焦がれる

(軽い自慰表現あり)

 ディオはその端正な顔を歪めながら考えに耽っている。頭ではNOと言いたいが、自分のことは自分がよく知っているものだ。言葉では言い表せない感情が渦巻き、その夜ディオは自身を慰めてしまった。そういうことをする場合は、いつもそこらの路地裏にいる娼婦でも相手をしていれば済むことなのに、拒否してしまう。汚らわしい。抱くならば、そう、彼女なのだ。大した家柄ではない。誰もが振り向くような整った顔でも、豊満な身体つきでもない。それでも、ディオは今までにない感情をなまえに抱いたのだった。




 清らかな水が流れるようだ、と思った。光に照らされ、陽が降り注ぐ。何の変哲も無い街中の教会。本当に出来心だった。まだ帰るには早すぎたし、友人も今はいない。いや、友人とは呼べないか。ディオは不適な笑みをこぼす。
 とにかく、寄ってみようと思い立った。それが彼女との出会いだった。
 
 彼女はその柔らかそうな唇を動かし、俺の名前を聞く。ディオ、ディオというのね。それだけの仕草で、心臓は鷲掴みにされたように波打つ。

「貴女の…名前は?」

 どうかしている、と頭の端では考えているのだ。このディオが他人に興味を持つなど、ましてやそれが女などと。敵でも味方でもない、首を絞めればすぐにでも逝ってしまいそうなか弱き者に…こんなにも心惹かれている。聖職者だろうか、黒い衣を身に纏い、胸に十字架を提げている。

「なまえと、いいます」

 なまえ。彼女の名前。神に仕える身の、穢れを知らない純粋な…。
 彼女の瞳はとても澄んでいた。世の中に蔓延る悪を知らず、世間から切り離され、必要最低限の外界との接触。
 彼女とはその日、それだけしか会話をしなかった。ディオは学校が終わりジョースター家に帰るまで、彼女のいる教会に通った。他愛無い会話だった。天気の話や、学校であった話、ジョナサンの愚痴…。なまえといる時間だけ、ディオは心から安らいだ。これを愛情というのかは分からない。言葉では表すことのできないものが、ディオを突き動かしていた。




「人間をやめたなどと言えば、彼女は悲しむだろうか」

 暗い部屋の中、餌となった女を前に呟く。嬌声をあげながら血を吸われ、生きる屍と成り下がったその人物。つい先程までの美しい面影は無く、血と肉を求め呻いていた。一言命令を下すと、女はその場から去っていく。
 あとに残されたディオは、なまえのことを考える。今もあの教会で祈りを捧げていることだろう。吸血鬼になってからは一度も姿を見せていない。怖いのだ。彼女とは天と地程も離れた存在になってしまった。拒否されるだろうか、恐れられるだろうか。微笑みが崩れないでほしい、またあの頃のように抱きしめてほしい。少年だった身体は青年へのそれへと変化し、今となっては人間ではなくなっていても。もう一度抱きしめてほしいのだ。

 ディオはすぐさま行動に移した。ジョナサンは当分こちらへはやってこない。屋敷の者に出かける旨を伝えると、あの場所を目指す。




 昔と変わらず、教会は記憶のままの姿で佇んでいた。雑草がちらほら生えている庭、ひび割れた石壁、錆びれた鐘…。ディオは太陽の下では歩けない。月明かりが照らされた道が、やけに美しく見える。街は静まり返っていた。それもそのはず、人間は眠りについている時間だ。風が吹き、草がサワサワと音を立てる以外は何も聞こえない。
 見慣れた木の扉が近づくと、心臓が跳ねたように波打つ。取っ手に手をかけると、ヒヤリとした感触が伝わった。

 ギィ、と軋んだ音をたてて開いた扉。くすんだ色の絨毯、重く淀んだ空気。彼女はいつも、あの椅子に座って待っていた。期待していないわけではない。薄暗い中で目を凝らすが、なまえはいなかった。今は自宅で眠りの世界に旅立っていることだろう。
 ディオは薄く笑った。もしも彼の部下がこの場にいたとしたら、普段は見せない穏和な顔に驚くことだろう。ディオは今、人間であった。吸血鬼なのだが、心は人間に戻っていた。

 不意に、物音がした。ディオが今し方入ってきた扉に、一人の女が佇んでいる。ディオは目を見開いた。なまえが、驚愕した顔で立っていた。昔と変わらず黒い衣服を纏い、そこにいる。ディオは駆け寄りたい衝動を抑え、一言「なまえなのか」と聞いた。

「ディオ、なの?」

 唇が動き、名前を呼ぶ。年を重ねてはいるが、当時と変わらぬままの姿。物腰柔らかな声が鼓膜を刺激する。
 彼女を抱きしめようとして伸ばした手先を見、ディオは唸った。視線の先の爪は鋭利で、ちょいと引っ掛ければ皮膚を破く。力も人のそれではない。加減を間違えれば、骨を砕いてしまうだろう。

「なまえ」
「どうしたの、ディオ?顔色が悪いわよ」

 彼女が近付く。頬に触れたなまえの手が温かい。衣服の隙間から、首が見えた。脈々と打たれる鼓動と、血の流れを感じる。恐らく誰にも汚されていない身体、無垢な心。それだけで血欲が高まった。
 なまえはその黒い瞳で、真っ直ぐにディオを見つめる。彼が自分を食おうとしていることなど微塵も考えていなかった。
 ディオは自らの頬に重なるなまえの手をとると、じっくりと観察する。薄い色素に映える血流をなぞるように、べろりと舐めた。なまえは驚いて逃れようとするが、ディオの力が強くそれができない。
 そしてなまえは見てしまった。自らの手を舐める、彼の舌の上で光る牙。人間のものではなかった。

「ディオ…あなたは……」
「好きだ、なまえ」

 抱き締められ、耳元で囁かれ、次の言葉を紡ごうと口を開く。首には既に二つの小さな傷口ができ、血を吸われる感覚に全身が痺れたのだった。
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