ロストチャイルド

 昼間でも薄暗く、日頃から黴びたような臭いのする風が吹き抜けるこの路地裏だが、今日は雨が降っているのも手伝ってか誰一人として姿が見えない。いつもだったらそこかしこで狡賢そうな大人が目を光らせていたり、浮浪者が寝転がっていたり、薄汚れた服装の子供が喧嘩をしていたりするのに。なまえは薄布を頭から被り、雨を避けるように建物の影へ身を隠した。
 なまえはさ迷っていた。つい先程、解雇されたのだ。少ない賃金だったが、それでも金は稼げていたのに。

「潰れてしまえ。あんな店」

 何の肉を使っているかも分からない、薄汚いレストラン。そこの雑用をこなしていた。夜は酒場になる。
 子供なのに  否、子供だからこそ、あんな扱いで済んでいたのかもしれない。ここらでは良くない話を耳にすることの方が多い……。なまえは身震いすると、よりいっそう身体を縮こませて寒さを凌いだ。帰る家はなく、行くあてもない。また働き口を探さなければ。

 そこに、ひとつの影が現れた。雨飛沫で辺りが霞む中、やけに目立つ金色が目を惹く。影の正体は少年だった。なまえは少年に気付かないままだ。

「おい」
「え?」
「ここは俺のテリトリーだ、勝手に入るなよ。どけ」

 自分よりは2歳程年下だろうか。そのわりに鋭い眼孔をしていた。少年はなまえの肩を力任せに押した。なまえは突然のことで受け身がとれず、頭から地面へ倒れてしまった。意識こそ失わなかったものの、しばらくはぐるぐると世界が白になったり黒になったり忙しかった。
 少年はなまえが立っていた背後にある建物へと姿を消した。見るからに廃墟の、誰も寄り付かないような場所だ。なまえは一瞬躊躇ったが、気づかれないようそっと建物の中へ入った。



 建物の中は意外にも快適だった。家具がいくつか置いてある。あの少年が掃除しているのだろうか、埃はあまり見当たらない。壁の一部が剥がれかけたりしているが、普通に住居として成り立っている状態だ。外観からは想像もつかない。
 入り口のすぐ横に階段があった。上からは物音が聞こえる。なまえは足音をたてないよう、そっと階段を数段だけ上って様子を窺った。あの金髪の少年が、なにか作業をしているようだ。ここからはよく見えない。
 なまえが首を伸ばすのと、入り口からガタン!と大きな物音が聞こえるのは同時だった。叫びたくなる衝動を必死にこらえ、急いで階段を下り物陰へ隠れる。そのすぐ後に、金髪の少年が涼しい顔で入り口の扉を開けた。

「なんの用です」

 そう少年が言葉を投げかけた相手は、屈強な身体をした男だった。男は顔を赤らめ、血管が切れそうな程に青筋をたてている。

「なんの用……だと?お前  俺の顔に泥を塗りやがったろう。え?」
「さあ?僕があなたに何かしましたか?」

 少年はわざと言っているのだろう。相手は更に顔を赤くし、今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。なまえはますます縮こまり、なぜ相手を挑発するようなことを言うのか疑問を浮かべた。

「てめえ……調子に乗りやがって……ただじゃあおかねぇぞ!」
「やれるものならやってみろよ、ドブ鼠が」

 男は白目をむき、少年に殴りかかった。少年はそれを避けたかと思うとすぐさま男の後ろに回り込み、強烈な足蹴りを食らわせた。よろける男の顔面を、今度は拳で殴る。そして間髪いれず、腹部を殴る。
 喧嘩ならそこかしこで見てきたが、この少年は違った。殺気すら含んでいたのだ。なまえは自分が隠れていることも忘れ、その光景を食い入るように見つめる。

 そのうち、男は床にうずくまった。少年が冷たい眼差しで男を見つめている。

「フン……肩慣らしにもならないな」

 少年がそう言いながら背を向けた時だ。うずくまっていた男がいきなり少年につかみかかった。男はナイフを隠し持っていたらしく、片手に握り少年の喉元にピタリとあてた。なまえはたまらず震え上がったが、すんでのところで声を押し殺した。少年は表情を一切変えないまま、ナイフの切っ先を見つめている。

「時間をやる。てめえが俺に頭を下げる時間をな」

 一瞬の間が空いた後、少年は笑みを浮かべた。体勢的には男が上に乗っかっているが、少年は小汚い召し使いを嘲笑うかのように笑みを浮かべている。実際、彼は漏れ出す声を抑えているように見えた。「だからいつまでもドブ鼠なんだ」と呟くと、唾を男の顔に向かって吐き、仰け反った男の手からナイフを奪う。形勢逆転だ。
 少年は、自分の身を守る術……否、戦い方を知っていた。
 男は再び床に倒れ、少年がナイフを片手でくるくると回す様子を睨みつけている。

「これで分かったろう?もう僕の前には  

 一瞬。一瞬だった。少年が背を向けた瞬間、男は力任せに飛び起き、再び少年につかみかかった。それも、彼の首を締めながら。
 少年は苦しそうに呻きながらも、身体を捻って男から逃れようとした。先程と同じように蹴りも食らわせたが、男は我を忘れているのか怯みもしない。
 カラン、と乾いた音がした。少年の手から力が抜け、ナイフが落ちた音だ。奇しくもそれはなまえの目の前で、男はこちらに背を向けていた。

 物陰から少しだけ身を乗り出し、音をたてないようナイフを拾う。少年の表情をちらと見た。息がつまっていて、今にも意識が飛んでしまいそうである。早く、早くなんとかしないと。

 なまえは震える足で立ち上がると、雄叫びをあげた。驚いた男が振り向く前に、ナイフを突き立てた。
 それは、あまりにも呆気なかった。男の背のちょうど真ん中に突き刺さったそれは、刃が一寸も見えない程である。男は、耳を覆いたくなるような叫び声をあげ、倒れた。床一面に、血が溢れた。

「は、あ……」

 ゆっくり深呼吸しようとしても、ズキズキとした傷みが広がりうまく呼吸ができない。怪我を負っている訳ではないのに、傷みはあちこちに広がっていく。心が悲鳴をあげていた。
 なまえが茫然自失のままその場に立ち止まっていると、少年が声をかけてきた。

「お前は、さっきの……ついてきたのか」

 それ以上、何も言わなかった。なまえも少年も、口から言葉を発することで余計な労力を使いたくなかったのだ。少年は早く休むことを、対するなまえは自らの死後は地獄に行くことが今決まったのだということを、それぞれ考えていた。

「お前、名前は?」

 少年が遺体を見ながら言う。

「なまえ」
「そうか、俺はディオだ」

 ディオ。なまえは小さく復唱する。ディオは血に塗れたナイフを手に持つと、勢いよく壁に投げた。軽快な音と共に突き刺さったナイフは、反動で小刻みに震えている。

 後にディオがジョースター家に引き取られる際、なまえも同行することになるのだが、この先に待っている数奇な運命を二人はまだ知らない。

title:ジャベリン
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