01
 雨が降る夜だった。彼女は、突如として現れた。傘も差さずにずぶ濡れになっていく彼女を、私は家の中へと招き入れた。彼女の瞳は雨のせいなのか、潤んで見える。色付いた唇から私の名前が紡がれると、どこか背徳めいた気持ちになった。

「風邪を引くよ。家に入りなさい」
「吉良さん、ごめんなさい」

 久しぶりに聞く名前の声は酷くか細く、それでいて大人びたものとなっていた。

 彼女との物語を、どこから語ればいいのかわからない。彼女の名は、名字名前という。市内の高校に通っており、彼女の自宅は私の家の隣にある。年はひと回り以上離れている。故に、私は彼女の遊び相手になる機会が何度かあった。彼女は私を慕っていたし、私も彼女を不思議と疎ましいとは思わなかった。
 幼い名前の瞳は、深い夜の色を映している。その瞳を見ると、心の奥底まで透けてしまうような奇妙な感覚に陥る。まるで私の事を全て見通しているような、そんな気がするのだ。私は彼女の遊び相手をするたび、心臓の鼓動を早まらせなければならなかった。

「きらさんは、てがすきなの?」

 普段から秘密がバレることのないよう、細心の注意を払っている。が、ある日のこと。名前の家族が出かけるというので、私の家にはちょうど誰もいなかったし、いつもの通りお守りを任され、彼女と一緒に子供向け番組を見ていた時だ。突如として、名前はそう言ったのだ。驚く素振りを見せないよう、私は努めて冷静に理由を聞いた。

「えーっとねー、おねえさんがおうたうたってるとき、いつもおなじところみてたから」

 名前は、あまり話したがらない。人見知りが激しく、ごく自然な会話をするようになったのも最近のことだ。その間、彼女は私のことを観察し尽くしたに違いない。もう少し年を重ねていれば言葉も選べただろうが、まだ幼い彼女は遠慮という言葉を知らないらしく、疑問に思ったことをすぐ口に出した。その言葉が、私にとって最大のタブーであると知らずに。本人にしてみれば、「好きな食べ物は何?」くらいの感覚で質問したのだろう。
 私は何も言えなかった。秘密を知ったからといって、殺すこともできなかった。ただ、無邪気に笑う彼女の姿が酷く目に焼き付いた。
 自覚はなかったが、その頃には既に、私の中で名前という人物は大きな存在となっていたのだ。

 記憶に残る彼女とは違い、目の前に座る名前はあれからずいぶんと成長したようだ。

「何があった?」

 名前は顔を上げた。雨粒に紛れるようにして泣いていたのか、目は少し赤い。

「……」

 何も語らないまま、名前は頬に雫を滴らせながら私の目を見つめた。
 名前の異変に気付いたのは、彼女が小学校に入って暫くしてからだ。私は会社で働くようになり、朝は決まった時間に家を出る。名前も、私と同じ時間に家を出るようで、週に何度かタイミングが重なる時があった。

「行ってきまーす」
「おはよう」
「あ、おはようございます」

 名前は挨拶だけすると、さっさと走って行ってしまった。いつもはもう少し会話をするが、その日だけは違った。
 普通ならば、やり過ごすべき事だったのかもしれない。今日は機嫌が悪いのかと思えば済んだことだったのかもしれない。私は彼女の行動に、拭いきれない疑念を抱いた。そして、彼女の自宅を通り過ぎる瞬間、まだ数センチ開いているであろうすき間から家の中を垣間見た。
 名前の母親  私は、以前聞いた名前の言葉を瞬時に思い出した。

「私のお母さんはお母さんじゃないの」

 成長した名前は今、幼い子供のように泣いている。彼女を抱きしめることも、頭を撫でようともせず、私は座ったまま、ただ泣き止むのを待った。
 人は誰もが、秘密を抱えて生きているだろう。私も例外ではない。普通より特殊なだけで、しかも私は上手くそれを隠して生きている自信がある。隠しながら、最大限秘密を楽しむ余裕さえある。私にはその才能があったからだ。
 だが目の前の少女は、秘密を抱えたまま、それと目を合わさないでいる。そして、押し潰される寸前である。手を差し伸べるのは容易だが、私にメリットはあるだろうか?無いだろう。秘密が増えるだけだ。
 だが、ひとつ増えたところで問題は無い。そして、私はこの少女に自然と惹かれている。理由などない。この感情に言葉をつけることはできない。私と似た境遇だったからか、はたまたそうなるよう運命が決まっていたからのか。今となっては分からない。

「名前、さあ、顔を上げなさい」
「はい……」
「とりあえず、風呂に入ってくるといい。このままでは風邪を引く」

 名前が遠い親戚に引き取られ、あの場所に住んでいるという事は薄々気付いていたし、精神的な暴力を受けているのも知っていた。知っていて、私は見て見ぬフリをした。平穏な生活を求める上で、やっかい毎に巻き込まれるのは御免だったからだ。名前自身は気付いていないだろうが、私のしたこの行動も、後の結果に作用したのかもしれない。

「あの、タオルはここに?」
「多分その変にある」

 名前が引き出しを開けたのと、別の棚の引き出しが急に震え、中から何かが飛び出したのは同時だった。それは私の父親である吉廣が、ある人物から手にしたという矢だった。その矢の効果で、私と父親はスタンドと呼ばれる能力を発現したのだ。
 矢は、名前の胸を貫いた。血が溢れ、名前は意識を失う。
 私は急いで彼女の元へ駆け寄った。死ぬか、生きるか。死んだら死んだで私の荷は軽くなるし、生き残ればスタンドが発現し、きっと私の為に彼女は働いてくれるだろう。以前の私ならば、余計なものはいらないと切り捨てていたかもしれない。しかし私は、名前が生きればと切に願った。情にやられてしまったかな。
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