの思いを口にしたのだろう。口元の緩みを隠すように、残り少なくなっている味噌汁を飲み干した。
   他人からすれば、狂っているのだろう。だが、これが私の日常だ。名前が加わったことで、さらに色彩を帯びた気がする。

 朝食を食べ終わると、私は会社へ、名前は学校へと向かう。名前の通う学校は隣駅のため、通勤がてら、私はいつも彼女を駅まで車で送ってやる。この時、名前の手に触れたい衝動に駆られるが、なんとか我慢してやり過ごす。どちらにしろ、夜には触れるからだ。代わりに懐の彼女に触れながら、いつも上手い言い訳を作り、名前には聞こえないように語りかけている。

 名前は、"彼女"とは違う存在だ。名前の手は、彼女自身の肉体とは切り離せない……私はそう結論づけた。こんなことは初めてだ。
 名前の手を汚す日は来るのだろうか。まだマニキュアすら塗ったことが無いであろうその美しい手を、私自身の口で、液体で、汚す。そんな背徳を犯す日が。

「吉良さん、ありがとうございました。いってきます」
「ああ、いってらっしゃい」

 名前は駅へ向かう人波の中へ吸い込まれていく。私はアクセルを踏みながら、懐の彼女へと手を伸ばし、助手席へと導いた。

「名前というんだ。今度、君にも紹介できるといいんだがね」
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